「小さな約束」

 
 僕は夏休みで父の実家に遊びに来ていた。
 すぐ側には深緑を抱く森林があった。
 「あんまり森の中の方へ行っちゃだめよ。」
 「は〜い!」
 僕は森の入り口近辺で遊んでいたが、
 都会育ちの子供にとって自然が残っている森は、
 全部が遊び道具であり、遊び場所であった。
 森の中は木々によって日差しが和らげられ、
 真夏とは思えない涼しい環境をしていた。
 見るもの、触るもの、全てが新鮮だった。
 次から次へと新しいおもちゃが現れ、飽きる事はなかった。
 どれ位時間が過ぎただろう。
 ふっ、と後ろを振り向くと、森の入り口は見えなかった。
 辺りを見回すが、どの方向から来たのかも
 分からない様に、同じ様な景色しかなかった。
 「どうしよう・・・パパッ、ママッ!」
 大声を出して呼んでみたが、森は静かだった。
 幾ら声を出しても応えてくれない森がとても怖くなりだした。
 男の子なんだから、自分に言い聞かせる様に言ってみるが、
 そのうち涙が頬を伝い始めた。
 「ぐすっ、ぐすっ・・・」
 近くの木の根っこに座って泣いていると
 「どうしたの?迷ったの?」と可愛らしい声がした。
 急いで手で目をこすり、声のした方を見てみた。
 そこには同い年位の女の子が立っていて、
 可愛らしいワンピ−スドレスを着て、
 肩からふわふわとした緑色のケ−プを掛けていた。
 「どうして泣いていたの?」
 女の子が再び問いかけてきた。
 「泣いてなんかいないもん!疲れたから座っていただけだもん!」
 僕は素早く立つと、上目遣いで彼女に応えた。
 「それじゃ迷ったの?」
 「違うもん、遊んでいただけだよ」
 「ふ〜ん、そうなんだ。」
 女の子はにこっと笑うと僕の手を取り、
 「こっちで遊ぼうよ。行こう。」
 安心した僕は
 「うん、いいよ。」
 と女の子に付いていくことにした。
 女の子は自分の家で遊ぶように、
 色々な場所で色々なものを見せてくれた。
 ドングリやクヌギの実などが落ちている場所や、
 小さなせせらぎの小川を教えてくれたりした。
 同い年位の事もあり、仲良く遊ぶことは自然だった。
 「○○ちゃ〜ん!○○ちゃ〜ん!・・・」
 遠くの方で僕の名前を呼ぶのが微かに聞こえた。
 「あっ、ママの声だ、ママっ〜!」
 僕はありったけの声で返事をした。
 だんだんと声が近づいてくる感じだった。
 僕は安心感からか、女の子の方を見た。
 女の子は少し寂しそうな顔をして、
 「もう遊べないの?」
 「また遊ぼうよ!約束するから!絶対」
 僕が小指を出すと女の子も小指を出して、
 「絶対だよ!約束だよ。」
 女の子と指切りをすると、僕は声のする方へと走り出した。
 少し走ったところで振り向くと、女の子の姿は見えなかった。
 立ち止まって女の子のいたところを見ていると、
 後ろから母親の暖かい腕に抱きすくめられた。
 「良かったわ!もうホントに心配させて、この子は」
 怒ったような口調であったが、頭を撫でる手は優しかった。
 家に戻りと帰り支度が始まっていた。
 父親の仕事の都合で、これから車で帰ることになった。
 指切りをした感触を小指に残しながら、車は実家を後にした。


 「久しぶりだな〜、空気が上手いや」
 僕は10数年ぶりに田舎に遊びに来ていた。
 父親の転勤などもあり、あれ以来田舎は遊びに来ることはなかった。
 この10数年の間に、景色は変わっていた。
 駅の回りには高いビルが建っていて、
 その回りを囲むようにマンションが建っていた。
 タクシ−に乗り郊外へ向かう間、車窓を見ていた。
 程なく賑わいをみせていた町は、田園風景へと変わっていった。
 やがてタクシ−は田舎道に入り、木々の間の道を走り始めた。
 ここは変わっていないな。
 程なくタクシ−は家へと到着した。
 祖父達は定年で仕事を引退した後、
 回りを整備してバンガロ−形式の宿泊施設を作り、
 ゆっくりと流れる時間と共に生活をしていた。
 「おおっ、良く来たね、あそこのバンガロ−が空いているから、
 ゆっくりとしていけばいい。」
 案内されたのは一番外れにあり、森に近いバンガロ−だった。
 荷物を置き、しばし歓談をした後、僕は森に散歩に出た。
 簡単な遊歩道が出来ていたが、森の情景は昔と変わっていなかった。
 森の爽やかな風を受けながら歩いていると、
 やがて遊歩道は行き止まりになっていた。
 「ここで終わりか・・・」
 よく見ると行き止まりの看板の脇に、更に奥へと小さな道があった。
 「もうちょっとだけいってみるか。」
 僕は更に奥へと歩き始めた。
 しばらく行くと道は狭くなり、右側の崖は少しずつ深くなり始めた。
 「この辺までにしておくか、・・・・・?!」
 引き返そうとした僕は、露に湿った落ち葉に足を滑らせて
 崖を滑る形で落ちてしまった。
 幸い落ち葉がクッションになり、怪我をせずに済んだようだった。
 「まいったな、戻るには落ち葉で登れないし・・・」
 僕はしょうがなく、遊歩道に沿った形で歩いて行くことにした。


 整備されていない森の中を歩いて行くと、
 知らぬ間に遊歩道は見えなくなり、
 うっそうとした森の中に迷い込んでしまった様だった。
 倒木があり煙草を取りだし、一服することにした。
 「迷ったのですか?」
 ふと背後からした女性の声に驚いて振り向くと、
 同い年位の女性が立っていた。
 彼女はまるで森の木々にとけ込むかの様な、
 深緑色のマントを着ていた。
 彼女は微笑みながら僕の側の倒木に座った。
 「ここは人が歩くところではありませんよ。」
 「ええ、先程滑り落ちてしまって・・・貴女は?」
 「この辺りは庭みたいな所ですから。」
 僕は携帯灰皿を取り出すと、煙草を消した。
 「自然を守って下さっているのですね。」
 「まあ、火事とかのおそれもあるし。」
 僕の仕草を見ていた彼女は嬉しそうに微笑んでいた。
 「さて、そろそろ帰らないと、道の案内をお願いできますか?」
 「えっ、ええ良いですわ・・・」
 「?」
 彼女は一瞬曇った表情をしたが、
 「どうぞ、着いてきて下さいね。」
 元の笑顔に戻ると僕の前を歩き始めた。
 しばらく歩くと森が拓け始め、森の外れの様だった。
 「どうも有り難うございました。助かりました。」
 「いいえ、どういたしまして、
 ただあまり森の奥へは行かれない方が良いですね。」
 「はい、以後は注意します。それでは」
 僕が礼をして歩き始めようとすると
 「あっ、あの・・・」
 彼女の方を振り向くと、彼女は少し悲しそうな顔をしていた。
 「もし・・・もしも私が・・・」
 「どうしましたか?遠慮なくどうぞ」
 「もし、私が困った事になったら助けて頂けますか?」
 「とりあえず僕に出来ることでしたらお力になりますが。」
 「でも・・・」
 「それじゃ、約束しましょう。小指を出して」
 彼女の手を取ると小指を合わせて約束をした。
 彼女の小指と合わせると、懐かしい感じがしてきた。
 いつだろう、こんな感じの時があった気がするが・・・
 「約束してくれてありがとう、それでは」
 彼女は安心した様な微笑みをすると、森の中へと歩き始めた。
 彼女の後ろ姿を見送っていたが、直ぐに見えなくなってしまった。
 まるで森が彼女を隠してしまうかのように・・・


 バンガロ−に戻った僕は風呂に入り着替えをして、
 母屋で祖父達と楽しい夕食の時を過ごした。
 懐かしい話しに時間はあっという間に過ぎ、
 時計の針が日付を変わる事を知らせていた。
 「それじゃ、そろそろ寝るか」
 僕は懐中電灯で足下を確かめながらバンガロ−へと戻った。
 着替えを済ませて部屋の電気を消そうとすると、
 小さくドアをノックする音が聞こえた。
 祖父達が忘れ物でも届けに来たのかなと
 思っていた僕は気軽にドアを開けた。
 そこには昼間にあった彼女が泣き顔で立っていた。
 「どっ、どうしたの?まず中に入って」
 僕は昼間と同じ深緑色のマントを着ている彼女を中に入れた。
 彼女をダイニングテ−ブルの椅子に座らせると、
 インスタントコ−ヒ−を彼女に作った。
 コ−ヒ−を飲んで幾分、落ち着いたようだった。
 「大丈夫?こんな時間にどうかしましたか?」
 「私、追い出されてしまって・・・」
 彼女は俯いたまま応えた。
 「どうして?お父さん達に?僕が一緒に話そうか?」
 「いえっ、違うんです、実は・・・」
 彼女は躊躇しながらも少しずつ話し始めた。
 「守り事を破ってしまったんです・・・私・・・」
 「どうして?訳があったの?」
 「信じて貰えるか分かりませんが・・・」
 「信じますよ、話してみて下さい。」
 「私、人間ではなく、森の守り神の者なんです・・・」
 僕は思いもしない言葉に返答に困ったが、
 「信じますから、話を続けて」
 「森に迷い込んだ者は助けてはいけないんです。
 でも自然を大切に考えていた貴方の事を見て・・・
 気が付いたら案内をしていました・・・」
 「そんな、僕のことで・・・」
 「もう、戻る事は不可能なんです、ただ・・・」
 「ただ?」
 「このままでは人間としても生きられないんです。」
 彼女の表情は曇り、俯いてしまった。
 「そ、そうだ、約束、僕に出来る事があったら言って下さい。」
 彼女は驚いた様に僕の顔を見た。
 「でも、無理なお願いになるかも・・・」
 「とりあえず教えて下さい。」
 「私が人間になる方法があるのですが・・・
 貴方と愛し合い、子供を授かる事なんです・・・」
 「つまり結婚?・・・」
 「それしかないんです・・・でも無理なのは分かっています・・・」
 彼女は窓に映る森を眺めていた。
 僕は躊躇いもなく決断した。
 「約束しましたよね、僕で構わなければ・・・」
 彼女は驚いた表情をして振り向いた。
 「でも・・・そんなこと・・・」
 僕は椅子から立ち上がると彼女の側に立った。
 「君の為に約束は守る」
 椅子から立ち上がった彼女を僕は抱きしめていた。
 「私なんかのために?」
 「君が良いんだ、君じゃなきゃダメなんだ」
 小さく震えている彼女の頬に手をあて、唇を重ねていった。


 深緑色のマントを着ている彼女を抱え上げると、
 僕はベットへと向かって行った。
 「本当に私で・・・」
 「助けてくれた君に応えたいんだ・・・素直な気持ちで・・・」
 「あ、ありがとう・・・」
 今度は彼女からキスをしてきた。
 マントごと彼女を抱きしめると、ベットへと身体を倒していった。
 僕が衣類を脱ぎ始めると、彼女も共に脱ぎ始めた・・・マントを残し
 「それは?」
 「これは身体の一部みたいな物・・・」
 そう言うと彼女はマントのサイドを持つとゆっくりとくゆらせた。
 マントによって起きた微かな風は、森の香りがした。
 自然で暖かく、懐かしい感じの優しい香りだった。
 彼女はマントの両サイドを持つと、
 ベットに寝ている僕に身体を預けてきた。
 二人の気持ちを確かめる様なキス、愛し合う二人の律動を
 包み込み優しく見守るようなマントの揺れ・・・
 やがて彼女は僕を受け入れ、終息の時を迎えた。
 彼女に腕枕をし、二人でマントにくるまっていると
 「ありがとう、貴方で良かった・・・
 約束を守ってくれると思っていた・・・昔から・・・」
 「?、昔からって?」
 「昔、森で小さな約束をしたの、その子は約束を守ろうとした、
 ただ、機会が出来なかったの、ご両親の都合で・・・」
 僕は微かに子供の頃の事を思い出した。
 「もしかして、子供の時に森で一緒に遊んだ・・・」
 「そう、私は信じていたから・・・」
 彼女は安堵の表情をすると僕の頬にキスをしていた。
 「そうだったのか・・・」
 「貴方で良かった・・・・」
 腕に彼女の受け止めながら二人で眠りに落ちていった。
 

 窓の外で囀る小鳥の挨拶で目を覚ました。
 横を向くと彼女は微かな寝息をたてていた。
 僕は片方の手で煙草を取ると火をつけた。
 「もう起きたの?」
 彼女は僕にキスをすると、ゆっくりと身体を起こした。
 起こした体に合わせるようにマントが動いていく。
 「?」
 僕は驚いて起き上がった。
 昨日まで深緑色のマントが白くなっていた。
 「これは・・・」
 「これは私が人間になったあかし、もう緑色は不必要になったから、
 貴方のお陰だわ・・・」
 白いマントを着た彼女を引き寄せると、僕は唇を重ねた。
 彼女は安心した表情を浮かべていたが、頬を一筋の涙が流れていた。
 別れの涙を流した後、彼女は微笑みながら起き上がった。
 僕も微笑んでそれに応え、携帯電話を手にした。
 両親に結婚の事を話すために・・・