「罠」


「もうどうでもいいや!」
午後の太陽が映っている水面に石を投げつけ、
会社での課長の言葉を思い出していた。
「良くやってくれてはいたが、不景気でね・・・」 
折角、職に就けたものの、半年でクビになるとは。 
両親も早くに他界し特に身寄りもなく、
会社の寮で一人暮らしをしてきたが、
それももう出ていかなければならなくなった。 
「とりあえず帰ろうかな・・」  
さすがに石を投げ続けた右腕が重くなり始めていた。 
川面に背を向け、小学生達が歩いている土手に向かい歩き始めた。 
土手の遊歩道に上がると、まだ肌寒い風が吹いていた。   
しばらく土手の遊歩道を歩いていると、
すぐ脇にある林に黒い固まりが目に付いた。 
「何だろう?」  
夕食の時間帯にはまだ少し時間があるし、なにか引き寄せられる様な 
気もしたので、ちょっと見てみる事にした。 
遊歩道を外れ、少しだけ足を隠す位の草が生えている場所に
足を踏み入れた。  
黒い固まりの所々から、白いものと肌色のものが見えてきた。 
どうやら人の様であり、ご老人の様であった。 
「どうかされましたか?」  
気軽な感じで、僕は声を掛けてみた。  
「少し足を傷めたみたいで・・」  
老女は傷めたであろう足首をさすっていた。 
怪我の様態は大した事はなさそうだが、少しご老人には辛そうだった。 
「おばあちゃん、家は何処?」  
「この林の中の少し先です。」  
「じゃあ、おんぶしてってあげる。」  
「すみませんね、ほんとに・・・」  
「いえいえ、どうせ時間はありますし・・」 
僕は老女を背負うと、林の中にのびていく小道を歩き始めた。 
「この時間は仕事なんでしょ?」  
何気ない老女の質問に、苦笑いしながら僕は返答した。 
「今日、クビになったばかりです・・」  
「あら、ごめんなさいね・・」  
「いいんですよ、べつに、家庭もないからそれほどでも・・・」 
「そうなの、」  
両親や会社での事を話しながら道を進んでいると 
「着きましたよ、ここです。」  
老女の言葉に前を見ると、木々に囲まれた中に洋風の屋敷があった。 
夕方までにはまだ時間があるはずだが、近辺は薄暗い感じがしていた。
老女の指示で玄関まで行き、呼び鈴を押すと中からメイドさんが出てきた。
彼女は老女からの指示で車椅子を取って戻ってきた。 
僕は老女を車椅子に移して帰ろうとすると、 
「せっかくだから上がっていって下さい、お茶でも・・」 
「じゃあ、少しだけ」  
老女の申し出に、少しだけ甘える事にした。 


応接間に通されて、出されたコ−ヒ−を飲んでいると、 
「祖母が大変お世話になり有り難うございました。」 
声のした方を振り向くと、30歳前後の若い女性が立っていた。 
黒く輝いているロングへヤ−、マリア様を思わせる優雅な顔立ち、 
足下まであるモスグリ−ンのロングドレスを着ている。 
僕は見とれるあまり、コ−ヒ−をシャツにこぼしてしまった。 
「あらあら、早く綺麗にしないと・・・」  
彼女は言うが早いか手を叩き、メイドを呼ぶと細かく指示をしていた。 
「こちらへどうぞ」  
メイドが廊下の奥の方へと案内しようとするので、彼女を見ると、 
「お時間は有りますわね?ゆっくりしていらして下さいね」と微笑んでいた。
急ぐ用事もないので、メイドの後を付いて行くことにした。 
廊下の奥に突き当たると  
「どうぞ、お風呂でゆっくりなさって下さいまし、
その間にクリ−ニングさせて頂きますので」 
タオルを受け取り、ゆっくりと入浴を楽しみ、脱衣所に戻ると、 
パンツとTシャツが置いてあるだけだった。 
とりあえずそれらを着てメイドを呼ぶと  
「まだ仕上がっておりませんので、その上にこれをどうぞ」 
メイドは表情を変える事なく、
パンツとTシャツ姿の僕に黒いマントを掛けてきた。 
どの様に着て良いか分からずにいる僕に構うことなく、 
メイドは首元のボタンから腰あたりまで付いているボタンを留めていった。
足下まである大きなマントは、僕の全身を覆い隠した。 
素肌に感じるマントはとても柔らかく、しなやかで暖かかった。 
「先程の応接間でお嬢様がお待ちになられています。」 
メイドの言葉に僕は廊下を歩き始めた。  
歩く度に、マントは優しく僕を撫でる様に包んでいた。 


応接間に付くと彼女は僕と同じように、ダ−クブル−のマントを羽織り、 
ライムグリ−ンのソファ−に腰掛けていた。 
「どうぞ、お座りになって、お話したい事もありますし・・」 
僕はソファ−の柔らかさに身を預けながら聞いていた。 
「祖母から色々とお話は聞きました。  
宜しければ今後、この屋敷で暮らされては如何ですか? 
もちろんお金は頂こうとは考えておりませんし・・・」 
今日、住む所の失った僕には願ってもない話だった。 
「ホントですか?ほとんど初対面ですよ?・・」 
「ええ、それでも構いませんわ、如何ですか?」 
「是非御願い致します。」  
僕の言葉を聞いた彼女は満面の笑みをしていた。 
「ああ、良かった、それでは話しもまとまった事ですし、
お食事にしましょうか。」
彼女の言葉に窓を見ると、すっかり夜の暗さに染まっていた。 
「おばあちゃんは如何ですか?」  
「痛み止めが効いていて、ぐっすりと眠られておりますわ。 
どうぞ御心配なさらないで、さあ食堂へ参りましょう。」 
彼女の言葉で食堂へと向かう事にした。  
豪華な食事を御馳走になり、ソファ−でくつろいでいると 
「ブランデ−でも如何ですか?」  
彼女は一対のブランデ−グラスと、  クルボァ−ジェのX.Oを持って、
僕の隣に腰を下ろした。  
ブランデ−が入っているグラスに口をつけると、
彼女は僕の方にしなだれてきた。  
ブランデ−の甘く芳醇な香りと、
彼女が発する大人の女性の怪しく甘美な香りが 
僕の臭覚をくすぐり始める。  
「貴方の様な方を探しておりましたわ。」  
「何故、僕みたいな人を?」  
「それは秘密・・・」  
彼女は顔を上げると、唇を重ねてきた。  
僕は彼女の肩に手を回し、彼女をしっかりと受け止めた。 
彼女のキッスは甘く情熱的で、薔薇に似た感じを放ち、 
微かにブランデ−の香りを漂わせていた。  
彼女の右手が僕の着ているマントのボタンを外し始める。 
「そのままにしていて・・今は私に任せて・・・」 
全部のボタンを外し終えると、
マントは肩から滑る様にソファ−の上に横たわった。 
彼女は身体を反転させると、僕に跨る格好で上になった。 
Tシャツの裾を手にすると、ゆっくりと上げ始めた。 
彼女は僕のTシャツを放り投げると、自分のマントを脱ぎ始めた。 
ドレスとマントの衣擦れの音をたて、彼女のマントは床に滑り落ちた。 
彼女がドレスの前のボタンを外すと、
モスグリ−ンのドレスから透き通りそうな  
白い肌があらわれ、やがて生まれたままの姿になった。 
彼女の瞳は、光を射影している水面のように輝いていた。 
僕に覆い被さる様に身を預けると、彼女は僕自身を受け入れ始めた。 
甘美な衝撃を受けた僕は彼女を一生懸命、愛した。 
やがて終焉の時を迎え、白い肌は僕の上で動かなくなった・・・ 


しばらくすると彼女は起き上がり、
床のマントを手にすると裸体に羽織り始めた。 
「私はマントが大好きなの、身体の隅まで隈無く包んでくれるもの・・」 
「よく似合いますよ、マントって不思議な魅力がありますね、」 
「分かって頂けたかしら、こちらに着て頂きたいマントがありますの」 
彼女は僕の手を取ると、彼女の部屋に向かい始めた。 
部屋に入ると彼女は壁に備え付けられているクロ−ゼットを開いた。 
中には色とりどりのマントが飾ってあり、
怪しい光沢を放つサテンで出来た黒のマント、 
柔らかな感触をしたワインレッドのベロアのマント、
毛足の少し長いフリ−スの赤いマント、  
全部がレ−スで出来たマントもあった。  
やがて彼女は一着のマントを手に取った。  
ウ−ルで作られた純白のマントだった。  
純白のマントを手にした彼女は僕に歩み寄り、 
「ぜひ、羽織って下さいな」  
僕は彼女の持っているマントに手を伸ばした。 
彼女は満面の笑みを浮かべていたが、
瞳から血の暖かみが消えている事に、僕は気づいていなかった。 
マントを手にした僕は、マントを後ろに回すと、肩から羽織り始めた。 
首元を紐で結び終え彼女を見ると、氷の様な微笑に変わっていた。 
彼女が何かを小声で唱え始めると、僕の羽織っていたマントが、 
僕の身体を締め付け始めた、まるで生きているかの様に・・・ 
あっという間にマントは僕の身体の自由を完全に奪ってしまった。 
彼女はマントに巻かれて棒立ちになっている僕に向かい、 
「貴方はそのマントに取り込まれるのよ、
純白のマントを貴方で染め上げるの。」  
「・・・・・」   
僕は声を出そうとしたが、唇が鉛の様に重たい。 
「絶望感を抱いた人間でマントを染めるの、
人は多様な絶望感を抱いているわ、
貴方は何色に染めてくれるのかしら?
絶望感に比べれば苦しくないでしょう、  
直ぐに楽になれるもの、その様なマントを私はいつも纏っているの。」 
動かす事の出来ない身体の感覚は、すでに無くなり始めていた。 
「老女に化けるのも貴方の様な人を捜すため、
貴方は素直に罠に掛かってくれたわ。」  
彼女は着ているマントのサイドを手にすると、 
「さあ、そろそろ仕上げにしましょうか。」 
ゆっくりと着ているマントを広げ、近づいてきた。 
目の前まで来ると再び呪文を唱え始め、大きく開いたマントで 
僕を包み始めた。  
純白のマントがゆっくりとダ−クブル−のマントに包まれていく。 
完全にダ−クブル−のマントに包まれた時、遠のく意識の中で、 
彼女の瞳は氷の輝きを放っていた・・・