キューバ危機

Cuban Missile Crisis
1962(昭和37)年10月16日〜10月28日
ソ連がキューバに配備したミサイルの撤去をアメリカが求めた一連の抗争事件

1962(昭和37)年10月16日 ソ連中距離核ミサイルのキューバ配備をアメリカが察知
報告はジョン・フィッツジェラルド・ケネディ大統領の起床を待ってホワイトハウスの寝室に直接届けられる
ケネディ大統領は国家安全保障会議緊急執行委員会(EXCOM)を召集
10月19日 カーチス・ルメイ空軍参謀総長、キューバ空爆をケネディ大統領に進言
10月22日 ケネディ大統領、キューバにミサイル基地が建設中であることを公表
対キューバ海上封鎖宣言
10月24日 アメリカ大西洋艦隊、海上封鎖・臨検を開始
DEFCON-2発令
10月26日 ニキタ・フルシチョフソ連第一書記、私信の形でケネディ大統領にミサイル撤去を提案
10月26日 フィデル・カストロ・キューバ首相が高射砲部隊に27日以降、アメリカ偵察機への攻撃開始を命令
10月27日 「暗黒の土曜日」
フルシチョフ、トルコに配備された中距離核ミサイルの撤去を要請
10月27日 テイラー統合参謀本部議長、10月29日のキューバ空爆開始をケネディ大統領に進言 ケネディは拒否
キューバ軍高射砲部隊、アメリカ軍偵察機への対空射撃を開始
1000 ソ連のキューバ派遣軍、SA-2ガイドライン地対空ミサイルでアメリカのU-2型偵察機(操縦ルドルフ・アンダーソン空軍少佐)をキューバ東部バネスで撃墜(パイロットは死亡)
ロバート・ケネディ司法長官、アナトーリ・ドブルイニン駐米ソ連大使と接触
10月28日 「黄金の日曜日」
フルシチョフ、キューバからのミサイルの撤去を発表
11月9日 ミサイルを搭載したソ連の船舶がキューバを出港
アメリカの艦艇が併走し、ミサイル撤去を確認


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新規作成日:2002年2月25日/最終更新日:2002年2月25日