バウンティ号の反乱
バウンティ号の反乱
1789年4月
タヒチ島に赴いたイギリスの軍艦「バウンティ」(220トン)の乗組員が西インドへの帰途反乱を起こした事件。
フレッチャー・クリスチャンらがウィリアム・ブライ艦長と18名をボート(全長;23フィート)に乗せて追放(ブライらは困苦の末帰国)。
反乱者は一部はタヒチ島で捕われ、ピトケアン島に着いた9名も1名を除いて原住民に殺された(1808年発見)
映画に「戦艦バウンティ」というものがあるが、「戦艦」と言う部分は、正しい訳ではない。
ウィリアム・ブライ
William Bligh
1754年生、1817年没。イギリス海軍軍人。
キャプテン・クックの元で航海。
1787年 バウンティ号の反乱。当時バウンティ号艦長
ボートで船を追放されるが困苦の末帰国。
墓所、St. Mary's Churchyard at Lambeth(ロンドン)
サンファンバウテスタ号
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新規作成日:2002年2月26日/最終更新日:2002年2月26日