19世紀極東の海戦

スマトラ島の戦い

1832年2月6日
スマトラ島の港クアラ・バットーでアメリカのスパイス貿易船の船員が原住民に殺害された報復としてアメリカ海軍フリゲート艦「ポトマック」が同港を攻撃。
首長のポー・マホメット以下150人を殺害。アメリカ軍の死者2名 。


阿片戦争

1840年〜1842年
清の阿片輸入禁止政策をめぐるイギリスと清の戦争。
茶、絹などの対中国貿易赤字をによる銀流出を嫌うイギリスが、清へインド産阿片の輸出を行う。
清・道光帝は1839年、欽差大臣・林則徐を広東に派遣し、阿片の没収、焼却処分などの強硬策をとり、イギリスとの交易を禁止。
これに対し、1840年イギリスは清へ軍隊を派遣。
清朝は林則徐を罷免し、戦争回避を図るが不調に終わる。
1842年6月、清軍はイギリス軍に大敗。
同年8月、南京条約を締結。
上海など5港を開港し、香港をイギリスに割譲。


アロー戦争

1856年
Arrow War
広東港停泊中のイギリス国旗を掲げた帆船アロー号に対する清国官憲の臨検問題から起った、清とイギリス・フランスとの戦争
イギリス・フランス連合軍が勝利し、1858年に天津条約、1860年には北京条約を締結
第2次阿片戦争、アロー号事件




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新規作成日:2002年2月26日/最終更新日:2002年2月26日