運河

運河、英語では Channel チャネル、チャンネル、通路である。
陸地に水路を開き、船舶を通すものである。

世界規模のものでは、スエズ運河、パナマ運河が有名だ。

キール運河、なども有名。
国内でも、見沼通船堀(浦和市)、利根運河(千葉県流山市)、などがある。


閘門式運河
1.進入 2.3.排水 4. 出航
Pict_1185a. Pict_1185b. Pict_1185c. Pict_1185d.

1.進入 2.3.注水 4. 出航
Pict_1186a. Pict_1186b. Pict_1186c. Pict_1186d.

スエズ運河
エジプトのシナイ半島を通り、地中海と紅海を結ぶ。
掘削による、平面航行方式の運河。
1805年よりエジプトは、事実上太守ムハンマド=アリーの支配下に置かれ、彼のもとで近代化に着手、外交・軍事などでフランスに接近した。
フランスの外交官フェルナンド=ド=レセップスは、1834年よりカイロ領事となり、1854年11月末、かねてよりの念願であったスエズ運河建設の許可書を手にした。国際スエズ運河会社をつくり、会社が工費のすべてを負担し、完成後は、毎年運河の純利益の15%をエジプト政府に支払い、通航料は会社とエジプト政府との間で決め、どの国の船も一律とすること、などが決められた。
1858年12月、資本金2億フランの国際スエズ運河会社が設立され、40万株が公募された。20万7160株をフランス人が、17万7642株をエジプト政府が引き受けた。残りは他のヨーロッパの国々の人が買入れた。
このころイギリスは、インドへのルートとして、スエズ・アレクサンドリア間の鉄道建設を始めており(1859年完成)、レセップスの運河計画に激しく反対していた。だから、イギリスからはもちろん1株の申込みもなかった。
1859年4月25日、レセップスは地中海岸の突端で起工式をあげた。起工式が行なわれたところには地中海側の出口として新しい港が作られ、当時のパシャの名前をとって「ポートサイド」と名づけられた。工事は、このポートサイド側と、スエズ側(航海側)と同時に進められた。
焼けつく太陽のもとでもくもくと土を掘る労働者は、エジプトの農民であった。パシャの命令で、多いときには1度に3万人が3ヵ月ずつ、無給で、朝の4時から夜の10時まで強制労働にかり出された。重労働による農民の死亡率は著しく高かった。工事中の死者は少なく見積もっても、12万人に達するという。
レセップスは、起工式の日、エジプトの労働者に向かって「あなたがたが運ぶものは、単なる土ではない。それは、あなたがたの家庭とこの国に、繁栄を運ぶのだ。」などと調子のいいことをいったが、事実はこのように悲惨なものであった。イギリスは、スエズ・アレクサンドリア間の鉄道建設のときはエジプトの強制労働に頼ったくせに、フランスによるスエズ運河建設の強制労働をさかんに非難した。
1869年3月14日、まず地中海の水が、5ヶ月遅れて8月15日、紅海の水が、それぞれビター湖に流れ込み、ここに世紀の大工事は竣工した。長さ168キロメートル、幅22メートル、深さ8メートルのスエズ運河は着工後10年の歳月を経てついに完成した。
11月17日に行なわれた開通式には、招かれたヨーロッパ各国の元首を乗せた48隻の船がポートサイドから、そしてスエズ側からはエジプトの軍艦が運河に入り、中間点のチムサ湖で合流した。
その後、エジプト政府は、運河をイギリスに売却し、78年に渡る、英国支配となった。その後、エジプトは、運河国有化を宣言。
1960年頃、キューバ危機やベトナム戦争が勃発し世界が激動する中、五洋建設(旧水野組)により、20年にわたる工事で、中東戦争勃発による工事中断を余儀なくされながらも拡幅工事を行った。


パナマ運河
中央アメリカを通り、太平洋と大西洋を結ぶ。
閘門方式の運河。
19世紀末にフランス人レセップスは海面式で建設しようとしたが、工事・資金難により会社は倒産し、マラリアと黄熱病により3万人が死亡する。その後、米国により水路を閘門で区切って、船を上下させる閘門式として1914年に開通する。
あまり知られていない話題としては、建設に日本人(青山 士)も従事しており、帰国後は荒川放水路建設工事に携わったことです。
全長約80km。途中でガツン湖を利用するが、湖面は標高26mの高度をもつため、太平洋側・カリブ海側に各3段の閘門(こう門)をもうけている。
19世紀末にレセップスが建設工事に失敗。1903年にアメリカ合衆国が幅16kmの運河地帯の永久租借権をえて、翌年工事を開始、1914年開通した。
1999年12月31日の正午をもってパナマ共和国の全面管理となった。
2002年10月1日から平均13%値上げされている。1999年に運河が米国からパナマに返還されて以来、通航料が引き上げられるのは初めてで、通航料は船の種類により7段階に分かれており、現在は1隻当たり平均4万6000ドル。
近年は1日平均37隻、年13,000隻以上の船舶が運河を通航しています。
運河通航の最大のメリットは輸送時間の短縮で、南米大陸南端のホーン岬を廻って太平洋から大西洋に航行するかわりに、パナマ運河を通航すると約21日も短縮できるのです。全長約80kmの運河通航の所要時間は約9時間です。
パナマ運河の幅は32.3メートルで、この幅を通航できる最大幅の船舶を、パナマックスと呼びます。

パナマ運河
幅:110ft(33.5m) 深さ:42ft(12.8m) 最大船体幅:106ft(32.3m)
閘門間は、牽引代車によって移動する。
Pict_1184a.

新パナマ運河(計画)
幅:180ft(54.8m) 深さ:60ft(18.28m) 最大船体幅:160ft(48.7m)
閘門間は、曳船により曳航される。
Pict_1184b.

関宿運河
Dcim0417/DSC_7762. Dcim0417/DSC_7765.



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新規作成日:2003年1月22日/最終更新日:2008年11月26日