陸軍第二造兵廠
沿革
- 明治9年: 陸軍砲兵本廠板属廠が元・加賀藩前田家下屋敷跡地の石神井川沿いに建設される。
ベルギーより輪入した火薬製造機械・圧磨機圧輪にて黒色火薬の製造を開始。
初期の製造所面積は約3万坪。昭和20年の終戦時には15万2千坪まで拡大。
- 明治12年: 砲兵本廠改粗により東京砲兵工廠板橋火薬製造所と改称する。
- 明治27年: 日清戦争勃発により、無煙小銃用火薬の実用を開始する。→黒色火薬から無煙火薬への転換。
*黒色火薬:硝石、硫黄、木炭を混合して作る。
*無煙火薬:綿や紙などの繊維状の物を硝化して作られる。
- 明治33年: 無煙猟用火薬の製造を開始→軍用火薬の需要減により、民間用の火薬製造を始める。
- 明治39年: 黒色火薬の製造を休止する。設備の一部を目黒製造所に移す。
- 明治44年: NN猟用無煙火薬の製造を開始し、従来の無煙猟用火薬の製造を中止する。
- 大正12年: 火工廠体制に一本化され、陸軍造兵廠火工廠板橋火薬製造所と改称する。
9月1日、関東大震災が起こるが、他所に比ペ、被害は少なかった。
14年: 軍備整理に伴う職工整理計画により、人員整理を行う。全従業員数は150人程度。
- 昭和6年: 火薬工場の製造工室を系統的に移設整備する。
- 昭和10年: NN猟用火薬の製造を中止。粗質無煙火薬で強力なマーズ猟用無煙火薬の製造開始。
- 昭和12年: 支那事変発生後、軍需動員法が発令され、休止設備の運転開始、全設備の昼夜操業が始まり、工員も大幅に増員される。→終戦時従業員数・2099人
- 昭和15年: 兵器本部の新設に伴い、火工廠は東京第二陸軍造兵廠と改称する。
- 昭和20年: 4月13日の空襲て被害を受ける。
8月15日の終戦により、73年の歴史を閉じる。
施設
1.圧磨機圧輪記念碑
幕未の文久年間に、幕府の命をうけてヨーロッパに派遺された、旗本の沢太郎左衛門が、ペルギーで購入した黒色火薬を製造する機械。
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2.野口研究所
二造時代、火薬の所究や燃焼実験・弾道実験等が行われていた。所究所の敷純内には、当時の建物が比段的残されている。
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3.トロッコの軌道跡
野口研究所内を通っていたトロッコの軌道は、現在の金沢橋を通り、十条の一造方面ヘ続いていた。
左は一造方向、右は野口研究所内
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加賀公園内の構造物
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2.野口研究所
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石神井川
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4.トロッコ軌道の橋脚跡
JR埼京線、線路の切り通しに残る、トロッコ軌道の橋脚跡。
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5.白洋舎
屋根部に土盛りした建物。
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6.理化学研究所
赤レンガを使用して建築された建物。
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7.愛歯技工専門学校
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石神井川
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8.レンガパーク
二造で使用されたレンガ建物の一部を利用して作られたモニュメント。
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9.有功社
東京朝鮮学校側の壁に残るトンネル跡。
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10.大同化成工業
敷地内の建物のほとんどが二造当持のもの。
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石神井川
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11.火薬製造所跡
板橋火薬製造所設立の地。加賀西公園内に置かれている圧磨機圧輪が設置されていた。
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石神井川
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12.陸軍石柱
二造用地と民有地の境界線に置かれた石柱。
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13.門柱跡
二造へ入る入り口の門柱跡。
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14.陸軍消火栓
金沢小学校敷地内に残る、陸軍マークの付いた消火栓。
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赤●は、今回探索のポイント (各中心点を示し、周囲に及ぶ場合あり)
青線は、今回探索のルート
緑破線は、敷地の境界
赤線、赤破線は、トロッコの軌道跡
新規作成日:2004年2月22日/最終更新日:2004年2月22日