2350 横浜 篠原城址、キューピー第105回定時株主総会、新横浜ラーメン博物館

2350 横浜観測記 平成30年2月27日 火曜 晴れ 10:00 〜13:30

今日は、キューピー第105回定時株主総会があるので、新横浜へ。
例年、有楽町国際フォーラムで開催されていたが、今年は工事とかで、横浜マリーナでの開催。
と、付近に、篠原城址なるのものがあるので、寄り道を企画。

9:19西小山⇒9:30武蔵小杉⇒9:41菊名。
スマホで、地図がGPSの位置で見れるので便利。
9:58 篠原城址。
が、、ただの小山で、しかも閉鎖状態。。。

10:12 キューピー第105回定時株主総会へ。
質疑応答は6名程度。
11:20? 採決。11:28 出場。
参加者3000名程度か。
カゴメに比べてイマイチなイメージだったが、議事進行など丁寧だった。
質問者の指定は抽選方式なので、選択の公平性がある^^
おみやげにマヨネーズとドレッシングのミニセット。

11:39 新横浜ラントラクト。が、今日はお休み。。。

11:40-13:08 新横浜ラーメン博物館。
ちょうどお昼時で、数十分待ちの混雑。
12:00、13:00 約5分間の、テイスティング。

13:30 篠原城址。

14:04菊名・特急⇒14:11武蔵小杉⇒14:24西小山。

今日もTDSのダッフィーくん、シェリー・メイちゃんのぬいぐるみを連れて行って、いっしょに撮影。今日のお洋服は、セーター。

今日のレンズのラインナップは、18-140。
D7100/18-140
撮影枚数約170。 うちのダッフィーくんが28。


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新横浜ラーメン博物館は、館内が昭和33年のレトロな町並みが再現された、世界初のフードアミューズメントパーク。全国選りすぐりのラーメン店が軒を連ねます。ラーメン文化と歴史を学べるミュージアムのほか、お好きなスープ・麺・ たれ・油・具材を自由に組み合わせて自分だけのオリジナルラーメンを作れる「マイラーメンキッチン」が人気です。ミュージアムショップでは全国のご当地 ラーメンやグッズが購入できます。
住所 〒222-0033
神奈川県横浜市港北区新横浜2-14-21
電話番号 045-471-0503
FAX番号 045-471-0502
ホームページ http://www.raumen.co.jp/
開館/閉館時間 平日 11:00~22:00
土  11:00~22:30
日祝 10:30~22:00(日によって変動あり)※詳しくは公式HPへ。
休館日 無休
アクセス ・JR横浜線「新横浜駅」より徒歩5分
・横浜市営地下鉄ブルーライン「新横浜駅」8番出口 徒歩1分


新横浜ラントラクト
新横浜ラントラクトでは、「いつでも休息できる場所をビル街の真ん中に」をコンセプトに、 高さ25mの山、四季折々に変化する樹木、滝が流れる空間を演出しています。3つのフロアには、カフェ、グリルレストラン、ジャズの生演奏が楽しめるバー、インド式リラクゼーション「アーユルヴェーダ」、占いの部屋など、5つのショップが楽しめます。
住所 〒222-0033
神奈川県横浜市港北区新横浜2-15-4
電話番号
ホームページ http://www.lentracte.jp/
開館/閉館時間 店舗により異なります
休館日 店舗により異なります
アクセス ・JR横浜線「新横浜駅」より徒歩 5分
・横浜市営地下鉄ブルーライン「新横浜駅」8番出口より徒歩1分


横浜アリーナ
武道館の約3.2倍の横浜アリーナの面積は8,000平方m。最大収容人員1万7000人を誇る日本有数の規模の多目的ホールです。可動式の観客席はコンピューターで制御され、内外の有名アーチストのコンサート・見本市・各種スポーツ競技大会など多彩な興業が行われます。


篠原城址
神奈川県横浜市港北区篠原町2564?16

JR東日本 東海道新幹線 新横浜駅"篠原口出口"の前に聳える古代半島だった丘陵の住宅街の中に"一部だけ現存"する城址。
城址としては大半が宅地化で破壊された。しかし部分的に旧状を留めている。
新横浜駅裏手の新横浜東口店から城址の丘を登ると入口に当たる喰い違い虎口状の生活道路の横に、鎌倉公方時代の城に多い大空堀の跡らしき片側の土塁が撤去された駐車場が有ったり、山頂部の藪の中には堀切等が残る。

戦国時代に北条家がこの城を接収して以降、“篠原代官”として金子出雲守が配置され、その子孫は現在に至るまで篠原城址付近に住んでいる。

江戸時代の新編武蔵風土記稿を編纂した昌平坂学問所(東京大学の前身)の頭取、間宮士信(ことのぶ)公の祖先も小田原北条家臣で相模国十四騎筆頭の間宮家だったが、その同じ北条旧臣が編纂した「新編武蔵風土記稿巻之六十六橘樹郡之九神奈川領の中の篠原村」の項目に“小田原所領役帳”に金子出雲守の記載が有る事が紹介されている。
そこには篠原城の遺跡についても言及されており以下の様に紹介されている。

〇篠原村
-以下中略-
小名(こな:昭和の郵政法成立による住所改定まで使われれ番地に相当)
城山 北方の村境にあり、金子十郎の城跡なることは後に出せり
-中略-
古城跡
村の北の方にあり、金子十郎家忠の城跡なりと云、家忠居住の地は多摩郡金子村(現:調布市)の外にも所々にあり、恐らくは金子氏の子孫が砦のあとか、または当所の代官金子出雲が壘址(るいし:砦の跡)などと言わばさもあるべきか、今見るところ僅(わず)かに四五段許の芝地域は断崖の所ありてから堀の形も残れり
-以下省略-


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新規作成日:2018年3月13日/最終更新日:2018年3月13日