824 東京港 DD108 あけぼの 引渡式

824 東京港 観測記 平成14年3月19日 火曜 快晴 9:45〜14:30

今日は、DD108 あけぼの の引渡し式が、IHI石川島播磨重工業東京第一工場で行われるので出動。式典だけで、目立った動きもない行事なのだが、ここでの建造は、本艦を持って終了する。9:20有楽町⇒9:40晴海三丁目、晴海埠頭からDD108 あけぼのを撮影。艦では丁度、最終リハーサルを実施していたようで、艦旗が見えた。10:07頃IHI正門、今日は控え室を通らず会場へ。10:30頃、隊員整列。やがて来賓入場、10:57防衛庁長官政務官来場。11:00-11:04引渡し式、引き渡し書/受領書の交換(マリンユナイテッド社長⇔防衛庁長官政務官)、社旗降下にて終了。11:05自衛艦旗授与式(防衛庁長官政務官⇒艦長)。11:07?乗組員乗艦。艦長乗艦、防衛庁長官政務官乗艦。11:21?自衛艦旗の掲揚。防衛庁長官政務官の訓示。さてこの中で問題が。「汎用護衛艦」と言う所で「うっ」と口篭もり、次に出た言葉が「ぼんようごえいかん」。凡庸とは、演説ぶってるこの人の事だろうが、仮にも防衛庁が発注し、それを受領しに来た国会議員が、この程度の識字能力と言うのは情けないの一語に尽きる。シビリアンコントロールを声高に言うなら、その内容に付いて熟知しておく必要が有る。それ以前に、漢字の読み方ぐらい、勉強すべきであろう。「ふりがながなければ可哀相」と言う声もありそうだが、国会議員の学力レベルがこの程度で満足すべきとはユメユメ思わない。揚げ足取りに聞こえるかもしれないが、許される範囲とそうでない間違いとは存在する。海上自衛隊 護衛艦を「うみじょうじえいたい、おまもりぶね」なんて言うのと程度は同じだ。お腹かかえて笑い転げそうになったのだが、整列している隊員はぐっとこらえて直立不動で立派なものだった。現状報告と艦内視察〜11:45、その間、音楽隊の演奏。11:52式典終了。一旦退場、豊洲で昼食。
さて、出港だが、後ろ姿だけなのだが「帽振れ」も期待できるので、IHI岸壁から。13:20正門集合で岸壁へ。前回岸壁の南端へ布陣したがあまり成果が上がらなかったので、手前から岸壁の見送り風景を入れるべく布陣。13:55?出港。晴海通りの橋脚工事の都合からか、かなり沖まで曳いてくれたお陰で、期待の「帽振れ」の構図をゲット。14:15?作戦終了。岸壁では「愛国心と団結で正義の航路をひと筋に」「就役 祝 横浜工場でまってま〜す」の横断幕で見送っていた。
名残に船渠を見ながら撤収。

防衛庁代表: 防衛庁長官政務官 木村太郎氏、海上幕僚副長 経田勇海将、契約本部副本部長 河野美登海将補。
会社代表:マリンユナイテッド代表取締役社長 石川達氏、石川島播磨重工業代表取締役社長 伊藤源嗣氏、常務取締役・船舶海洋事業本部長 津田尚輝氏。

IHI石川島播磨重工業東京第一工場の歴史は、嘉永6年(1853)石川島造船所創業に始まる。この地は今の中央区佃で、現在の工場は、昭和14年(1939)に発足している。その後、石川島重工と社名変更し、昭和35年(1960)に播磨造船所と合併、IHI石川島播磨重工業として今日に至っている。
昭和31年(1961)初代「あけぼの」がこの工場で建造される最初の護衛艦(当時 警備艦)で、奇しくも2代目たる本艦が、最後の艦となった。
建造船舶は、防衛庁向け艦艇26隻、海上保安庁巡視船8隻、気象庁9隻、国土交通省(運輸省)15隻、その他客船、貨物船など634隻の、総数692隻に上る。


戻る TOPに戻る

新規作成日:2002年3月19日/最終更新日:2002年3月19日