尖閣警備

本項は 「海上保安庁パーフェクトガイド」掲載用として整理したものをもとに掲載しており、更新なき場合、2005年3月のデータにもとずいています。
また、掲載出版内容と異なる部分も多々あります。
新規作成日:2005年5月7日以前を最終更新日としているものは、準備資料のまま内容の更新がないことを示しています。


尖閣警備

尖閣諸島は明治28年1月14日の閣議決定により、正式に我が国の領土に編入されたが、当時、同諸島の領有権について問題となることはなかった。
しかし、昭和43年秋に行なわれた東シナ海海底の学術調査の結果、東シナ海の大陸棚には豊富な石油資源が埋蔵されている可能性があることが指摘され、これが契機となり昭和46年以降、中国、台湾が同諸島の領有権を公式に主張し始めた。
近年には、周辺海域で中国海洋観測船の調査活動が活発となり、また、中国による海底油田掘削などが問題となっている。
このような動きを踏まえ、海上保安庁では、尖閣諸島周辺海域の安全や治安を確保するために、第十一管区を中心に常時巡視船艇や航空機を配備し領海警備を行っている。
平成9年春には、抗議船や、わが国の団体による行動など、緊張が高まり、海上保安庁では、総力を挙げて領海警備を行ったため、予定されていた海上保安庁観閲式は中止となる事態も発生している。


関連する事案のうちいくつかを紹介すると
尖閣諸島の概要
尖閣諸島は東シナ海に浮かぶ我が国固有の領土で、魚釣島、久場島(黄尾嶼)、大正島(赤尾嶼)、北小島、南小島等の島々からなっている。
一番大きな魚釣島からの距離は、石垣島まで約90浬(170km)、沖縄本島まで約225浬(410km)、台湾までは約90浬(170km)、中国大陸までは約180浬(330km)の距離がある。
同諸島は明治28年1月14日の閣議決定により我が国の領土に編入され沖縄県の所轄となり、現在、魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島は土地登記上石垣市字登野城となっており、それぞれ地番をもっている。
明治29年ころには魚釣島や南小島でカツオ節や海鳥の剥製等の製造が行われており、魚釣島には、船着場や工場の跡が今も残っている。




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新規作成日:2005年5月7日/最終更新日:2005年1月18日