プレヴェザの海戦

1538年9月28日「プレヴェザの海戦」

参加兵力
ハイレッディン・バルバロス率いるオスマントルコ艦隊(122隻のガレー船、人員2万名)
アンドレア・ドリア率いるスペイン、ベネチア、ローマ教皇連合艦隊(308隻の戦艦、人員6万名?)

ベネチア領コルフ島が、オスマントルコ艦隊に襲われそうになると、スペイン王カール5世はアンドレア・ドリアに艦隊を任せてイオニア海に向かわせます。オスマントルコ艦隊の司令官バルバロスは、敵の連合艦隊の位置と規模を探らせるため、20隻のパトロール艦隊を送り出しました。
イオニア海の南端に近いザンタ島付近で、敵艦隊の先導艦艇を発見したパトロール艦隊は報告のために急いで引き返します。連合艦隊の司令官アンドレア・ドリアは、敵のパトロール艦に発見されたのを知ると全艦隊をコルフ島に集結することにしました。オスマントルコ艦隊の旗艦では緊急作戦会議が開かれ、数で優勢な敵が攻撃してくるまでは、オスマントルコ艦隊の基地であるアルタ湾内で待機すべきであるという意見が大勢でしたが、司令官バルバロスはこれを受け入れず、勝利をつかむには敵を奇襲するしかないと考えて攻勢に出ることを決意します。
戦闘が始まると、天候がオスマントルコ艦隊の味方となり、激しい豪雨と日光をさえぎる厚い雲、そしてオスマントルコ艦隊に有利な風向が連合艦隊を敗走させました。もともと連合艦隊には諸国間の相互不信があったので作戦を統一することが出来ず、司令官のドリアは小競り合い以上の戦闘を避けようとしたようです。また連合艦隊の艦艇の大半が老朽化していたことも敗因のひとつでした。さらにカール5世がスペインの利益を守ることしか考えていなかったことから、連合艦隊司令官のアンドレア・ドリアは会議や折衝で疲れ果て、半ば戦意を失っていたのです。


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新規作成日:2002年2月11日/最終更新日:2002年2月11日