リッサ海戦

1866年7月20日「リッサ海戦」
ユーゴスラビアのアドリア海リッサ(ビース)島沖でオーストリア27隻とイタリア海軍34隻とが対戦
数・装備で優れるイタリア海軍を、オーストリア海軍が衝角戦法と錬度で圧倒した
イタリアはヴェネチア回復を目指しプロイセンと提携
普仏戦争中、イタリアはオーストリアに宣戦布告
プロイセンとオーストリアが講和し、イタリアのヴェネチア回復は実現しなかった



両軍の兵力
テゲトフ少将率いるオーストリア艦隊(25隻、うち装甲艦7隻、非戦闘艦4隻)
ペルサノ大将率いるイタリア艦隊(35隻、うち装甲艦12隻、非戦闘艦9隻)



オーストリア艦隊の戦闘隊形

テゲトフ少将が指揮をとるオーストリア艦隊は、装甲した艦首を敵艦にぶっけて突き破る「衝角戦法」で戦う予定だったので、前後3隊に分けられた艦隊のそれぞれが、V字形の隊列を組みました。第1列は、装甲艦7隻が並び、テゲトフの乗った旗艦フェルディナント・マックス号がV字の頂点にありました。続いて第2列は、木造艦7隻からなり、旧式の戦列艦カイザー号に乗るベッツ将軍が指揮をとります。第3列は小型木造艦だけの艦隊であり、指揮官は砲艦フム号に乗ったエベルレ将軍でした。



イタリア艦隊の戦闘隊形

20日の午前9時頃、イタリア艦隊は、オーストリア艦隊に向って北上を開始しますが、木造艦は参加せず、装甲艦3隻も加わりませんでした。9隻の装甲艦で縦列を作ったイタリア艦隊は、先頭から3隻を前衛隊とし、司令官ペルサノは4隻目の旗艦レ・ディタリア号に乗って本隊を指揮していました。前方にオーストリア艦隊を発見したところで、何故か突然ペルサノ大将はレ・ディタリア号を停止させます。そして幕僚を連れて船を降りると、後続の新造艦アフォンダトーレ号に乗り移ったのでした。このことを前衛隊3隻には全く知らせなかったため、前衛隊と本隊との間には距離が開き、前衛隊には指揮官の所在がわからなくなってしまいました。戦闘中、アフォンダトーレ号のマストに信号旗があがることもありましたが、他のイタリア艦はほとんどこれを無視したようです。こうして指揮官を失ったも同然のイタリア艦隊は、各艦バラバラに戦うことになりました。



戦闘経過

午前10時頃、両艦隊は互いに見える距離まで接近しました。オーストリア艦隊司令官テゲトフ少将はマストに信号旗をあげさせ、次のような命令を出します。「装甲艦は敵を衝撃し、これを撃沈せよ。リッサにおいて勝たざるべからず。」
オーストリア艦隊の装甲艦7隻は、午前10時50分にイタリア艦隊の前衛隊と砲撃戦を開始すると、そのまま敵の背後に大きく開いた間隙に突入し、右に方向を変えてイタリア艦隊の本隊に突撃しました。イタリア艦隊の本隊は、4隻の装甲艦がオーストリアの装甲艦7隻と戦うはめになり、後衛の2隻の装甲艦は、オーストリア艦隊の第2列の木造艦すべてを相手にしなければならなくなりました。
北方向に遠く離れすぎてしまったイタリア艦隊の前衛隊は、もう戦闘に参加することが出来なかったのです。

オーストリアの装甲艦7隻は、イタリアの装甲艦3隻を包囲し、旗艦と思われていたレ・ディタリア号に砲撃を集中しました。激しい攻撃を受けたレ・ディタリア号は操舵装置が壊れて操舵不能になってしまいます。午前11時20分にレ・ディタリア号の艦長ファ・ディブルーノ大佐は、前方からオーストリアの装甲艦ドン・ファン・デ・オーストリア号が突進してきており、側面からは同じく敵装甲艦フェルディナント・マックス号がまさに衝撃コースに入ろうとしているのに気づきました。
敵の攻撃を回避しようとしても舵が動かないので、推進機関を一旦停止して後進するしかないと判断した艦長が艦を停止させたその時、敵艦フェルディナント・マックス号が速力11.5ノットでレ・ディタリア号の機関部に激突します。レ・ディタリア号の船体には鋭い刃物で切り裂かれたような大穴が開き、急速な浸水でたちまち沈没していきました。乗組員たちは「ベネチアはわが手にあり!」と叫びながら海に飛び込み、ファ・ディブルーノ艦長は沈みゆく艦上でピストルを使って自らの命を絶ちます。

オーストリア艦隊の第2列を率いるベッツ将軍の乗ったカイザー号は、イタリア艦隊の最後尾にあったレ・ディ・ポルトガロ号に襲いかかって衝撃に成功しました。しかしカイザー号が木造艦であったために、装甲した敵艦を貫くことが出来ず、反対に艦首が壊れてしまいます。イタリアの装甲艦レ・ディ・ポルトガロ号は反撃に出て、激しい砲撃をカイザー号に浴びせかけました。敵の砲弾をまともにくらって帆が燃え出したカイザー号は、もう1隻のイタリアの装甲艦アフォンダトーレ号の砲撃も受けるようになり、前部マストと煙突を失ってしまいます。
戦闘は午後12時20分頃までにおさまり、南北に分かれた両艦隊は互いに様子をみることにしました。夕方になるとイタリア艦隊が退却を始めますが、オーストリア艦隊はこれを追撃しようとはせず、ポーラ港に戻っていきます。
この海戦では、イタリア艦隊の2隻の装甲艦が沈没しました。レ・ディタリア号は、オーストリアの衝角戦法にやられたのですが、もう1隻の装甲艦パレストロ号は敵の砲撃によって撃沈されています。
イタリア軍の戦死者は620名、負傷者40名(戦死667名、負傷39名説もあり)に対して、オーストリア軍の損害は、戦死者38名、負傷者138名で、大きな被害を受けたカイザー号は修理が可能でした。


戻る TOPに戻る

新規作成日:2002年2月11日/最終更新日:2002年2月26日