ワルシャワ条約機構


ワルシャワ条約

1929(昭和4)年
国際航空事故に関する補償についての国際条約
航空機事故の犠牲者に対する補償の上限(約245万円)を規定
146カ国が締結
賠償限度額は1999(平成11)年5月28日に採択されたモントリオール条約で撤廃される

1955(昭和30)年5月14日
正式名称 アルバニア人民共和国、ブルガリア人民共和国、ハンガリー人民共和国、ドイツ民主主義共和国、ポーランド人民共和国、ルーマニア人民共和国、ソヴィエト社会主義共和国連邦及びチェコスロヴァキア共和国間の友好、協力及び相互援助条約
1954(昭和29)年11月 東欧8カ国が西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の再軍備とNATO加盟、西欧同盟加盟に対してモスクワで安全保障会議を開催
1955(昭和30)年5月 第2回会議をワルシャワで開催
 5月14日 ワルシャワで条約を締結
加盟諸国間の集団自衛、統一軍司令部の設置、軍縮、紛争の平和的処理、主権尊重、経済・文化関係の強化、平和共存等を規定
この条約に基づいてワルシャワ条約機構が置かれた
1968(昭和43)年9月 アルバニアが脱退
1991(平成3)年7月1日 条約機構解体
東欧8ヵ国友好協力相互援助条約


ワルシャワ条約機構

WTO
Warsaw Treaty Organization
Organizatsiya Varshavskogo Dogovora
WTO
WPO
1955(昭和30)年〜1991(平成3)年7月1日
1955(昭和30)年5月14日にワルシャワで調印された東欧8ヵ国友好協力相互援助条約(ワルシャワ条約)に基づき設立された社会主義8カ国の国際軍事機構
事務局はワルシャワ
条約の遂行機関として政治諮問委員会と統合軍司令部があり、本部はモスクワにおかれた
政治諮問委員会は純粋な軍事問題以外のあらゆる活動をとりしきり、統合軍司令部は加盟国にわりあてられた軍隊を統括(最高司令官はソ連からだすことになっていた)
原加盟国はソ連、ブルガリア、ハンガリー、ドイツ民主共和国(東ドイツ)、ポーランド、ルーマニア、チェコスロバキア、アルバニア(1961(昭和36)年以来不参加)
ドイツ連邦共和国(西ドイツ)の再軍備と北大西洋条約機構への加盟及び西欧同盟への加入を決定したパリ協定(1954(昭和29)年)の成立に対抗して作られた
加盟国中の1国に対する武力攻撃は全加盟国に対する攻撃とみなして集団的自衛権を行使することを規定し、その他軍縮、紛争の平和的処理、主権尊重、内政不干渉、経済・文化関係での協力なども目的とした
北大西洋条約機構と異なり直属軍隊をもたない
1968(昭和43)年8月20日 チェコ事件
 チェコスロバキアでの民主改革路線(プラハの春)が高揚したとき、加盟の5ヵ国の軍隊(ソ連、ポーランド、ハンガリー、東ドイツ、ブルガリア)が同国に侵攻
 運動を制圧した
1968(昭和43)年9月 アルバニア脱退
1991(平成3)年3月 軍事的機能が停止
 7月1日 解散


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新規作成日:2002年2月25日/最終更新日:2002年2月25日