情報の読み方と注意点

戦後50年を超え、日本で戦争が有った事さえ知らない人々も増えている。
未経験の分野・地域、それも、想像も出来ないくらい、時間的・距離的ギャップがあると、情報伝達の上で、さまざまな誤解を生む。


さて、

太平洋戦争当時の映像や再現ドキュメントで、当時の生活環境などが映し出される。
狭い部屋、竹細工のようなベットに、せんべい布団1枚。
「ここで従軍慰安婦などが生活していた」と言う解説に、
みな口をそろえて、「これはひどい生活だ、可哀相」と言うだろう。
ここで、注意しなければならないのは「何と比較して」なのかだ。
当然「従軍慰安婦」と言う立場の人が、自分たちや、(当時の)一般の人に比べて、気の毒だと考えるだろう。
では、(当時の)一般の生活は・・・。今、我々と同じような(豊かな)生活をしていたのだろうか。
この辺が大変な問題なのだ。
戦時中、日本中どこの家庭にも、ビデオやカラーテレビはなかったし、扇風機すらない家庭もほとんどだった。電話だって、商売でもしていなければ、普通の家庭には無かった。
戦後も、だいぶ経過した、私が子供の頃も、多少向上したものの、大差無い。
更に高度成長期を経過し、何十年もたつ今日、生活水準は、いっぱしの向上を見ている。
すなわち、この場合、当時の生活水準自体が、今に比べて貧しいのであって、そこで生活していた特定の人が、一般の人に比べて著しく貧しくはないのである。
更に言えば、畳などは、平安時代、皇室・公家など高貴な方々しか、もてない代物であり、それを今利用しているからと言って、高貴な生活とは考えないのと同じ原理だ。


海外ドキュメントで。
発展途上国や、紛争地域、難民を抱える地域において「一ヶ月働いて、日本円に換算して僅か800円」などと報道される。
見ているだれしも「これでは、とても生活できない」「気の毒だ」と思うだろう。
現代日本の我々では、とても3日も持たない。
しかし、現地の経済水準はどうだろう。
もちろん、彼らが、その収入を持って、日本に現れたら、それはとんでも無い、貧しい生活を強いられるだろう。
が、日本に比べて低い所得では有っても、日本に比べてかなり安い現地の経済環境なのである。
もし、普通の1ヶ月の生活費が300円で済むならばどうだろう。
所得の4割で生活が出来るとしたら、日本の我々より、はるかに裕福な生活を送れるのではないだろうか。
日本でも、30〜40年前、月の給料が10000円の時代が有った。
今日、不法就労の外国人でも、こんな金額では働いてはくれない。
単なるポイント同士の比較は意味を持っていないのである。

私がウラジオストクを訪れた頃、現地の人々の月収は、約3000P(ルーブル)だった。日本円に換算して、5000円前後だった。
当時の日本では、この経済格差から「ロシアは困窮している」報道をしていたが、私の見た市街は、とくにこれと言う物はなかった。
さて、当時のウラジオストクでは、路面電車が1P(ルーブル)で乗れていた。すなわち、月収で3000回も乗れるのである。日本では、月収で、都市交通に何度乗れるであろうか。人それぞれの所得や、地域差による料金体系も有るだろうが、とても3000回は乗れないだろう。すなわち、当時の日本の方が、生活経済としては貧しかったのである。
念のため付け加えておかなければなるまい。
ウラジオストクにも百貨店は有った。物不足と言われていたが、一通りの商品は並んでいた。ただ、その店先を、日本の賑わいと同じには考えてはならない。例えば便箋。日本では、20種類を下回った店は、品揃えが少ないと理解され、繁盛しない。が、ウラジオストクでは、1〜2種、しかも、わら半紙程度の品質だった。社会主義の計画経済では、商売の繁盛ではなく、手紙の内容を伝える用紙でさえあれば良いのである。


そして、もう一つ、町角でのインタビュー。
視聴者には、あたかも、世間の平均的な意見であるかのように受け取られる。
しかし、選挙でのNHKの出口調査のように、相当数徹底的に集計したものでなければ、かなり偏った意見と言う傾向が多い。
極端な場合、番組構成上期待する意見のみを収録し、或いは他をカットしたりする場合も少なくない。
最近表面化した例としては、沖縄の基地反対運動。
一般には、沖縄県全てが一丸となっているかのような印象を受けていたが、(希望としては反対でも)経済的事情から容認する立場を含めて、あの積極的反対論は、半分にも満たない事が表面化してきている。


「みんな言ってる」「周りの皆は同じ意見だ」
しばし聞かれる、多数派を構成する主張。
しかし、実態としては、どのくらいの規模で代表しているのだろうか。
最近はやりの「たれぱんだ」、みな口をそろえて「かわいい」「気持ちが安らぐ」と言う。
実際、爆発的売れ行きだそうで、この表現に誤りはないかのように思える。
しかし、関西では、「あほちゃうか」「むかつく」だそうな。もちろん盛大な販売はしていないらしい。
「みんな」とか「まわり」と言うのは、時と場合により、さまざまだ。
世代や、地域、数人の範囲から世界の規模まで、いろいろ有る。
また、その意見の重さも、大賛成、賛成、まあ賛成、反対はしない、などどこまでを賛成に含めるかもさまざまだ。
「ロシアでは物不足」では、この場合のロシアはどこを指しているのだろう。地球上の陸地の何割かを占める全土であまねく物不足なのだろうか、モスクワなど主要都市だけなのだろうか。
こういったバックボーンを含めて理解しないと、正確な状況は見えてこない。


前後の状況からの判断も必要だ。
「ロシアでは半年も給料が未払いだ」これが日本やアメリカなら暴動が起きている。
ではなぜ暴動にならないのだろうか。ロシアのスラブ民俗は、極寒に耐える耐乏生活にも強い民俗だ。
−でなければバルチック艦隊のように、半年もかけてやってきて海戦などとても出来ない−
だから、耐えられるのだろうか。真相は分からないが、「給料未払い」だけで終わる話ではなさそうだ。
「北朝鮮では餓死者が多数」と言う。
しかし、ある面映像では、やせこけた人も見掛けない。
太平洋戦争の頃、日本では、戦地の兵士も、内地の国民も、みな痩せ衰え、耐えに耐えていた。
−もちろん、食料生産量のうちの多数を、海上輸送の途上で失うと言う要素も有るのだが−
発表には、何らかの意図と作為が含まれていると見るしかないだろう。


もう一つ、面白い表現がある。 SF物で、得体の知れない輩が現れ「どこから来た」の問いに「宇宙からだ」と答える。
これなど、まさに、自分中心に周囲が動いている発想の現われだ。
まあ、映画の場合には、見ているもの中心にドラマが進行しないと理解できない面は有るのだが。
観艦式など全国規模の催しのおり「どちらから」の問いには「他県から」とは言わないだろう。
むしろ、○○町など、かなりローカルな回答さえするだろう。


このように、入ってくる情報を、ただちに現在の自分の環境と比較・判断する事は、まったく意味を持たない。
現場や周囲の状況を理解し、比較対象との、イコライザ、バイアスを正当に掛けてこそ、正しい理解が出来ると言う物だ。


番組の構成としては、とにかく、対象を気の毒に演出したいと考える。
さりとて、あからさまな捏造も出来ない。(たまに、やっているみたいだが)
手っ取り早いのは、錯覚によるトリックだろう。
もちろん、制作側でのヤラセや、意図が無いかも知れない。 しかし、見る側に誤解が潜在する以上、的確な情報伝達とは言い難いのである。
外国人は、陸続きの為、経済・文化・戦など否応無しの国際交流が永く続いてきたお陰で、こういった場合の視野と考え方が広い。
残念ながら、日本人は、鎖国が終わって120年しかたっておらず、しかも、ほんの最近まで、おかみ(公)は正しいとして、物事を理解する習慣が身に付いている。
そろそろ、こういった展開からの脱皮をしなければならない時期ではなかろうか。

情報の正当性 (2001.11.22)

公共報道、放送、印刷物に対する信頼性(期待度)は高いものがありますが、情報の正当性は、必ずしも同期しません。
これは、情報源、情報解釈、報道、全ての課程で、変動要素があります。
[情報源]
部内秘密に関する事項を口にする場合、秘密情報そのものを正確に口外しているのだろうか。あえて誘導する内容を言ってはいないだろうか。
「関係者」とされる情報源も、どのくらいの関係者なのか。匿名による、責任回避の度合いはどうなのか。
[情報解釈]
十分なノウハウのある者が、情報整理すれば品質は保たれるが、無知なる者が担当すると、誤りが多くなる。
特に、勝手な推測が混ざると、目も当てられない。
[報道]
原稿編集、制作の段階での、誤植、曲解など。


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新規作成日:1999年8月16日/最終更新日:2001年11月22日