沖縄戦ひめゆり部隊解散命令の解釈

99.8.15 日本テレビ 知ってるつもり 「ひめゆり部隊」の放送の中で

米軍攻勢で沖縄本島の南方へ追いやられ、逃げ場の無い状態で、軍から「ひめゆり部隊解散命令」が出され、少女達は路頭に迷った。親元へ帰れと言っても、既に回りは米軍、守ってくれるはずの軍隊から捨てられた、とされています。

確かにそのとおりです。仕事が遅くなって、終電に間に合うかどうかの頃に「帰宅命令」が出るのとは訳が違います。島の大半は、すでに米軍の制圧下ですから、親元に帰るなど不可能でしよう。
ただ、軍の立場ではどうでしょうか。
ひめゆり部隊は、救護班です。戦闘が続く以上、救護部隊は確保したいでしょう。彼女らの働きは、日本軍の大きな支えになっています。
しかし、戦局はすでに、日本軍に分はありません。残るは最終決戦でしょう。
最終決戦=全員決死隊となります。救護などと言う事は言ってれません。
そして、軍隊と同行する事は、一緒に玉砕する事を意味しています。
そういう意味では「ひめゆり部隊解散命令」は、彼女らを軍隊として守れないと言う情けなさはあるものの、若い命を巻き添えにしないと言う、大きな配慮からだったのではと思います。

従って、見捨てたと言うよりは、死地へ向かう一行から外されたと解釈すべきだと思います。
本土では、一億玉砕を準備し、女子供を総動員して、竹槍の訓練をしていましたから。
竹槍持って、一緒に突撃を命令される事を考えると、泣かせる温情ではないかと思います。

もう一つ、実例を加えておきましょう。
沖縄戦より前に、サイパンでの激戦がありました。
サイパン島には、今も「バンザイクリフ」と呼ばれる、崖があります。
サイパンでも、住民を巻き込んだ激戦が行われ、米軍の物量に玉砕しています。
この時、非戦闘員たる住民の多くは、捕虜となり辱めを受けることを潔しとせず、この崖から「天皇陛下万歳」を叫んで飛び降りたそうです。崖下には、千の単位の婦女子の遺体、海は真っ赤に染まったといいます。
その顛末が沖縄戦の司令部に影響していたかは分かりませんが、単に放棄した物とは違うのではないでしょうか。

沖縄戦玉砕直前、司令官太田海軍中将は、大本営へ打電している中で「平和が訪れた折り、多大な犠牲を払った沖縄島民に、格別の温情配慮を期待する」旨申し送っています。
軍の作戦を最優先する以上、島民の必要以上の犠牲を伴った事実は否めませんが、必ずしも、軍がそれを望んでいない確たる証拠ではないでしょうか。


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新規作成日:1999年8月19日/最終更新日:2000年5月5日