乃木大将
乃木大将と言えば、日露戦争203高地の激戦でも有名な、日本の将軍である。
が、昨今の調査では、戦術的には、名将とは言い難い側面が言われている。
幾つかのエピソードとして
・幼少の頃、食べ物の好き嫌いが有ると、母親に、嫌いでなくなるまで、食善に並べられ、好き嫌いがなくなったと言われる。
−現代では、児童虐待と言われるだろう−
・西南戦争の折り、軍旗を薩摩軍に奪われ、本来であれば切腹であるべき物を、明治天皇に救われた。その為に、明治天皇崩御に際して殉死している。
・日清戦争で、旅順の要塞を簡単に攻め落としている。その神話から、10年後の日露戦争で、再度旅順攻撃の指揮を任されるが、旅順の防備は格段に向上しているにも関わらず、戦術は同じで、あたら多数の犠牲を払っている。最終的に、旅順陥落の指揮は、児玉源太郎が執ったとされている。
さて、99.12.26サンケイ新聞の記事で、乃木大将発案の義手があった。
日露戦争の戦傷兵のうち、両手を失った物は、たばこも吸えないので、何とかならないかと、軍医らと研究し、画期的な義手を発明した。
価格は当時1個50円と、極めて高価であったが、乃木大将は、これを自費で作らせ、戦傷兵を巡って一人一人手渡したと言う。
乃木大将の遺産が僅か1000円と極めて少ないのは、この義手の購入に相当額をかけたものとされている。
乃木大将は、指揮官として優秀であったのか。
と言う前に、指揮官の優劣は何を判断とすべきだろうか。
戦闘において、上官の命令は絶対である。
しかし、その上官が、信ずるに足るかどうか、これは重要な問題だ。
少なくとも、乃木大将においては、この人柄からくる人望により、全軍の士気を高めてあまりあり、その乃木の軍隊であったからこそ、旅順陥落を成し遂げたに相違ない。
昨今の戦闘は、まさに電子戦、機械が戦っている。
しかし、全てが機械化されない以上、何らかの人員は必要であり、その指揮官は、人の命を預かる責任を持っている。
乃木大将は、総攻撃による犠牲を惜しまなかった。これは、戦闘中の指揮官として、情けを押さえた結果だろう。しかし、戦争の犠牲の尊さを知っていた。
戦争は国家がする。指揮官はその指揮を執るに過ぎない。しかし、乃木大将は、自らの軍隊を、家族と思い、みずからの指揮に殉じた者を忘れなかったのである。
新規作成日:1999年12月26日/最終更新日:1999年12月26日