海防艦「志賀」保存問題

旧海軍 海防艦「志賀」は、戦後、米軍の使用を経て、海上保安庁巡視船「こじま」となった。退役後、千葉市海洋公民館として、稲毛浜沖に繋留利用され、その後、周辺が埋め立てられ、すっかり陸の真ん中の存在となっていた。やがて老朽化の為、海洋公民館としての利用を終了した。
地域開発の一環として、解体されることとなったが、残存する唯一の旧海軍戦闘艦艇の経歴を持つことから、保存運動が持ち上がった。
しかしながら、諸事情により、保存されること無く、解体されてしまった。
現在、船橋内の機器の一部が、稲毛博物館に、船橋を模して展示されているほか、船首部分は、戦争博物館に展示されている。

さて、この保存運動の中で、水交会がからむ問題があったようだ。
水交会は、元「水交社」として、旧海軍士官の親睦団体であったが、戦後、海上自衛隊を含む、親睦団体となっている。

問題のくだりは「軍艦ではないから保存に値しない為協力できない」という旨の発言が
あったと言うことだ。
これをして、「旧海軍は海上護衛戦を軽視した現われだ」など、鬼の首をとったような発言が相次いだ。

保存運動サイドとしては「協力する」以外の意見は、とかく敵視表現が混ざる要素がある。
「帝国海軍艦艇」であっても「軍艦ではない」というのは、類別上の紛れも無い事実であり、「協力できない」というのも、団体と行政それぞれの立場を考慮するなどの要素も考えられる。
「軍艦ではない」という事実確認と、諸事情から「協力できない」が、「軍艦ではないから協力できない」などは容易に派生する問題だ。

私は、それぞれの立場でそれぞれの考え方が有るのは当然と思っていまる。
が、一部報道や、噂のように、いい加減な情報が「定説」となって行くことは、許されざる問題だ。

2003.1.15 電子メールで確認したところ「(財)水交会事務局」より回答を頂いた。
「ご質問の件、当会では一切そのような打診を受けたことはなく、これに関して諾否の検討をした事実も何らかの回答をした事実もありません。したがってこの件に関してコメントする材料を持ち合わせませんので、全く当会のあずかり知らぬこととお答えするしかありません。ご了承ください。」
ということだった。

この経緯については、更に調査を要するかもしれない。
しかし、この回答が事実とすれば、「水交会が海上護衛戦を軽視して、保存運動に協力しなかった」という解釈は、非常に問題なことである。

思えば、旧海軍の「水交社」時代はともかく、現在は海上自衛隊関係者が多数を占め、海上護衛戦、海上防衛の見識は、第一とするものである。
されば、「軍艦ではないから保存に値しない為協力できない」というのは、不条理極まりないものだ。
もちろん、積極的に保存運動に参加したという事実も無いから、今一歩の姿勢が無かったことは残念であるが、しかし、海上防衛を礎とする会としては、前面に出る以上は資金的協力は不可欠であろうし、その意味では、旧軍の象徴として「三笠」を残す現在、建造時は海防艦であっても、巡視船や海洋公民館としての「人生」が長い艦に対し、消極姿勢であったことも、やむをえないことかもしれない。

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海防艦 志賀/こじま
残念ながら98.1解体されてしまいました(96.4.7 千葉市 海洋公民館 こじま)

稲毛記念館
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新規作成日:2003年1月15日/最終更新日:2003年1月19日