バスジャック事件に寄せられた共立女子大教授の見解「日本の男達の不甲斐なさ」他

先日発生した、中国自動車道でのバスジャックの一件に関して、 共立女子大の木村治美教授から、事件解決直後に寄稿されたという文章が、5/16産経新聞に掲載された。

1.男性乗客は、なぜ制圧できなかったのか
2.逃げた乗客は、残ったものの危険を考えられなかったのか
3.こういった周りのことを考えられない風潮がよくない
が要点だった。

しかしながら、このような発言そのものが、矛盾だらけで自分勝手なものではなかろうか。人質となっていた乗客への配慮など、かけらも感じられない。

男性乗客は、なぜ制圧できなかったのかは、考えるまでも無い。 相手は凶器を振るい、何のためらいも無く切り付けるのである。従来型の犯人は、他に明確な目的があるから、不必要に罪状を増やすことも無く、実際に刃を振るうことが少ない。強盗なら金品が欲しいのであって、殺人罪で死刑と言うオプションは欲しくないのである。「近寄ると人質を殺すぞ」とわめきながらも人質を無事救出できた事例が多いのはこのためである。今回は違うのである。見境無く刃を振るう。隙を見て襲うには危険が大きすぎるのだ。また、バスと言う車内の構造を考えてもらいたい。「5人も居ていっせいに襲い掛かれば」というのは空論で、狭い通路では1対1の格闘しかできないのだ。 そして又、犯人が一枚上手なのは、男性乗客に危害を加えなかったことである。 犯人が切りかかってくればホントニ殺されるかもしれないことは乗客全員の認識だ。みすみす殺されるなら最後の抵抗を試みよう。ここで女性の場合、刃物に対して抗ってもたかが知れているが、男性の場合、必死の抵抗であるから、怪我をしても、もしかすると打撃を与えられるかも知れない。だからこそ、少年は、このような展開にならないように、男性を襲わなかったのだ。また、抵抗に失敗した場合、腹いせが他に及ぶことも必定だ。男性乗客が、先制をせず、状況を見守ったのは、被害拡大を防いだといって過言ではない。 おとなしくしていれば状況は悪化しないかも知れないが、抵抗に失敗すれば必ず殺されるという局面の場合、静観するのは当然ではなかろうか。まして他の乗客に刃を当てていれば、何をできようか。 ランボーや、役の上のシュワちゃんが居合わせでもしたら、あるいは隙を見て制圧したかも知れないが、あくまで一般の乗客で、武器も持たず、軍事訓練もせず、危険手当すら頂いていない方々に、何の責任があろう事か。ドラマではないのである。 「絶対になんとかなった」等は笑止千万である。乗客には、こういった事態の際、犯人逮捕の義務でも有るのだろうか。格闘の際、少女の首が切り落とされた場合、どうするつもりなのだろうか。

私は「女性乗客が、走行中のバスの窓から脱出した」と聞いたとき、これは容易ならざる事態が車内で発生していると直感した。 高速道路を走行中のバスから飛び降りれば、骨くらい平気で折るだろう。 しかし、それを敢えて行ったと言うことは、車内に残留すれば、骨を折る以上の危険が予想されたに他ならない。実際、狂人と化した少年が刃を振るっている。結果的に車内に残った人がとばっちりを食った面があるが、その局面で、脱出を試みるに何のためらいを要求できようか。水と安全はタダであって、平和ボケした日本の場合、特に事件の考察や、危機管理のシミュレーションなど、まったくされていないのである。犯人が事前に犯行の手順書を送りつけたときでさえ。まったく対処できず、ハイジャックされた事件からまだ、そんなに経過していない。

共立女子大の教授は、事件現場を肉眼で見ることも無く、茶の間で思いつくままの私見を述べている。 もし、そこまでの正義感を主張するなら、なぜ現場へ急行し、人質との身代わりを申し出なかったのだろうか。そして交代の瞬間、犯人を取り押さえでもすればよかったのだ。 そう、そんなことはとてもできはしない。だからこそ、無関係なものが、極限状況におかれた人々を、かくのごとき論評で、あたかも責任すらあるかのような発言は慎むべきなのである。 「他人のことを考えろ」と主張するなら、あのような論評をされた被害者の人々はどう考えるのだろうか。 そう言う程度のものが、大学教授として、教壇に立ち、若者を指導すること自体が、恐ろしくある。 確かに、世の中が、平和な時代が過去のものとなってしまった。人間性が薄れた、デジタル社会となって来ている。検討すべき点も、改善すべき点も多々ある。 しかしながら、論点を誤った今回の論評は、きわめて遺憾である。

人質の彼等がなぜそういう行動をとったのか。 彼等の意思を考察するとともに、現場の状況からくる必然も検討しなければ意味が無い。早めに狙撃や突入をせずに責められている公安当局とは立場が違うのである。

そもそもこの教授の意見は、男尊女卑社会を前提として物事を考えているだけなのではなかろうか。 呆れて物が言えない。

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新規作成日:2000年5月16日/最終更新日:2000年5月16日