まやかしの東急目蒲線(現目黒線)改善計画

2000.9.26から、東急目黒線が、地下鉄に乗り入れた。
これをして、便利になったと称するが、とんでもない。

かつて、東急絵目蒲線は、目黒と蒲田を約25分で走っていた。
3両編成で、1時間に10本くらい走っていた。

これを、輸送力増強ということで、4両編成で、1時間に8本としたが、 単位時間走行車両数は30両から、32両に増えたかもしれないが、 接続間隔は、6分から、7分30秒と伸び、平均待ち時間は増加して、不便になっている。

そして、地下鉄乗り入れのため、目黒駅の地下化が始まった。
元々目蒲線は、地上駅で、隣接する山手線の乗り換えは、30秒でもできていたので、 目蒲線が目黒駅に到着するときに、車窓から見えていた山手線に、乗り換えることも可能であった。
が、地下駅になると、乗り換えは約5分。しかも、地下3階からの乗り換えは、不便極まりない。
JRとの連絡口の癖に、改札が一度ですまず、JR、東急、別々に出入りすることになっており、 あまっさえ、地下化当初は、券売機も駅の果てにのみ設置されていて、 JRから乗って来た人は、一旦地下の端までキップを買いに行き、再びはるばる改札口に戻ってくるという、不便極まりない構造であった
。 -これについては、地下化当初の「私の指摘」に対し、東急電鉄が改善を図り、間に合わせではあるが、券売機を設置している-

2000.9に、いよいよ、東横線への乗り入れが始まり、目蒲線が分断され、目黒線と、東急多摩川線に分かれた。
しかし、もともと、目蒲線として、乗り換えなく目黒-蒲田間を利用できていたにもかかわらず、 目黒線と、東急多摩川線の乗り換えは、地上と、地下という、きわめて不便かつ配慮のない乗換えとなってしまった。

東横線へ乗り入れとはいえ、武蔵小杉まで、ゆくゆくも日吉か菊名あたりで、横浜までの乗り入れがなければ、まったく意味がない。

2000.9.26いよいよ地下鉄に乗り入れた。
営団南北線と、都営三田線だが、この2線に乗りたい場合は便利かも知れないが、もともと便利の良い都内のこと、別に乗らなくても済む。
むしろ、始発であった目黒駅が、通過駅となったために、座れなくなったという不快感があるのみだ。

しかも、営団南北線と、都営三田線の2線が、東急目黒線1線に流入する為、自ずと間引きが必要となる。
ここで、営団南北線と、都営三田線は、それぞれ、1時間10本なのだが、東急目黒線は8本であり、1対1の接続にならない為、後続の列車との合流と言う現象も発生している。
2003.3.18?のダイヤ改正で、ようやく東急目黒線も1時間10本となり、不完全な接続は解消された。
ただ、この時の宣伝が「便利になる」とあるのには、非常に気になる。
元々の方式が「不便」だっただけで、ようやく「まっとう」になったのである。
ダイヤというものは、相互乗り入れ当日に始めて調整されたわけではなく、何ヶ月も前から各種調整を図る物だ。
その段階から、列車数間引き調整の問題はわかるはずで、当初から調整していてしかるべき物である。


さて、何が問題かというと、この事業計画と、資金措置の関連である。
運輸政策として、「利用者の便を図る計画の費用を、前倒しで料金上乗せできる」という法案があり、 それに元づいての計画だからである。
そして、この料金上乗せは、目黒-洗足あたりの区間利用者の負担で補われた。
そこが最大の問題点である。
東横線乗り入れで恩恵にあづかるのは、川崎以遠の、東横線沿線の利用者であり、 地下鉄乗り入れで恩恵にあづかるのは、地下鉄利用者、むしろ、新駅の、白金周辺の利用者である。
本来の路線利用者の便よりも、通過利用者を優先し、費用負担のみさせているのである。
元来の利用者である、目蒲線沿線の利用者は、費用負担と、路線、駅の改悪による、不便、負担を強いられるばかりである。

これを、東急の、独力でやっていれば、別に営業計画の問題だが、 利用者負担を強いている以上、収まるものではなかろう。

あまっさえ、地下化以降、東急目黒駅などの駅員の質は、悪化の一途をたどり、横柄かつ不親切な態度は、それ自体不愉快である。
かつて、改札で「おはようございます」「おつかれさまでした」と言っていた職員は、もはや存在しない



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新規作成日:2000年9月28日/最終更新日:2003年4月4日