地球にやさしい、環境にやさしい のまやかし

ここ数年、地球にやさしい、環境にやさしい というキャッチフレーズが、企業イメージとして花盛りだ。

「環境に配慮しています」と一生懸命宣伝している。

しかし、そもそも、こんなことは、はじめっから配慮していて当たり前であり、最近になって、ことさら強調するものおかしな話である。

もともと、企業は、生産重視であり、工場廃液は垂れ流しが当たり前であった。
ま、これは、「おばあさんは川で洗濯に」と言うものの延長線でもあり、要は、大自然の浄化能力に期待し、目の前で汚れが薄まって行けば、やがて綺麗になるであろうと言う、前近代的な発想でもある。
排水が少量の場合は、大自然の浄化能力の下で綺麗になってしまうが、あくまで比率のも問題であり、全てが廃液を垂れ流してしまえば、自然浄化は不可能となる。
そういう意味で、昔はわからなかったことを反省し、改善するのは良い。

しかし、ことさら、それを宣伝するのは、どんなもんだろうか。
大勢の人を殺害した凶悪犯が、服役後「人の命を大切にしましょう」なんて言っているのと変わらない。

現在、声を大にして宣伝している企業の大半は、以前は、地球にも厳しい、環境にも厳しいことをしてきたのである。
黙って反省していれば良い。

また「環境に配慮しています」と言いつつ、その製品を製造するのに余計な資源を消費し、廃棄ガス、排水を行うようでは意味がない。
よく「水で良くすすげばこんなに綺麗」と言うのを目にする。
しかし、下水も処理が必要である。施設の能力として、絶対的な汚染物質の量の問題もあるのだが、下水処理場が広大なプールである以上、排水総量が必要以上に増えて良いわけがない。

環境にやさしい自動車を買えと言う。
では、在来の車を廃棄する為に、環境をどのくらい傷めるのだろうか。
そもそも、今ある車と別に、生産することにより、どのくらい不必要に環境をいためているのだろうか。
少なくとも、車1台の製造にかかる資源は、まるまる余分に消費されている。
すなわち「やさしい」なんてキャッチフレーズは、あくまで企業側の宣伝文句に過ぎず、実はそれほど実態を伴っていない。

そしてまた、そもそも、人類の存在自体、地球にも厳しい、環境にも厳しいのではなかろうか。
火をともすと言うことに始まった人類の文化、それ自体が、環境破壊の序曲ではなかろうか。



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新規作成日:2002年7月9日/最終更新日:2002年7月9日