北朝鮮の拉致問題

北朝鮮が、拉致事件を認め、5人の一時帰国がかなった。
その他の方々の死亡も伝えられるが、真相解明を待たねばならない。

さて、最近、気になる事がある。

「拉致」人権を無視した、とんでもない事である。
「原状回復」当然の事だ。

しかし、20年と言う時間は、単純なものではない。
家族にすれば、日本の家庭に復帰させたいのは当然である。
我が国の国家としても、国民の生命財産を守る義務からして当然だろう。
−もっとも、今回の拉致問題については、実際、我が国政府はなんら有効な措置をしていたわけではなく、単に北朝鮮側の政治的判断と、環境の変化と言う事も否めないのだが−

家族の声として「(北朝鮮には)帰したくありません、帰しません」として、我が国政府も、家族の意向に沿う形となった。

しかし、これはホントに正しい事なのだろうか。

主張としては、原状回復が第一点だ。
また、20年の歳月により、北朝鮮に洗脳され、あるいば順応された本人に代わって、本人の人権を主張すると言う。
もっともだ。

しかし、どうなんだろう。
原状回復と言っても、連れ去られた地点に戻るだけでは済まない問題も多い。
若返る事も出来なければ、生れた子供を元に戻す事は出来ない。
20年のかの地での生活が、なかった事にはならないのである。

帰国した本人の生活はどうなのだろうか。
それ以上に、子供たちはどうだろうか。
生れて今日まで、北朝鮮の人民として育っている。
それ以上に、友達を含めた生活があるのだ。

国や家族としては、拉致家族ごっそり戻ってくれば温かく迎えるのは当然だ。
しかし、温かさだけでは済まない。
言葉の問題、生活環境の問題。
そもそも、本人の意思主張はどうなのだろうか。

本人に代わってと言うのは、本人の主義主張を無視する事だ。
もし、突然「あなたは生れてこのかた知らされていなかったが、某国から連れ去られた人の子供です。だからすぐに、彼国に来て下さい」と言われて、「はい、そうですか」と来れるだろうか。言葉も通じない。家族、親戚と言われる人とも、面識はない。友達もいなければ、仕事も出来ない。浦島太郎以上の問題だ。
そんな暮らしが、ホントに幸せかどうかは、判断が必要だろう。

家族は、確かに、被害をうけており、この補償は必要だろう。
しかし、それは、単に、家族側の主義主張がまかり通るだけでは済まない問題も多い。
国の対面も、「家族ぐるみの帰国を果たした」と言う、表面的な成果に固執する事はなかろう。
今まで、なんら有効な対策を講じる事が出来なかった反省は、他にいくらでも果たせる事だ。

本人と、かの地に残された家族の人権。
単に、手続上で検討される問題ではないのである。

マスコミも、毎日のように拉致被害者と家族を追跡する。
本人のプライバシーなどまるでない。
当初から、大きく問題として知られている、横田めぐみさんの場合は一層深刻だ。
横田めぐみさんは、死亡が伝えられ、北朝鮮の夫との間の娘さんがある。
北朝鮮は、彼女に国運を委ねてさえいる。
政府マスコミ主導の、対面にこだわらず、家族に配慮した、実質的な解決が望まれるところだ。


さて、10月末の、日朝交渉が物別れに終った。
拉致被害者家族の声は「安易な妥協をしなかった事を評価する」と好意的だ。
家族側がそういうなら、それでも構わないのだが・・・。
しかし、5人の、北朝鮮に残した家族はどうなるのだろうか。
基本的に「ちょっと旅行に」と出かけている。
それが、日本側の流れで、そのまま永住帰国になるかもしれない。
しかし、残された子供はどうなるのだろうか。
彼らにとって見れば、結局は、親を奪い去られたに等しい。
拉致被害者家族は、被害者本人に「日本政府を信じて待て」と言う。
この20年間、なんの役にも立たなかった日本政府が信じられるのだろうか。
被害者本人にとっては、拉致と言う経緯は別にして、この20年来の生活を保証していたかの国の方が信じられもしまいか。
なにより、人道的とか、なにや節ををとなえる面には、トータルでの解決を年頭に置くべきではあるまいか。
現時点で、北朝鮮は、11月末の交渉を提示している。これは極めて異例の近い日程とも言える。
しかし、逆に、それでも1ヶ月も、親子が離れ離れでほったらかしと言う事である。
こんな馬鹿な話があっていいものだろうか。


2005.5.22 小泉首相が再び訪朝し、5人の拉致被害者の家族8名のうち、5名を連れて帰った。
これに対して、拉致被害者家族会は落胆し言葉を荒げている。
家族の心境も良くわかる。
が、例えば、他の事件や交通事故等で亡くなった被害者の遺族も「命を返せ」と思うこともあるだろう。当然の心境だ。
が、それがかなえられるかどうかは別次元だ。
命は物理的に戻らないが、さまざまな制約により、困難な問題も多い。
今回の訪朝で、小泉首相の無策を唱える声が多いのだが、それを言うなら、初回訪朝の成果を称えたほうが間違っているのだ。
トップ会談の成果もさることながら、そもそもが北朝鮮の政治的駆け引きのシナリオのうちなのである。
しいて言えば、北朝鮮の大きな誤算は、5人でも返せば、日本は北につくとでも思ったことであろう。
知らぬぞんぜぬを通しきれば、今日のような問題は出ていない。
歴史が戻せるなら、初回の訪朝は無かったことにしたいことだろう。
北朝鮮も失敗したと思っているに違いないが、日本政府も、大きな仕事が沸いてしまったことには変わりない。
脱走兵の問題も解決の見通しはない。

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新規作成日:2002年10月29日/最終更新日:2004年5月23日