生徒に血判を押させる教職員

2004.6.17福岡市南区の市立福翔高校の教諭が、授業中に居眠りをしたとして生徒にカッターナイフを渡し、指を切った血で反省文を書かせていたと言う。

教諭は、生徒にカッターナイフを渡し、指を切った血で反省文を書けと命じた後、一旦部屋を出て、戻ったときに生徒が実際に自らの血で書いていたため、あわてて一般の筆記用具に改めさせたという。
教諭は「ホントニするとは思わなかった」という。

ここには大きな矛盾がある。
仮に居眠りが悪いことだとしよう。
それに反省を求めることはよい。
が、血でかかせるほどのことか。
かつては教師は聖職で、その発言には偽りはなかった。
昨今は教師ほどいい加減な職業もない。

「ホントニするとは思わなかった」というなら、冗談でこのような危険なことを指示したのか。
発言内容には責任というものがあろう。
あるいは、この教諭の発言は、今後一切無視する程度の内容であるのか。


生徒の居眠りには2通りある。
生徒の不熱心が一つ。
しかし、これとて、熱意のある授業なら激減する。
もうひとつは、指導能力がなく、理解できない為だ。

難解な学科で、指導が困難なものも少なくはない。
しかし、通常の生徒の学力が及ばないのは、教師に問題があろう。
ただ、教壇に立つだけなら、サルでもできる。
サルが教壇に立てば、少なくとも生徒は居眠りはしない。

そして、十分な学力を授からなかった生徒の将来の責任はどうするのだろうか。
一人の無能な教職員の労働者を保護するがために、あたら若者の将来の希望を潰すことは、許されない犯罪ではなかろうか。


さて、血判を要求したこの教諭、反省を言うなら、血の反省文を書くべきだ。
教師は生徒の範たるべきである。
生徒が血の反省をしたのに、教師が反省しないでは済まされない。
あるいは、腹を切ってもらっても一向に差し支えない。



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新規作成日:2003年6月26日/最終更新日:2003年6月26日