孫子兵法

BSの番組欄に「孫子兵法」があった。
とりあえず録画を入れておいたら、ドラマだった。
と、毎週月火のようで、2話を見逃したが。。。


中国春秋戦国時代、群雄が割拠する戦乱の時代。斉国では田(でん)氏、鮑(ほう)氏、国(こく)氏、高(こう)氏の四大家系が国の高官に就いており、お互いに権勢を振るい、いがみ合っていた。そしてもう一つの家系・孫(そん)氏は田氏と同じ一族であったため国氏、高氏から敵視されていた。孫氏の跡継・孫武(そんぶ)と国氏の跡継・無咎(むきゅう)は親友であったが、二人は高氏の紫蘇(しそ)に想いを寄せるライバルでもあった。そんな中、国氏と高氏が孫・田一族を奇襲するが失敗、逆に一族を皆殺しにされてしまう。無咎は、孫武とその一族への復讐を心に誓い、紫蘇とともに楚へと逃亡する。一方、友情と恋を一度に失い、一族に失望した孫武も斉を離れ呉へ行き、自らの軍事知識をまとめた兵法書の執筆を開始するのだが・・・。


#1 天賦の才能
春秋戦国時代、中国は群雄が割拠する戦乱の世であった。東の強国を誇る斉(せい)では田(でん)、鮑(ほう)、国(こく)、高(こう)ら氏族からの出身者が国の要職に就き、氏族間で権勢を争っていた。ある日、晋(しん)燕(えん)連合軍が斉に侵攻を開始。孫氏の青年、孫武(そんぶ)も斉軍に入隊し敵の迎撃に向かう。孫武が属す小隊の隊長は敵の守備が手薄な山道からの進攻を決める。孫武は持ち前の洞察力で行く手に罠がある事を見抜き、小隊長と他の兵に作戦の変更を訴えるが、一兵卒である孫武の言葉を真に受ける者はいなかった。


#2 戦勝の確信
孫武が見抜いた通り行く手には敵の罠が仕掛けてあった。敵の矢に倒れた小隊長は孫武の才能に気付き、すべてを託し息を引き取る。そして孫武の巧みな作戦で敵の兵糧を焼失させることに成功する。一挙に昇進した孫武は国氏の跡継、国無咎(こくむきゅう)と出会う。孫氏と国氏は敵対関係にあったが、自国を守る二人の間には友情が芽生えていた。勢いに乗る斉軍の大将軍・田穰苴(でんじょうしょ)は宗北(そうほく)軍長に敵本陣への攻撃を命じる。ところが大将軍の作戦意図が掴めない宗北軍長は、命令を無視して敵前逃亡を謀ろうとする。


#3 切なき想い
無事に祖国へ戻った孫武は意中の人、高紫蘇(こうしそ)に告白する。彼女は敵対する高氏族の一人娘であり、国無咎の幼なじみでもあった。国無咎も彼女へ密かな想いを寄せており、三人の関係は複雑な様相を呈していた。一方、田穰苴は戦功を讃えられ大司馬(だいしば)の官位を与えられる。しかし孫武は宗北軍長殺害の濡れ衣を着せられ囚われてしまう。冤罪を訴える孫武ではあったが、死罪を宣告されてしまう。国無咎は孫武の無実を証明するため、唯一の証人を探すのであった…。


#4 友情の力
国無咎の働きにより無罪となった孫武は、国無咎と共に田穰苴の弟子となる。一方、朝廷内での勢力拡大をもくろむ田乞(でんきつ)は田穰苴と結託し晏嬰(あんえい)宰相からその座を奪う計画を立てる。田乞は手始めに晏嬰宰相が握る護衛兵の指揮権が田穰苴へ移るよう画策する。そして思惑どおりに指揮権を手に入れた田穰苴ではあったが、ある日、晏嬰宰相から楚(そ)の都で開催される諸国が集う和睦の会へ出席するよう言い渡される。田穰苴は孫武と国無咎を連れ楚へと旅立つが、その裏には田乞と田穰苴の陰謀を見抜いた晏嬰宰相の企みがあった。


#5 勝手な道理
楚王は太子妃に迎えた秦の女性に一目惚れしてしまい、自らの側室にしてしまう。これに異を唱えた重臣・伍奢(ごしゃ)は囚われ、息子の伍子胥(ごししょ)と伍尚(ごしょう)にも王宮への出頭命令が下った。一方、斉では宰相の座を奪おうと画策していた田乞と田穰苴は逆に晏嬰宰相の陰謀に掛かり官位を剥奪され、自宅に幽閉されてしまう。師匠の冤罪を晴らすため奔走する孫武と国無咎ではあったが、陰謀の影には国無咎の父・国范(こくはん)の姿が見え隠れしていた。氏族間の醜い権力争いは激化の一途をたどっていた。


#6 災いの火種
官位を剥奪された田乞はついに謀反を企てる。田穰苴の軍令を偽造し兵を集めようとするが、あえなく失敗に終わる。一方、楚王は婚礼に異を唱えた伍奢と一族全員を処刑してしまう。幸いにも難を逃れた伍子胥は国を逃亡し、孫武に助けを求める。孫武は伍子胥を郊外の別邸に匿うが、そのことを知った国范と高鷙(こうし)は兵を引き連れ襲撃に向かう。罪人隠蔽を口実に孫氏族の殲滅をもくろんでいた。伍子胥を斉から脱出させ別邸に戻った孫武の目の前には死体の山があり、その中に国無咎の父・国范の姿もあった。


#7 友から敵へ
孫氏族の殲滅を試みた国范と高鷙ではあったが、孫武の父、孫憑(そんひょう)の手によって逆に一族皆殺しにされてしまう。国無咎、高厥(こうけつ)と彼の妹の高紫蘇の三人だけが生き残り、家族と最愛の妹・莫離(ばくり)を殺された国無咎は孫氏族への復讐を誓うのであった。複雑な立場に立たされた孫武は国無咎との友情を確かめるが、彼の心からすでに友情は消えていた。家に戻った孫武は父の行為に失望し、家と国を捨てる決意を固める。そして祖父に別れを告げその場から去って行った。


#8 生きる厳しさ
国無咎ら三人は無事に斉を脱出し楚にたどり着いた。孫武を信じ続ける高紫蘇は平穏な暮らしを求めるが、国無咎の心には復讐の二文字しかなかった。彼は楚王へ付け入る手段として、太傅の位に就いている奸臣・費無極(ひむきょく)を利用することを決める。一方、国無咎たちを追う孫武は旅の途中で偶然に呉の老人と出会い、彼の言葉に深い感銘を受け一時の心の安らぎを得られる。ようやく国無咎を探し当てた孫武は同時に彼の謀略を察知する。そして謀略を暴くべく楚王のもとへ乗り込んだ孫武の目の前に、官職に就いた国無咎の姿があった…。


#9 国王暗殺
高紫蘇に別れを告げた孫武は、旅の途中で出会った呉の老人を訪ねていた。彼は教えに従い山奥でひっそりと暮らし、自らの兵法を整理し研究を重ねていた。一方、難を逃れた伍子胥も呉王に仕えていたが、警戒心の強い呉王に重用されることはなかった。そこで彼は公子・光(こう)と手を結び王位の奪還を画策する。ある日、伍子胥の前に孫武が突然姿を現し呉王暗殺の計画書を手渡しその場から立ち去ってしまう。孫武の計画を実行し暗殺に成功した光は呉王に即位、その名を闔閭(こうりょ)と改めた。


#10 兵法書の誕生
呉の重臣となった伍子胥は防衛強化のため城壁の改修工事を進めていた。ある日、楚から迫害を受けた伯?(はくひ)が呉に逃れて来た。伍子胥は自分と同じ境遇の伯?を呉王に推挙する。一方、孫武は長年の研究をまとめた兵法書を完成させていた。それは兵法の集大成であり、最も秀逸なる兵法書であった。その頃、伍子胥は人材を求め山中に住む老人を訪ねていた。老人から手渡された兵法書に目を通しその素晴らしさに度肝を抜かれる。すぐさま兵法書の作者を訪ねるとそこには孫武の姿があった。そして呉王・闔閭に孫武の登用を諌言するが…。


#11 卓越した用兵術
後宮の王妃たちを練兵した孫武は左司馬に任命され全軍の総指揮を託された。彼の卓越した用兵術により呉の国力は強化され、ついに楚の討伐を開始。手始めに禍の種である前王の息子・慶忌(けいき)の討伐に動き出すが、孫武を目の敵にする呉王の弟・夫概(ふがい)は孫武に勝負を申し込む。それは先に慶忌を討伐した者が全軍の指揮権を掌握するというものだった。勇んで慶忌に戦いを挑んだ夫概ではあったが、武術と戦術に長けた慶忌に歯が立たなかった。正攻法では慶忌に太刀打ちできないとする孫武は刺客を送る策を講じた。


#12 栄誉の価値
妻子を犠牲にして刺客となった要離(ようり)は、慶忌の懐に入り込み暗殺に成功する。呉へ戻った要離は英雄として讃えられ念願の栄誉を手に入れるが、妻子の後を追って自らの命を絶ってしまう。一方、楚では即位して間もない年若い昭王は貪欲な側近・費無極の言葉を鵜呑みにしていた。費無極は最大の政敵である申包胥(しんほうしょ)と沈尹戌(しんいんじゅつ)を追い払うため昭王を巧みに操り、ついには二人を罷免してしまう。費無極の行為に愛想を尽かした国無咎は楚を離れる事を決意する。


#13 神のごとき采配
侵攻を開始した呉軍は楚の都・郢(えい)に通じる三つの関所を一夜にして陥落させた。呉軍が領内に攻め入ったにもかかわらず、昭王は相変わらず国政を費無極に任せ遊びに興じていた。一方、楚を離れようとしていた国無咎は呉軍の侵攻を知り、復讐の好機到来とばかりに費無極の元へ引き返す。破竹の勢いで攻め入る呉軍に対し成す術がない費無極は、罷免した申包胥と沈尹戌を呼び戻し呉軍迎撃の策を講じさせる。そして国無咎も楚の将軍として迎撃に向かう事になった。


#14 呉と楚の猛将
陥落した三つの関所を奪還すべく沈尹戌は息子の沈子成(しんしせい)と出陣するが孫武の奇策に掛かり敗戦する。孫武は自軍が敗戦したと装い兵を撤退させ、更なる奇策で楚軍の出撃を待ち受けていた。孫武の罠を見破った国無咎は楚軍本隊を率いる嚢瓦(どうが)に出撃中止を訴えるが、国無咎を見下す嚢瓦は聞く耳を持たなかった。結局、孫武の罠に掛かり絶体絶命の危機に立たされ、逆に国無咎に命を救われる。沈尹戌と沈子成は敗戦した責任を負わされ楚軍から追放され、今や国無咎が全楚軍を統率していた。


#15 裏の裏
呉と楚の戦いはもはや孫武と国無咎の戦となっていた。楚の要所・麦城(ばくじょう)を守る史黄(しこう)は国無咎の命令に従い、籠城作戦に徹していた。何としても城から誘き出したい孫武は麦城前に祭壇を作り祈祷を始める。その行動を見た史黄は孫武を見下し呉軍に攻撃をしかけるが、罠に掛かり捕虜となってしまう。孫武は史黄を説得し呉に寝返らせ間者として楚軍へ帰還させるが、史黄は身の潔白を訴え一部始終を国無咎に打ち明ける。国無咎は孫武の策を逆に利用して反撃の糸口となる作戦を打ち立てるが…。


#16 非人道的な策
非史黄は三千の楚兵を連れ呉に投降した。忠誠心の証として楚軍との決戦に先陣を切ると名乗り出るが、裏を見抜いた孫武は史黄と三千の兵を厳重に監視していた。決戦当日、策を敷いたつもりの国無咎と楚軍は逆に孫武の策に掛かり大敗を喫し、止むなく柏挙城(はくきょじょう)へ撤退し籠城作戦に入る。さすがの孫武も敵の籠城作戦を打破する良策を打ち立てる事が出来ずにいた。兵糧が残り少なく焦りの色を隠せない呉王に伍子胥はある策を提案する。しかしその策とは孫武と国無咎の過去を弄ぶ非人道的な策だった。


#17 背水の陣
連戦連敗の楚軍は都の郢から目と鼻の先である清水河(せいすいが)まで撤退していた。国無咎は兵の士気を鼓舞し背水の陣で決死の戦いを挑むべく準備していた。正面対決を避ける孫武は自軍を後退させ敵の意表をつく心理戦を敷いた。孫武の策に掛かった楚軍は戦いの意欲を完全に削ぎ落とされ、もはや呉軍の敵ではなかった。勢いに乗り郢へと侵攻する呉軍の前に楚軍から追放された沈尹戌と息子の沈子成が立ちはだかり、二人は決死の覚悟で呉の大軍に突撃していった。


#18 決死の闘志
昭王は申包胥の報告で亡国の危機に瀕していることを初めて知り、虚報を続けていた費無極を処刑する。そして申包胥は国を救う唯一の方法として費無極の首をみやげに呉王に和睦を申し入れる。呉王は宿敵である楚と和睦を結ぶべきか否か迷っていた。楚軍を利用して孫武への復讐をもくろむ国無咎にとって和睦は不都合であり、彼の仕掛けた謀略により和睦交渉は決裂する。総攻撃を目前に士気を高める伍子胥と夫概とは裏腹に、孫武は戦わずにして勝つ策を練っていた。


#19 無戦開城
孫武は郢を無戦開城させる策として敵兵ながら国に報いた烈士の亡骸と捕虜を返還した。思惑どおり城内では呉軍を歓迎する声や国無咎を非難する声が聞こえはじめ、楚軍の戦意は徐々に失われていった。孫武の次なる策は楚王が唯一頼りにする申包胥と国無咎の信頼を失わせ、王と臣下の仲を裂く"離間の計"だった。若い楚王は策に掛かり、自分の命欲しさに国を見捨て逃亡してしまう。守るべき主君を失った楚はついに降伏、城門を開き呉王を迎え入れたのは他でもない国無咎だった。


#20 楚王の玉座
楚王の玉座に座り、意気揚々とする呉王と武官たちを余所に孫武は冷静に今後の計画を練っていた。孫武の助言により極刑を免れた国無咎は呉王に従順な素振りを見せるが、密かに復讐の機会を窺い、言葉巧みに伯?に接近していた。一方、楚王に一族を皆殺しにされ復讐に燃える伍子胥は逃亡した昭王の所在を必要以上に探し求めるが、見つけられずにいた。楚の討伐に成功した今、孫武は早期撤収を唱えるが、一族の恨みを晴らせられない伍子胥と遊興にふける呉王には撤収する気がまったくなかった。


#21 偽りの平和
楚の都・郢(えい)は混乱していた。呉王は申包胥(しんほうしょ)を宰相の座に就け民心を統治させることにするが、呉王を敵視する申包胥は従わなかった。結局、呉王に従順な為射(いしゃ)が宰相の座に就くが、息子の子西(しせい)には父の行動が理解できず、単身で孫武の暗殺を試みる。一方、国無咎(こくむきゅう)は呉王への不満を募らす弟の夫概(ふがい)を唆し復讐の道具として利用する。混乱の火種をまき散らし続ける国無咎はついに、亡き平王(へいおう)の妻・孟贏(もうえい)を呉王に引き合わせてしまう。


#22 民衆の怒り
呉王から寵愛を受けた孟贏は屈辱に耐えきれず首を吊って自害してしまう。この噂を耳にした楚の民は呉王への反感を強めていた。復讐に燃える国無咎の次なる謀略は伍子胥(ごししょ)を手伝い平王の陵墓の場所を突き止める事だった。国無咎の働きにより平王の陵墓を暴く事ができた伍子胥は民衆の面前で平王の遺体に鞭を打って一族の恨みを晴らす。だが、この事件が火に油を注ぎ民衆の怒りは頂点に達し、郢の街は呉への敵対心で満ちあふれていた。そしてついに孫武のもとへ黥豺(げいさい)が民に暴行を加えたと知らせが入る。


#23 愚行の末
楚人の心は完全に踏みにじられ民衆の怒りは爆発寸前だった。そして呉王らの悪行は逃亡中の昭王(しょうおう)の耳にも届き、楚の復興を決起する。一方、呉王は頑強に帰順を拒む申包胥の処刑を命じるが、過去に命を助けられた恩義を返すため伍子胥は彼を逃亡させてしまう。申包胥は無事に同盟国の秦へ逃げ延び援軍を嘆願する。何とか秦の援軍を得た申包胥は子西率いる義勇軍と合流し郢へ向け反撃を開始する。その頃、呉王の元へ越が呉の都・姑蘇(こそ)へ侵攻したとの知らせが入る。


#24 兄弟の謀反
呉王の弟・夫概は楚秦連合軍の迎撃に出陣するが、国無咎に唆され謀反を企てた夫概は敵との交戦を放棄し呉の都・姑蘇へ向かう。迎撃部隊を失い為す術の無い呉王は郢からの撤退を余儀なくされた。国外へ逃亡していた昭王も敵の撤退を知り、郢に戻り国の再興に着手する。一方、姑蘇へ戻った夫概は呉王の息子・終累(しゅうるい)を投獄、不服を唱える忠臣たちを容赦なく処刑し力ずくで王位に就く。自国の都は夫概に占領され、楚秦連合軍からも追撃される呉王は絶体絶命の窮地に立たされていた。


#25 兵法の奥義
孫武は周囲の地形を綿密に調べていた。圧倒的に不利な兵力で楚秦連合軍を迎え撃たなくてはならない孫武は地形的に有利な戦地を探していた。戦の幕が切って落とされ、呉軍を下目に見た秦の将軍・子虎(しこ)と子蒲(しほ)は手柄欲しさに呉軍を必要以上に追撃、罠が仕掛けられている蝴蝶谷(こちょうこく)に誘い込まれ大打撃を被る。孫武の奇策により敵の追撃を断ち切った呉軍は姑蘇に到着する。謀反を企てた夫概との新たな戦いが始まるが、強化された姑蘇城を攻略するのは容易ではなかった。


#26 決着の時
王宮内部へ通じる秘密の抜け道がようやく開通する。抜け道を利用し総攻撃を開始した呉王軍は怒濤のごとく反乱軍に襲いかかった。勢いに乗る呉王軍に歯が立たない夫概と反乱軍はやむなく降参する。完全に打ちのめされ、敗北を認め一人きりになった国無咎に対し救いの手を差し伸べる孫武。しかし復讐の念を燃やし続ける国無咎は孫武の首めがけ剣を振り下ろした…。その頃、紫蘇(しそ)は難産に苦しみながらもようやく男児を出産するが、精魂を使い果たしたその母体は危険な状態に陥っていた。


#27 絶えぬ野望
呉王は楚を破った功績を称えた"破楚門"を建造し、落成式の宴を三日三晩執り行った。近隣諸国にとってその振る舞いは横柄に映り、特に楚の戦意を刺激していた。国の復興を遂げた楚の昭王は秦・晋・宋の三国と同盟を結び、国辱を受けた呉に侵攻を開始する。連合軍の侵攻を知り憤慨する呉王に「私が父の代わりに出征します」と太子の終累が名乗りを上げるが、弟の夫差(ふさ)も同時に出征を志願する。息子たちからの出征の名乗りに喜びを隠せない呉王であったが、その背後には太子の座をめぐる陰謀が見え隠れしていた。


#28 水面下の争い
呉の国境を侵犯した連合軍に快勝した終累ではあったが、父・呉王との間に不協和音が生じていた。それをいいことに伯ヒ(はくひ)は終累から太子の座を奪取する方法を弟の夫差にほのめかし急接近する。一方、孫武は長年敵対関係にある越(えつ)討伐の要となる軍港の建設に着手する。自分の地位を案じた伯?は呉王の気を引くため新宮殿の造営を持ちかける。軍港の建設と新宮殿の造営が同時に進行したおかげで国の財政は圧迫され、職人のほとんどが新宮殿の造営に引き抜かれたため軍港の建設はほとんど停止状態だった。


#29 墜落への歩み
軍港建設と新宮殿造営のため増税した結果、民の生活は更に苦しくなり、国を離れる民が急増した。新宮殿造営中止を訴える太子・終累と呉王の溝は深まる一方だった。その頃、越王・允常(いんじょう)は呉王を訪問し、両国の和睦を申し入れる。その裏には軍港の完成を阻もうとする允常の陰謀が隠されていた。敵国である越の脅威が取り除かれたため、軍港建設は中止され新宮殿造営に全精力が注がれた。やがて新宮殿は完成するが、莫大な造営費用が注がれたため兵への報酬がおろそかになり、軍の統制と士気は堕落していた。


#30 伝説の刀匠
衰退した軍の立て直しを図る孫武は、越に勝る剣を鍛造できる名匠・欧冶子(おうやし)を訪ね兵の剣を作るようお願いする。欧冶子は娘の莫邪(ばくや)と娘婿の干将(かんしょう)を連れ都に上る。ところが越王の剣に嫉妬した呉王は欧冶子に兵の剣よりも先に自分の名剣を鍛造するよう命じる。欧冶子は必死に剣を作るが、呉王を満足させる逸品を作れないでいた。ある日、業を煮やす呉王に伯ヒは「鍛冶師を炉に入れると極上の剣が出来上がります」と告げる。それは刀剣界の伝説であり、すなわち欧冶子を炉にいれることだった。


#31 私欲の果て
国の将来を気遣う太子・終累(しゅうるい)は伯ヒ(はくひ)が新宮殿造営費を横領していたことを突き止め、父の呉王に報告する。翌日の朝議、証人として造営を請け負った谿工(けいこう)が呼ばれ、彼の口から横領の詳細とそれを裏付ける証拠が提示された。憤慨した呉王は直ちに伯?を投獄し息子の夫差(ふさ)に一切の審理を任せる。夫差は真相を暴くため伯ヒの屋敷を捜査し、財宝が隠されている秘密の部屋を発見する。横領の事実を知りつつも、太子の座を狙う夫差にとって伯ヒは必要な人材であった。


#32 国の大事
夫差と伯ヒの策略に掛かり「父が呉を滅ぼす…」と口走ってしまった終累は、父の激高に触れ太子の座を廃嫡されてしまう。必死に異を唱える孫武ではあったが、伍子胥(ごししょ)までもが廃嫡に賛成していた。その頃、越王・允常(いんじょう)が崩御、越王に即位した勾践(こうせん)は呉の進攻に備え策を練っていた。一方、允常が死去したことを知った呉王は、好機到来とばかりに越の討伐に動き出す。ところが孫武ただ一人が出兵に反対し、それに同調するかのように将軍たちも出陣命令の撤回を呉王に訴えるのであった。


#33 運命の出陣
越への出兵に反対する孫武が罷免されたおかげで、呉軍の士気は下がり統率が乱れていた。孫武はなんとかこの混乱を収束させるが、孫武を都に残したまま呉王自ら軍を率い越の討伐へ出陣する。孫武がいない呉軍に越王・勾践は奇抜な戦法で襲いかかる。呉軍は優位に戦いを進め退却する越軍を追撃するがそれは敵の策略だった。罠に落ちた呉軍は大打撃を被り呉王も敵の放った矢に倒れてしまう。重傷を負い死期が迫っていることを悟った呉王は息子の夫差を呼び寄せ、宝剣"湛盧"を手渡した。


#34 呉王崩御
重傷を負った呉王は息子の夫差へ2つの大事な言葉を残して息を引き取る。それは"越王・勾践への復讐"と"孫武を呼び戻す"ことだった。呉王に即位した夫差は孫武に復職を強く要請する一方で、戦争で衰退した国力の復興に全力を注ぐ。夫差の直向きな努力を見て取った孫武は復職を決意、手始めに軍事面の強化を図り、越に勝る剣の鍛造と軍港の再建を開始する。その情報を得た勾践は呉の復興力と孫武を脅威に感じ、すぐに打開策を講じる。それは佞臣・伯ヒ(はくひ)を利用し夫差と孫武を仲違いさせる策だった。


#35 義侠心
国中の刀鍛冶を集めて越に勝る剣の鍛造を試みるが、すべて失敗に終わる。孫武は前王の宝剣"湛盧"を鍛造した欧冶子(おうやし)の娘・莫邪(ばくや)と婿の干将(かんしょう)に再び剣の鍛造をお願いするが、父を殺された恨みから断られてしまう。孫武は呉王・夫差に欧冶子を追悼し、誠意を伝える必要があると諌言する。そして追悼式が盛大に行われ、ようやく夫差の誠意を理解した莫邪と干将は鍛造を引き受ける。これを脅威とする越王・勾践は莫邪と干将を暗殺するべく刺客を送り込んだ。


#36 絶世の雌雄剣
越に勝る剣の鍛造に成功した莫邪は、干将の遺志を受け継ぎ絶世の名剣"雌雄剣"を作り上げ呉王に献上する。一方、軍港の建設は着々と進み完成間近に迫ったある日、越の精鋭部隊に夜襲され軍港は大被害を被る。敵の夜襲が成功した背景に機密情報が漏洩していることを突き止めた伍子胥は間者の一掃に動き出す。手始めに宮廷内の官吏が徹底的に調べられ、間者が次々に捕えられた。そして驚くことに伍子胥に十年も仕えていた祖盾(そじゅん)までもが越から計画的に送り込まれた間者だった。


#37 間者の正体
町で反物屋を営む少康(しょうこう)が間者の首領であることを突き止めた伍子胥は、そこに思いもよらぬ人物が出入りしていることを孫武に告げる。それはほかでもない孫武の妻・タクセン(たくせん)だった。越にとって軍港は最大の脅威であり、少康はその地図の奪取をタクセンに命じていた。孫武は妻の疑惑を晴らすべく反物屋を伍子胥と共に監視する。そこへ地図を持ったタクセンが姿を現すが、店の前で立ち止まり逃げるように引き返して行った。タクセンの行動を目の当たりにした孫武は妻の正体と自分への想いを悟った。


#38 呉越の決戦
軍港が完成し水軍の演習が行われた。そこで孫武率いる水軍が無様な敗戦を喫してしまう。演習とは言え孫武は敗戦の責任をとり大司馬の職を辞任する。そのことを知った越王・勾践は好機到来とばかりに呉への侵攻を開始する。優位に戦いを進める越軍は勢いに乗じて呉の軍港へ攻め入るが、すべては孫武が計画した策略であり、罠に掛った越軍は大敗を強いられ、自国の都・会稽城(かいけいじょう)まで敗走する。会稽城を包囲した呉軍の勝利は目前であり、窮地に立たされた勾践は都を捨て会稽山へと逃亡した。


#39 滅亡への序章
越の都・会稽城は陥落した。亡国の危機に瀕した越王・勾践は決死の戦いを挑もうとするが、忠臣・范蠡(はんれい)と文種(ぶんしょう)の諌言を聞き入れ降伏を決意する。降伏を受け入れた呉王・夫差は前王の命を奪った霊姑浮(れいこふ)を処刑する。そして勾践も死罪に処すことを決めていたが、越に買収された伯ヒの働き掛けにより夫差は勾践の死罪を免じてしまう。伍子胥は必死に死罪を訴えるが、夫差は聞く耳を持たなかった。


#40 老いた英雄
一度は勾践の死罪を免じた夫差ではあったが、孫武と伍子胥の直諌により勾践を処刑することにする。しかし命乞いをする勾践を目の前にした夫差は再び死罪を免じてしまう。夫差には勾践を奴隷としていたぶり精神を破壊させる目論みがあった。まず手始めに勾践に越の王宮を焼き払うよう命じる。燃え盛る王宮を見つめながらへつらう勾践を高笑いする夫差、その姿を目の当たりにした孫武は失望する。そして今後の政治と戦いには携わらず、世俗から離れることを決心する。


#41 戦わずして勝つ
夫差の元に孫武からの辞表が届いた。万が一孫武が他国へ帰服した場合、呉にとって大きな脅威となることを悟った夫差は、謀反の罪を孫武に着せ自害を命じる。孫武は "自宅での自害"と"斉での埋葬"の二つを求め罪を認める。孫武は死んだ。棺の前で悲しみに暮れる黥豺(げいさい)に伍子胥がすべては孫武が世俗から離れるために仕組んだ一世一代の奇策であることを打ち明ける。孫武を熟知する夫差は、孫武の死去を確かめるため伯ヒを弔問に向かわせその死体を調べるよう命じる。




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新規作成日:2012年1月17日/最終更新日:2012年1月17日