まるしんの読書記(1)

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      No16  本音主義  太田竜一    農村報知新聞社     ¥1200

 農村報知新聞のHPの太田竜一氏のコラムが好きで欠かさずチェックいれているが、ある日突然過去ロッグが消えてしまった。あれほどの辛口なのだから、相当反発が合ったのかな、消えてしまうならば印刷保存しておければ良かったと悔やむ。ところが、どっこい。今回の新刊本の発売のために過去ロッグを消却したのである。商売が上手い。さっそく、予約して買った。内容を書くことは、読む楽しさを奪ってしまうので、後書きと山下惣一氏の前書き(発刊に寄せて)から抜粋する。

 このコラムを愛していただいた方々にお伝えしたいことがあります。私のコラムには原文がある。それはいつも締め切りギリギリにメールで新聞社に送るもの。その原文が一度もさのまま掲載されることは一度もない!(中略)原文をそのまま掲載することは、農村報知新聞にとって自殺行為であり、掲載される文章はこころもち過激度合いが薄まっている。(あとがきより)

 流通業者や消費者ならばわかるけれど、生産者がここまで書いていいの。と思うくらいのコラム集である。それでさえ原文からかなり割り引かれているなんて。いったい原文の過激度はどのくらいなんだろうか。除いてみたい。

 ただ、彼の主張には全面的に賛成できない。たぶん、気力、体力ともに最も充実した年齢であり、経営に自信があるからだろうが、主張が一貫として「強者の論理」で貫かれている。人間はそんなに強いものではないし、強い農業だけが持続するとは限らない。それこそ、さまざまであり、さまざまでいいのである。(後略 山下惣一氏の発刊によせてより)

う〜ん。なんとなくホッとするコメント。山下さんの著書があれば読んでみたい。(2002月10年22日)
      No15  斉藤一人のツキを呼ぶ言葉   清水克衛    東洋経済新報社  ¥1500

あきんど(商人)頭になれ

あきんど頭と客頭というものがある。商人頭とは、商売に不必要なものをギリギリまでそぎ落とすこと。その心構えを言う。商人はお金を入れるものであって、出すものではない。これを徹底しないと客頭になってしまう。

ツイてる ツイてる

 「ツイてる」と常に口ぐせにせよ。口ぐせにすれば本当についてくる。

商人は忙しそうに見せろ

店を忙しく見せる工夫をしろ。

人脈を作ろうとするな

ただの顔見知りがたくさんいても、何の役に立たない。無理して作った人脈より、自然に親しくなっていった人たちを大切にすること。

反省させちゃだめ

 完全主義・完璧主義ではダメ。反省は完璧主義のすること。あまり反省しすぎると、失敗が恐ろしくなって、また次に失敗する。反省するより、「ああ、よくできた。よくできた。次の時は、ここを上手くやれば、もうちょっとうまくいく」と思うことが大切。(2002年10月21日)
       No14  平成30年    上・下   境屋太一   朝日新聞社    各巻¥1500

この小説が書かれたのは今から二年前。つまり二十世紀末。それからデフレが進む今、再びインフレになるとはちょっと実感はない。副題が、なにもしなかった日本。

今から16年後の近未来の日本を予想した小説。平成30年。三大赤字「財政赤字」「貿易赤字」「企業損益の赤字」1ドルは¥240を越え¥300に迫る勢い。円高によるインフレはすさまじく、二十一世紀始めの頃の物価は三倍以上。失業率は20%。消費税は14%から18%に改正されようとしている。少子化と高齢化がますます進み、それにともない年金の支給開始年齢は年々遅くなる一方だ。

 都市への集中化と、それに伴う近郊都市のマンション群は高齢化マンション化する。地方の村落の過疎化は進み、日本海側の山林は酸性雨によりポロボロに。町の商店街は、今や風前の灯火。官僚制度はますます官僚化に。

 後半はその改革が書かれてあり、読む人のためにここではあえて書かない。登場人物が戦国大名にたとえておもしろいが、読書感は今ひとつだった。
 (2002年9月22日)
       No13  亡国のイージス  上・下  福井春敏   講談社文庫   各巻¥695

ひさしぶりに、面白い小説を読んだ。上下二巻一気に読み終えてしまった。サスペンス小説のストリーをここで書くほどのヤボではない。推理小説の犯人を教えるようなものだ。

 話のストリーは伏せるとして、読み終えたとき思うことは、ごく少数の考える人間と、ほとんど体勢を占めている考えない人間のこと。考えるのを放棄し、難しいことは他人(国・政治)まかせ・なんでも先送りするクセ・言い訳。自分の考えと思っているのは、実はワイドーショウ的に操られた、世情に流された多数派意見に翻弄されているだけ。そして、それが今の日本人そのものだろう。バブル・デフレ・国債・道路公団・あげたらきりがない。

 体制に身を任せるのが一番楽だ。不平・不満は世間の性にすれば気が楽だ。偉そうなことは私は言う資格はない。私自身、現実をなるべく逃避し、見ないふりをして楽な生き方をしてきている。これから先大きなツケを払うことがわかっていながら。
(2002年8月22日)
       No12 ローマ人の物語・ローマは一日にしてならず・上・下  塩野七生  各巻 \400

以前から読みたかった本が、買い求めやすい文庫本として登場。一気に読んでしまった。日本の歴史と違ってほとんど欧州。ローマの歴史は未知なだけに新鮮に興味深く読み終えることができた。キリストが生誕する以前の
ローマやギリシャは多神教であったこと。ローマ人による多神教の一番の利点は他を認めること。他の国の神様を認めたことである。このことは、ローマ人は他国と戦争・占領しても、そこの人民を虐殺・略奪・、奴隷化することなく、ローマ市民として受け入れたに繋がる。)

ただし、奴隷制度は存続していたけれど、奴隷が自力で解放されることも稀であるが可能であった。王政時代のローマの王様が終身制ではあるが、親族に引き継がれることはなく選挙・投票によって選ばれた。市民としての義務は16歳から45才まで兵役の義務があり、60才までは予備役とされる。

 古代の都市国家(ポリス)ギリシャにおいて、民主主義の政治が一時とはいえ、存在したこと。スパルタ教育の語源になったスパルタ。生まれたばかりの男の子は戦士になるか、ならないか決められ、なれないと判断されると殺されるか奴隷として生かされるしかない。なれると判断された子供は六歳すぎると親元を離れ戦士として厳しく教育される。

もちろん。ローマは数々の試練を受けた。ケルト属によるローマ包囲もそのひとつ。ターラントの戦いの苦戦などだ。それでも、ローマは少しずつ確実に勢力を広げていた。ひとつのポりス国家が、やがっての世界(当時の世界感覚として)を支配する大ローマ帝国へ。物語は、生まれた子供が壮年期にさしかかり、その芽をふいたところで終わる。次巻が楽しみである。

 二代目王ヌマは「ヤヌス神殿」の表と裏の出入り口を戦時中は開かれ、平和中は閉じられる。フマが統治した43年間は閉じたままだが、その死後、ずっと、わずかな期間除いて開かれたままであったそうだ。
(2002年7月1日)
        No11 ツキの大原則      西田文郎       現代書林    ¥1200

阪神タイガースが快勝が続いている。春の珍事というより、本来の力を存分に発揮しツキ、つまり流れに乗っているのだろう。対するわが愛するベイスターズは、逆のドツボにはまり、もがき苦しんでいる。将棋界の重鎮、羽生氏は「プロ野球は流れが変わるのが、見ていて一目瞭然であって面白い」と。

「ツイている人間と付き合え」これはツキをつかむ方法、運をよくする方法として、誰でもいうことだ。他に言うことがないのかと思うぐらい。みんなが同じことを言う。しかし、ツイている人間と付き合いたくても付き合ってもらえるとは限らない。ツイている人はツイている人しか付き合わない。ツキのない人は、絶対に付き合わないからだ。

ツイている人間を見て「あんなふうになりたい」「凄い」と思う=ツイている人間になれる要素がある。
ツイている人間を見て、「あそこまでやらなくても」とか「しんどそうだ」「イヤなやつだな」と思う=一生ツキから見放される要素がある。

だから、ツイている人間と付き合いたいならばツイている人間に「こいつと付き合ってみたい」「何としても付き合おう」と思わさてしまう自分をデザインしなければならない。成功した人間が共通して大好きなものが二つある。「熱意」と「感動」である。

物事を強きに考えて、相手と付き合う習慣を身をつけよ。
情熱を吹き込め、情熱以上の説得力はない。
No1のイメージを持ち、いつもNo1のイメージで語りかけよ。
リスクには進んでチャレンジせよ。相手はリスクなくして進歩なしを知っている。
一貫性を持って接すること。一貫性は継続的能力の表れていると相手は知っている。
自分のすべてをさらけ出してはいけない。相手の目には見苦しいだけだ。
夢を見続け、夢を語り続けること。夢のない人間は相手にされない。

昔から運も実力のうちと言う。今大逆境の米業界。一割未満と言われる米屋の生存率。ツキでもなんでも取り込みたいが、良きツキは己の態度次第ということだ。耳が痛い。(2002/04/16)
       No10  命の器         宮本輝       講談社文庫    ¥371

 エッセイ集の中の一つ。業界紙のコラムで紹介してあるのを読み、本書を購入した。

  運の悪い人は、運の悪い人と出会ってつながり合っていく。やくざの元にはやくざが集まり、偏屈な人には偏屈な人と親しんでいく。心根の清らかな人は心根の清らかな人と、山師は山師と出会い、そしてつながり合っていく。実に不思議なことだと思う。類は友を呼ぶということわざが含んでいるより、もっと奥深い法則が人と人との出会いを作り出しているとしか思えない。

 伸びていく人は、たとえどんなに仲良くても、知らず知らずのうちに落ちていく人と疎遠になり、いつのまにか、自分と同じ伸びていく人と交わっていく。実に不思議としてか言いようがない。企んでそうなるのではなく、知らぬ間に、そのようになってしまうのである。

 「出会い」とは、決して偶然ではないのだ。でなければどうして、「出会い」がひとりの人間の転機となり得よう。

どんな立派な尊敬のできる人と出会っても、肝心な自分の姿勢が悪ければ、単なる一時の出会いで終わってしまう。袖振り合うのも縁と言うが、活かすか活かさないかは己の生き様次第ということだ。無用にただ人脈を増やしても意味のないこと。肝にすわるエッセイであった。(2002/03/19)
       No9   時代が変わった    堺屋太一      講談社     ¥1800

 題名に惹かれて衝動買いしてしまった。かなり高い本なので(私にすれば)つんどく(積ん読)にならないよう、少ない私の小遣いのムダ使いにならないよう懸命に読んだ。

 「時代は変わった」まず、それを認識しよう。人間の行動は認識から始まる。「時代が変わった」とは、これまでの仕組みや仕方が変わるのは、もちろん、正義の基準も価値も尺度も変わったと言うことだ。変化を認め、自ら納得するのはむずかしい。官僚であれ、民間人、経営者であれ中間管理者であり、これまで自分が守り育てたきた基準や尺度を捨てるのは辛い。「他はともかく、オレのやってきたことだけは変わることはない」と思いがちだ。過ちは正し、不足は補い、新規の技術や道具を取り入れ、みんなでしっかりやれば良くなる、正義の基準や価値の尺度まで変えるべきではない、と考えてしまう。実は、これが困るのだ。仕方と仕組みを変えるには、これまでの正義と正当を捨てるしかない。それが、「時代が変わった」ということだ。

 時代は変わった。頭では認めていても、なかなかイザ自分の行動に活かそうとしても、なかなかふんぎりつかないのが現実である。せいぜい、それを慰めの言葉として利用して、自分を納得しているのではないのだろうか。甘えを許さず、きびしい現実に直視し、いいわけする前に、まずは一歩でも動こう。たとえ、その一歩が小さくても。(2002/3/18)
      No8    痛快!経済学        中谷巌     集英社   ¥600

 このような難しい主題の本は、なるべく優しく書いてあるのに限る。司馬遼太郎だったか、松本清張だったか忘れたけれど小説書くのに当たり、素材になる資料・参考書は小学生向けの本をまず読むという。この本もまさに小学校高学年から中学生が読んでも理解できるように書いてある。難しい経済用語やカタカナ文字を羅列する専門家の書いた本よりずっと役にたつ。

一つの規制のコストの例として減反政策のコストについて考えてみる。米の自給率を高めるために、農家の作った米は責任持って間政府買い上げるという食管制度に長い間守られてきた。その結果、自給は維持されたけれど、日本の米は外国産の米との競争力を失った。それでもかならず政府が公定価格で必ず買ってくれるので、ドンドン買ってくれるので農家はドンドン米を作り、需要に比べて米が大量に余った。

 そこで農水省は米の値段を下げるかわりに減反政策を始めた。減反施策とは減反の見返りに政府が所得補償すること。政府が税金から農家の所得補償金を出しているのだ。そこに日本の行き過ぎた農業政策・農業保護に批判がおきた。

 農水省の言い分としは、このまま単純にマーケットにまかせてしまうと、安い輸入米が大量に入り、米の価格がますます下がり、農家は米作りをやめてしまう。将来外国からの米輸入がなんらかの理由でストップしたとき国民は餓死してしまってもいいのか。いわゆる食料安保論である。

 この議論はたしかに説得力あるが、乱用しすぎて国内の農業はますます国際競争力をなくしてしまう。本当の食糧安保論は自国の農業の競争力を高めるよう努力しなくてはならない。

 米に関して記しているのはわずかであるが、基本的な経済用語を例をたっぷり含めて解説しているので、私のような経済用語オンチには、必読の本である。   (2002/3/6)
      No7   新・日本経済入門   石森正太郎プロ   小学館   ¥1200

 二冊続けて漫画。前半は不良債権や国債・郵貯・デフレからハイパーインフレについて書かれているが、ここでは省く。「二十一世紀は農業の時代」を中心に感想を書きたい。

「これからの時代、農業に注目している人が多いと聞いたことあるぞ」「だって、今の農業って後継者がいない上に・・減反などて衰退しているじゃないですか」「後継者といっても今は農業技術も発達しているから、たいした問題ではない。トラクターだって棚田にはいるような小さくて、しかも遊園地の電動パンダ並にレバーひとつで操作できる。簡単なオートマ車までできているしな」「減反は米の問題だろう。たいていの農家では、減反した後にトウモロコシなど植えているからか農業自体が無くなっているわけではない。」「世界的な食糧難とかはともかく、百貨店なども食品売り場の充実していないところは負け組になっているし・・・とにかく二十一世紀は食料の時代なわけだよ」

「さっき、害虫を防ぐのに、無農薬区画の周りを農薬区画で囲んだと言ったろう。日本は周囲が海に囲まれているが、まさに無農薬区画みたいなものだ」「外国では蔓延する病気もなかなか日本に上陸してこないから、それだけ農薬も少なくてすみ、安全性の高い作物としての追加価値が出る」「アメリカは完全に汚染されてしまい、食品店などが生卵を供することが厳しく禁止されている。日本が無菌箱の中に守られているからこそ、トリのさしみや卵かけご飯がたべられるのだ」

しかし、この本が書かれた頃はよその国の話であった狂牛病。今年国内で発見された狂牛病の原因が輸入された肉骨粉に原因あるとされている。国内に家畜の飼料がほとんど輸入たよりの今の日本にはたして、無農薬区画といえるのだろうか。また、著者はわが国の高温多湿の気象が病害虫が発生しやすいことを記していない。

「なによりも農業自体21世紀の再重要課題なのだ。特に危機感をもたらせているのが中国の食糧難。人工は増えるのに農村人口は減る一方・・その一方寒さに強い麦から米への転作。冷害がおきれば飢饉記もありえる。」

今、中国の食生活の洋食化により、多くの飼料を輸入する農業輸入大国になりつつある。また、アジアの米の穀倉地帯といえる、タイやインドネシアでは田圃をつぶして、エビの養殖に切り替える農家が多い。日本や欧米などが、高く買ってくれるからである。一度塩水いれて田圃をエビの養殖場に変えると二度と米作りはできない。インドネシアでは米の自給率100%以上だったのに、今や米は輸入にたよっている。タイ米で有名なタイも同じ道を歩もうとしている。先進国のグルメが貴重なる食料増産地帯をつぶしているわけである。

「農業は古くて新しい問題なんだ」「農業の時代がやってくる」「経済って巨大なバケモノは、どんなに姿を変えても結局は人間の生存本能から生み出されている。自動車もハイテクも結局は人間がより生きるために求められた道具だと」「そして環境が人間の生存に不適になりつつある現在、食料と医薬・・つまり、バイオの時代」「世界的に農業を重視せざるを得ない時代がやってくる。」

 最後に著者は21世紀の勝者として4つの条件を提示している。それは次の4K+@だ。
 1.環境・・・そう遠くない時代に世界的食糧難の時代が来る。環境破壊・人口問題など
 2.健康+高年齢化
 3.高速テクノロジー社会
 4.会員制
断片的な情報を構想力・創造力で磨き上げれば勝ち残るための情報力が手に入る。単なる情報力だけでは勝ち残れない。激動の時代にプロフェッショナルの常識は通用しない。先見性のあるアマチャアこそ成功できる可能性があるのだ。     
(2002/02/11) 
      No6    夏子の酒      尾瀬あきら   講談社    全12巻    各巻¥500     

この漫画が、ビックモーニングに連載されたのが1988年末。まだまだ世間には有機栽培も減農薬栽培も今ほど浸透されてはいなかった。私自身、その前年に初めて有機米を取り扱ったけれど、そのころは、有機米とは何かと説明しなければならなかった。もちろん、有吉佐和子の「複合汚染」などにより、農薬や化学肥料などの問題が指摘されてはいたが。
 
 物語は若くして夢なかばにして亡くなった兄の意志ついだ、作り酒屋の娘、夏子の物語。幻の米による日本一の吟醸酒をめざす。そして物語の前半が、日本酒の原料となる米作りの話である。農業を取り上げた漫画は珍しい。「釣りキチ三平」の著書の矢口高雄氏の農村・農家を主題にした漫画「かづみ」ある。が、これほど米作りそのものをじっくりとしかも、一般青年コミック紙で描いた漫画はない。


「なにがおかしいのですか。稲は薬や化学肥料使わなくても作れるのです。そりゃあ手間のかかる古くさい大昔のやり方ですけどね。」「バカ言え 有機農法は一番新しい21世紀の農業だ。やがって世界を席巻する。だがその前に戦争がある。おまえは参戦する覚悟があるか」(3巻)

「夏ちゃん うちは米だけではなく、麦やソラ豆なんかも農薬を使って作っている。だがうちの作物食って人が死んだなんて話はきいたことねえ」「俺たちの米が危ねえなら、今頃日本の人口は半分減っているさ」「半分に減ったならば農薬をやめるのか。死人が出るのは20〜30年先かもしれない。その前にあんたらがたは、自分のバカに気づかないまま長寿をまっとうする。そして、農薬漬けでボロボロになった土地が残る。それを誰が耕すのだ。あんたたちの子や孫じゃないか」(3巻)

「みんなをお金で動かしただけ。何一つも変わらない。」「こいつは、おかしいや。農家をなんだと思っとるんだ。お金次第で米づくりだって、なんだってやるさ。当然のことじゃないか。農家は今生きるか死ぬかの瀬戸際!!それが、いかんと言うのかね。農薬が体によくないことは百も承知だ。でも、それでも病害虫におびえてわしらは農薬をふる。たった一粒でも虫食いの米がありゃ値が下がる。」「命より金が大事。そこまで思い詰める、わしらの気持ち。あんたには、わからんだろう。」「きれいすぎるとただの世間知らずで高慢ちきなお嬢様にしか見えん」 (6巻)

「それじゃなにかい。俺たち百姓は儲けちゃいけないっていうのかよ。」「いかん」「厳しすぎる」「おまえは農業を厳しくないものだと思っているのか」「そんなこと言ってりゃ、俺たちいつまでも貧乏だ。」「貧乏?おまえは俺よりよほど裕福じゃないか。昔の百姓は貧困との戦いだった。だが、今は贅沢との戦いだ。こいつに負けて本来の目的を忘れる百姓がゴロゴロいる」「本来の目的って」「人の命を守ることだ。農作物は飢えの時も飽食の時も分かちあうものでなければならない。利益追求の手段であってはならない。生命の論理に立ち、自然に感謝し質素に生きること。それが百姓の条件だ。」(7巻)

「食うものがなくなれば人は、争って農家にやってくる。食うものが余っていれば、田畑なぞ見向きもしない。」「昔のことではない。おれは未来のことを言っている。飽食の時代など歴史から見れば、ほんの一瞬の出来事にすぎん。真っ先に飢えが訪ねるのは、自給率30%のこの国だ」(8巻)

この漫画に解説や感想などは無用だと思う。今こうして読んでも古さは感じられない。まして、前書の「コンビニ・ファミレス・回転寿司」読んだあとは。なおさらだ。なお、登場人物の大百姓の郷田という人は、実際に秋田県大潟村に実在していた。有機栽培の先駆者。やはり、まわりの農家から変わり者扱いされていたとか。今は、天国で有機栽培していることだろう。  (2002/01/31)
      No5   コンビニ  ファミレス  回転寿司   中村靖彦著   文春新書  ¥710

 この本は四年前の平成10年に発刊された。食糧自給率にふれているところで、ネギは100%と書いてある。が、昨年の中国へのセーフ・ガードが暫定的にネギに発動されたのは記憶に新しい。わずか三年で100%がセーフガードの対象になるほど落ち込むなんて。

 現代の食は、簡便志向派とこだわり派に分けられる。コンビニ・ファミレス・回転寿司・フード食品・惣菜屋が最盛期を向かえていること。最近の最近の若い人は「おふくろの味」は、袋の味。つまりレトルト食品のお袋の味なのだ。安い、早い、うまいの食生活は伝統的な食の原点を忘れたところに成立している。
 
 その一方、食へのこだわり派も勢い強めている。有機栽培の認知やこだわり栽培の人気得ている。本物を保証する認証制度もできた。しかし心ある生産者は「いくつかの有機認証団体が出来ましたが、だけれども最終的には、これらが全部崩壊しなければいけません。安全なオーガニック食品が当たり前にならなければなりません。」

 なぜ、米が余るか。米作りは徹底した機械化により労働時間が大幅に縮小された。たとえば10アールあたりの年間労働時間は稲作38時間。露地野菜110時間。温室・ハウスの野菜212時間。温室の花栽培236時間。このことが土・日・出勤前後の農家。また、米の収入は主収入でない兼業農家が増えた原因である。専業農家は今や全体の6%程度しかない。主にサラリーを収入している兼業農家が米に変わる野菜・豆などの手間のかかる転作などできない。したがって、米作りをやめることはできない。長年の食管理制度により、国が全量を買い取り収入の安定も一因。

 食管制度が崩壊し食糧法が施行された。価格は市場での入札で決まるようになった。当然、価格が過剰のため暴落の可能性がでる。しかし、これではコメで生計たてている専業農家への打撃が多き過ぎる。一方、勤めのかたわらコメを作っているサラリーマン農家はコメへの依存度ひくいのだから、それほど影響はない。そこで、政府は所得保障政策「とも補償」を導入した。とも補償とは、損する人に得する人が補償金する制度である。

 日本の食は砂上の楼閣。日本の飽食が砂上の楼閣である。また、飼料などは輸入。つまり他人まかせである。経済的コストを追求しすぎた結果である。
   
日本の農業・水産業の総算出額は12,4兆億円。一方、国産農水産物と輸入農産物を原材料に使った食品製造業は70兆円(1996年)。これを、日本の食料は輸入にたよりすぎていて、足下フラフラ状態と見るのか。まだまだ国内の農産水産物の需要があり、チャンスがあるとみるか。ただ言えるのは、食料不足になった。儲かるから農作物作りなさいよ。と、言っても農産物は工業製品とはちがう。荒れた土地では、まともな作物は育たない。また、国内の農地の絶対面積が、限られていることを忘れてはならない。

 他にも、残飯による都会のカラスの問題。子供の食・とくに食卓について(個食の問題)など考えさせられる問題を指摘。一読を勧める本である。
    (2002/01/30)
      No4  チーズはどこへ消えた    スペンサージョンソン著 扶桑社  ¥838

ご存じ、昨年のベストセラー本。マルチまがい商法の教材本として利用されているのも事実。著者しては不本意だろうが。当HPの掲示板はtcapの有料版。この有料掲示板のアドレスが大量にカキコミ業者に売られて、そこから、一時大量のマルチまがいの広告を書き込まれ、ついに閉鎖に追い込まれた。かきこまれているうさんくさいHPを試しに見ると例外なく、この本が紹介され、文章が引用されている。

今現在の漠然とした不安をあおり、今何かしなければならない。行動しなければならない。なら、どうするのか。新しい事にチャレンジしなさい。周りの人を巻き込みなさい。巻き込まれるよりはましだ。希望や夢、収入は信念が強い人ほど実現する。夢の実現は、信念により決まる。それには、どうすればいいのか。ここに、ひとつのサイドビジネスがある。ぜひ、取り組んで欲しい。今がチャンスである。そして、友達や知人に広げていって欲しい。成功は一人占めにしてはならない。以上は、マルチまがいがよく使う手法である。

変化は起きる。変化を予期せよ。変化を探知せよ。変化にすばやく適応せよ。変わろう。変化を楽しもう。進んですばやく変わり、再びそれを楽しもう。

たしかに、米業界に限らず、全ての業界の体質改善の時期に来ている。本音を言えば、近所・周りの同業者はこのまま眠っていて欲しいもの。

 過去を捨て、朝礼暮改に徹しなければならない。しかし、そのために自分で情報を集め、自分の頭で考え、自分の意志で行動しなくてならない。動かなければ滅びるのみだ。ただ、そこに甘い誘惑もあり、付け入られることも多い。水におぼれる者に、縄投げるふりして、石を投げるようなものである。騙されてから、気づいてもおそい。チーズは探すものではない。自分で作るものである。

同じような、トンデモ読本には、経営コンサルタント?フナイ氏の著書がある。いずれ、トンデモ本として取り上げたいと思う。
(2002/01/19)
       No3   ニッポンのコメ          大泉一貫     朝日選書  ¥1100

 米業界人が読むと、特に新しい事は書いていないし、一度は聞いたり、現実に直面していることである。が、読むことにより、改めて厳しい現況の理由が理解できる。米業界人ならば必読書である。

 米は食管制度崩壊後、いわゆる一般の消費財となった。 他の商品と同じように「買い周り商品」になっていることだ。つまり、わざわざお米を買いにいくのではなく、日用品やおかずを買いにいく感覚で購入しているのである。ほかにも持ち帰りがあるから10kgの袋は敬遠される。こうした変化は、コメの性格が「消費者のコメ」すなわち大衆消費財に移ったことである。

品種の改良等によりお米の味の産地格差は縮小傾向にある。また一年一作であり、その年の気候によりコメの品質の差は毎年異なる。新潟コシヒカリより美味しい青森産むつほまれが出来た年もある。また、格安偽物ブランド米を買う方も、中身が本物とは違うかもしれない。でも、まずまず食べらたし、値段が安いからいいや〜と買っていく。

食管制度から食量管理制度に変わり、川下の方はかなり自由化になった。米は自由化商品であり、かっての米の販売を担っていた米屋の衰退は大きく、淘汰されつつある。が、米の売り場は年々増加している。一方米の川上の方は、以前と食管制度の悪しき制度そのもの残っている。いわゆる、消費者のための制度でなく、農協のための制度、農協食料管理制度と陰口呼ばれている。既得権を離したがらない。

「消費者ニーズに沿ったコメ」消費者側は「私たちが満足するものを作ってくれたのならば支持するけれど、そうでなかったならば農家がつぶれても一向にかまわないよ」と考えていることである。

読みどころは、まだまだたくさんある。が、全てを書くとキリがないのでやめておく。米屋にとっては、かなり辛口の論評である。しかし、きびしいなかに、ヒントが隠れている。もう一度じっくりと読み返してみよう。             (2002.1.17)       
       No2  挑めばチャンス 逃げればピンチ  樋口廣太朗  PHP  ¥1150

著書はご存じアサヒ・スーパードライで一躍ビール業界の首位に踊り出た元アサヒビールの社長である。本来雲の上のような人の自伝を読んでも勉強にはならないのだが、題名に惹かれて買ってしまった。

問題が山積みのときこそ必要な発想の転換が必要である。そして、窮地の中で最も大切なのはいかにマイナス情報を集めるかである。そして、原因をつきとめて早めの損切りをすることである。

常に琵琶湖をイメージをする。琵琶湖は日本一大きな湖。海抜が低いため数多くの川から水が流れて込んでくる。企業も人も同じで、頭を低くして礼儀正しくしていれば情報は自然と入ってくるものである。琵琶湖のすごいところは琵琶湖の水が宇治川という一本の川に流れていること。ビジネスにおいて、集めた情報を一点に集中してこそ、最大限の効果を発揮する。

どんなものにも感動する感動を忘れてはならない。興味を示せば情報はどんどん集まってくる。しかし、「その話は聞いた」「そんな話はいい」とやってしまうと、もう二度と情報は集まらない。

本質を見抜くことは難しい。見抜くためには、常にまずなんでも徹底的に自分の頭の中で考えること。疑問に思ってもすぐに聞かずに、徹底して自分の頭の中で考えることである。いかに既成概念を打ち崩し、常識を逆転していくか。環境が悪いという結論からは前向きな発想はできない。前例がないからこそやってみる価値がある。

すんなりと読めた。本の後半は中・大企業の経営について書かれてあり、パパ・ママストァには参考にはならず。いつの日かパパ・ママストァから脱出・飛躍したいもの。

ピンチはチャンスと昔から言われている。が、私を含めてピンチはビンチのまま。ただ嵐が去るのをじっと待っているのみだ。ここが、いわゆる勝ち組と負け組に大きく分かれる分水嶺だ。いごこちの良い現状にとどまっている限り大きく後退するのみ。わかちゃいるけれど〜なんて甘たれことほざく前に、まずは動こう。なにもしないよりはマシだ。
         

若きころ旅先の夜行列車の車中で松下幸之助氏の「商売の心得」という本を読んでいたらば隣りの席にいたおっさんに、幸之助くらい偉くなれば、なんでもいえるよなぁ〜と。このオッサン仙台のパン屋さん営み東京へ研修の帰りだそうだ。が、この言葉が忘れない、同意してしまった私もちょっとヒネクレ者かな。   (2002/01/11)
       No1  情報戦に勝つ技術    長谷川慶太郎    幻冬舎  ¥1400

漫画も交えてあり、やさしい文面なので楽に読むことができた

デフレの世の中は、買いの天国。売りの地獄。過去のインフレ時の常識は非常識。非常識は常識になる。小泉政権に対する支持率の高さの最大の根拠は、買い手に天国をもたらすところにある。人口の大多数は買い手。国民の大多数がこれからやっ来る天国の時代に期待を持てると本能的に感じているからだ。

すべての人類の知的活動は自分なりの情報を形成する作業といっても過言ではない。頭の中で記憶している情報のみが、すぐに使える情報であると心得ること。本当に重要なニュースは頭の中に鮮明に残るもの。逆に言えば記憶に残らないニュースは、自分にとって重要でないニュースで、後で役にたつかも知れないと記事を切り抜いて、頭以外のところに残して置いても、使われずに忘れてしまうことが多い。

自分にとって興味あるニュースが脳の中に記憶され、これを情報として形成していくには分析という作業が必要になる。人間の頭脳のなかに記憶されたニュースは単独で記憶しているわけではない。多くのニュースのをかならず関連性のあるものとして位置ずけている。

より正確に分析をしていくために、また自らの能力を高めるためにも、特定の時期においては特定の分野のニュースの収集と分析に限定すべきである。すべてのことを浅く、広く学ぶことよりも、一つを深く分析するほうが情報力は身につく。                             

米の世界も例外なく、売り手の地獄、買いの天国である。米の市場も数年来の豊作と輸入米さらに米の消費の減少による大量の米の在庫。売る側のチャンネルの多様化。以前は米屋と一部農家の縁故米のみであった。

けれど今や、余るほどの商品の米を、米穀店・量販店・異業者・生協・各種通販・ネット販売・生産者の自家販売等と、多種多様の乱立。しかし消費サイドは年々小さくなりつつある。少ないパイを猛烈なる奪い合う事が現実である。こうなれば、付加価値もつけにくくなり、なにが差別化商品なのか、わかりずらくなっている。

その過当競争のなかで、さらに上をめざすには良質な情報を入手し戦略化していくしかない。良質な情報は数多くの情報の中から選抜、分析していくことであり、その答えを実行していって、初めて価値となるのである。

                                   (2002/01/10)