まるしんの読書記(2)

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No25  
      No24  1988年10・19の真実       佐野正幸   光分社  ¥619

 あの有名な川崎球場におけるパリーグ・ロッテ対近鉄・最終戦のダフルヘッダー。近鉄が二つ勝てば優勝。ひとつでも負け、あるいは引き分けると、全日程が終了している西武の優勝が決まる。ふだんは、カラサキ球場とやゆされた川崎球場もこの時は異様な雰囲気であった。球場内の弁当・ビールはすぐに完売し、完売することを悲しいことまで予想できなかった球場職員。今の様に統一された強制された応援ではなく、一球一球の声援とため息。選手と観客が一体化した、球史に残る試合になった。

 さまざまな伝説のあった川崎球場。外野席で流しそうめんやるファン。恋人たちの隠れたデート場所(静かで)外屋でキャチボールにずる人。流しのギター?一年間有効の内野招待席。(それが、現金卸の菓子問屋に山高く積まれて、ご自由にも、手を出す人はほとんどいなかった。と思う) 三冠王・現中日の落合選手がスタンドの客と試合前に話し込んだり。


 それは、ともかくとして一気に楽しく読んでしまった。著者の近鉄愛の本。でも。今その愛すべき近鉄はない。
(2005・4・20)
      No23 さおだけ屋はなぜつぶれないか? 山田真哉   光文社新書  ¥700

 難しいことを専門用語を多く使用して、解説することは簡単である。でも、難しいことを小学生でも、わかるように解説することは、難しい。

利益を出すには
      売り上げを伸ばす
      費用を減らす
のふたつの方法しかない。巷には、あらゆる金儲け本があふれているが、これも大別すると以上の二つしかない。

在庫は少なければすくないほどよい

チャンスロス。機会喪失。新たな売り上げの機会を失うこと。

「売り上げ=単価X数」は永久の法則。単価が上げられないのならば回転率を高める。ただし、いくら回転率を高くなったとしても、リピーターを作ることができなければ、いずれ回転率は落ちていく。

 難しい会計学を誰にでもわかるように、やさしく解説したお勧めの一冊。また「女子大生会計士の事件簿」角川文庫もお薦め。(2005.3.27)
       No22  日本の米       富山和子     中公親書   ¥760

米が他の穀物・作物を押し述べて、日本人の主食になれたのは、

1.栄養価が高く、栄養のバランスにおいても優れている。
2.生産性の高い作物
3.長期間の保存に耐えられる。
4.おいしいこと。

日本人が今日まで米を主食としてくることができたのも、また米を基本通貨とし、給料の役割、金の役割を担わせてくることができたのもの、そんな国が世界には他になく、またそんな時代をつい最近まで続けてくることができたのも、根底には「米さえ食っていれば」という「命の根元」への絶大な信頼があったからにはならない。

 反映を極めた古代ローマ帝国が滅びた原因の一つに、貿易に力を入れて、国内の農業を軽視したことにあるという。植民地を広げ、貿易を広げて、食糧を安く大量にそこから国内に入ってくるようになってしまい、自国内の農民の仕事が奪われ、失業し、土地を追われ、気がつけば国土は荒廃し、農業の担い手もなく、衰えていた。今の我が国の食糧自給率の激減を見れば、古代ローマ帝国と同じ道を歩むのだろうか。
        No21  飢饉      菊池勇夫     集英社新書     ¥660

砂上の楼閣の上になりたつ我が国の飽食の時代に絶対一読の書

 日本列島の歴史のなかで文献に記録をとどめた凶作・飢饉は古代から江戸時代まで370件が記録されている。約三年に一度の割合である。飢饉の直接的な多くの原因は自然災害に起因しているが、基本的原因は政治社会経済の体制の問題と深くかかわってきている。したがって、飢饉とは天災であるとともに人災でもある。

 自由放任経済に任すか、国家・行政によるコントロールか、いづれも飢饉という状況になってからでは遅い。食糧輸出国でも凶作になれば国家が自国民の保護を優先させるために輸出制限を加えるだろう。また食料輸出大国が人道支援を名目にしつつ、政治的取引の道具として利用しようとすることもある。

 食料の生産と供給という問題は、常に人間生命維持に直接かかわってくるがゆえに、市場原理に全て任せるというわけにはいかない。現代日本について言えば、不時の凶作・輸入急減に対する備えはどうか。食糧自給率をどのように上げるか、農村の活性化をどう作り出すか、といった食料政策は国家が国民に責任を負うべき問題として突きつけられている。

 国際分業だからと発展途上国からたくさん農産食品を買い、見返りに電化製品や車やパソコンを売って消費者ニーズに応えるのが、その国への経済貢献なのだろうか。あるいは、日本の食糧自給率をあげて、世界人口増に負担をかけず、飢餓している人たちにこそ食料が行く届くよう仕組みを変えていくほうが、国際貢献になるのだろうか。

 世界の三割に当たる人たちが今も餓えに苦しんでいる。食べ物を何不自由なく取ることが出来る立場にいる私たちは大切なことを忘れてはいないだろうか。食べることへの感謝の気持ちを。そして、今飽食なぞとほざいているが、日本人に限ってもの長い歴史のほんの最近の出来事で、未来永劫に続くとは限らない。
 
以前読んだ「痛快!経済学」中谷巌(読書記1を参照)食料安保論。「この議論はたしかに説得力あるが、乱用しすぎて国内の農業はますます国際競争力をなくしてしまう。本当の食糧安保論は自国の農業の競争力を高めるよう努力しなくてはならない。」と、述べてあるが単純に経済と自給率を同じにして考えてもいいのだろうか。
(2003/03/25)
        No20  コンピューターの気持ち  山形浩生  アスキー  ¥1500

 私が初めてパソコンを買ったのは平成に入ってまもなくのこと。たしか23万円も出してノートパソコンを一台秋葉原で買った。ハードデスクもなく、フロッピーデスクを作業用と記憶用をふたつ分けていれた。(当時はまだ5インチフロッピーが主流であり、パソコン雑誌の付録のフロッピーはほとんど5インチであり、さみしい思いをした。)もちろん白黒画面。またハードデスク内蔵型のパソコンは高くて、手がだせるものではなかった。三年前に始めた先輩はフロピーでもなく、カセットテープが記憶装置?でありソフトだと聞く。

 わけのわからないエムエスドスというOSによる作業命令(と、言っても私が使用するのは、コピーと初期化のみだが)一太郎もナンバー3だった。パソコンの会社同士の互換性もなく、NECは、NEC。東芝は東芝。富士通は富士通の専用のソフトを買わなくてはならなかった。いまのようなウインドズかマックかという選択ではなかった。そして、使いづらいパソコンバよりワープロ専門機を使用することが多く、再びパソコンを手にしたのはウインドス98をインストロールしてあるノートパソコンを購入してからであった。前置きは長くなったが、そなんこと思い出しながらこの本、楽しく一気に読んでしまった。 


 難しい専門用語もわかりやすく解説してあり、オタクの本でもない。また、ここに書いてあることは知らなくてもパソコンは動かすことはできる。でも。今普段使用しいてるパソコンの気持ち?パソコンって、あらためて何と思うのもいいのではないのだうか。ネットやファイル、ソフトはもともと共有しながら発展、発達してきたことがよくわかる。とくに、著者が著作権について独自の考え方は一見する。

肩をこらないパソコンの本として一読をお勧め。読んで後悔はしないよ。
(2003/01/24)
        No19  田んぼの謎     村野まさよし    ユージン伝    ¥1300

  この本は、比較的手元付近に置いてあり、何気なく読んだり、辞典作りのアンチョコとして利用している。

 米作り作業の機械化を支えているのが石油エネルギーを中心とした化石燃料である。たとえばトラクターや田植機を動かすにも石油が使われている。田圃の周辺で使う稲作機械とて、例外ではない。たとえば水を別つのの場所から別の田圃に使うエンジンの動力しかり。(中略)

 お米は、だいたい炊く前の半分くらいの重量の石油が生産のために消費されている。たとえば田圃一平方メートルあたり、収穫できる米は、エネルギーに閑散して1500カロリーぐらいである。これに対して、春から秋まで米作りに関して栽培されるためのエネルギーは、どうだろうか。というと、実は昭和30年頃にすでに「マイナス」になりはじめた。

 「マイナス」とは、田圃に投入する石油エネルギーよりも、収穫されたお米をエネルギーに換算したもののほうがちいさい、ということだ。そして現在ではお米となって算出されるエネルギーの4倍以上のエネルギーが投入されるという「石油消費型稲作」が日本の田圃に定着してしまっている。(中略)

 今の日本の米作りはエネルギー的に見ると、たくさんお米を作れば作るほど、エネルギー収支がそれだけ余計マイナスの方向にいくようになってしまっている。これは、効率のよく生産される化学肥料を中心とした話だから、もっとつくるのに手間がかかる有機肥料を中心にお米を栽培するということは、エネルギー収支として見ると、赤字がふえることである。

 「日本の米の自給率は100%」なんて、農業団体の人も、国会議員の人も、農家の人も、みんな口そろえていうけれど、そんなのは愚の骨頂であろう。いまのお米は、石油によって作られているのだから、その石油が外国から来なくなっちまえば、もしくは、いまのように米作りにふんだんに使えなくなれば、米などはたちまち、栽培不可能になるのである。つまり、いまの日本における米の自給率なんて、20%ぐらいがせいぜいなのだ。まったく自給なんてできていない、というのが実態なのである。

 辛口のメッセージながら、核心部や日頃疑問に思うことにするどく指摘してある。都会の消費者の皆さんにはお勧めの一冊である。(2003/1/21)
       No18   食べてはいけない     石堂徹生     主婦の友社    ¥1300

 この本読むと、食べる物がなくなってしまうのじゃないかな。と思ってしまう。その中で気になる記載があったので切りぬくことにした。

 よく農業は自然だと言い方をするが、それは間違いではないか。確かに農業は自然に強く依存し、自然に大きく左右されはするが、それに負けずに劣らず人間の手を加えることによって成立している。

 基本的な耕すという行為そのものが自然に手を加えることだし、品種改良も、水路を造って水の便を良くすることも、もちろん有機か無機かは別にして肥料を与えて農薬をまくことも含めてそうだ。太陽や水や植物などの単なる自然の恵みではない。どうしても「恵み」という情緒的なコトバを使いたいならば、農作物は自然と人間の活動による恵みというべきだ。

 また、農業は工業と違うかというが、それも間違いではないか。現在の農業は工業製品としての農薬や化学肥料、あるいはガソリンなしでは動かない農業機械などによって成り立っている。

 農業は工業とは切り離せない。むしろ、農業は工業の一部であり、ただし自然の影響を強く受ける分野だと考えるべきではないか。

 昨年、米屋と生産者の集いの時の三次会の居酒屋にて、ある米生産者が「米は工業製品と思っているのではないか」と問われてうまく答えられなかった。が、ここに答えがあるように思える。村野まさよし「たんぼの謎」にお米は石油からできると、断言している。(2003/1/13)
      No17  安ければそれでいいのか!?   山下惣一編集   コモンズ  ¥1500

山下惣一氏の著書読みたいなと思っていたとき、タイミングよく練馬の池田屋さんがアマゾンで買えることを教えていただき、さっそく購入し一気に読んだ。(読み終えてからここに書くまで時間かかったけれど)

昨年暫定セーフガードの品目になったネギはほんの少し前までは国産100%にちかかった。ある年の天候不順によりネギの価格は暴落をした。通年にネギを使用する外食大手チェーンが困り騒ぎだした。通年で、よりやすくネギを供給して欲しい。そこに、中国に自動車等など輸入をねらう商社・工業会社ならび目をつけた。種苗会社ものった。中国に野菜の種を売り、さらに栽培技術指導・日本向けのマーケテング指導し、日本向けに大量のネギ栽培が広がり、それが外食チェーン店はおろか特売用としてスーパーの軒先にたちまちあふれ出した。気がつくと日本産のネギは市場から姿をけしていた

                        マクドナルト編
 かってマクドナルト(以下マック)の藤田社長は「気候や風土、民族性の多様性を越え、いつ、どこで、だれがやっても、同じ笑顔で同質の味を提供できる。私たちマックのハンバーガーという普遍性を備えた「「文明」」を売っているといってもいい」この言葉はファーストフードの神髄を良く表している。それにたいして味覚の授業は風土と切り離せない。「食べる」という行為の意味を問い直す運動といっていいだろう。「スローフード運動」が始まり、それに共感する人々が増えてきている。

 藤田社長は言う。「農民も海外に出って行けばいいのだ。」たとえば米なら、生産コストがかからない安いベトナムやタイでササニシキやコシヒカリを作り、日本に輸入すれば価格も格段と安くなる。そのほうが日本の消費者も喜ぶなのではないか。「だから農民もコメ作りに諸外国に出って行けば良いのだ。そうしたら後継者年間1800人の農民は未来はハッピーではないか」農産物も人間もグローバルに流動すればいいという見解だ。

 しかし、人と農産物は国境を越えられても、農地は国境を越えらない。見捨てられた農地はどうなるのか。牧場はどうなるのか。生産効率の悪い山間部の農地が真っ先に荒れる。荒れた農地には産業廃棄物がやってくる。

 農地はごみの山と化す。そしてたいていの山間部は都市部の水源である。これは空想ではない。耕作放置される農地の面積は山村を中心二万haを超すペースで増えている。都市部の消費者は気づいているのだろうか。

 日本は海外から大量の自然資源を取り込み、そのうち五割を使い捨てしている。資源循環の形で再利用される割合はわずか一割程度。あとはじゃんじゃん海外から運び、使っては国内に捨てている。

                            輸入野菜編
 「輸入野菜は価格が安いので経済原則だけで入って来ますが、地球環境全体から見ると好ましいことではない。生産国側では土地の栄養が奪われるわけですから、それまで以上に科学肥料を投入して作物を作り続けなければなりません。一方日本の側は消費するばかりで、どんどん栄養が溜まってしまい、廃棄したり下水に流したりせざるをえません。地球全体の物質循環が狂ってしまいます。」(北野大教授談)

                         ある会話より
 「アンタはいつも生産者、生産者というが、この世の中消費者がなくて成り立つ産業はなかですよ。もっと消費者よりの発言せにゃいかん」「なんば言うか、百姓が生産するからアンタどもは食えとるだろうが」「そりゃあべこべばい。消費があるから生産できるとじゃろうが。ピカビカのタクシーならべてもお客さんがいなかったならば、たったの一台も動かんとよ。農業だって同じことばい。」「そんならアンタ。明日から10日間ばかり、その消費者とやらやめてみらんね。アンタみたいな人間にオレの農産物は食ってもらわんでもよか」「それならば米国や中国の農産物を食う。アンタのは食わん」「バカ言え。米国も中国も百姓がいて生産しているから食えるとぞ。百姓がおらんごつうになったら、アンタどもは飢える」

昨年暫定発動されたセーフガードについて「政治家は何ば考えとるとや!」「中国の安い農産物を輸入する。中国の農民の所得が増える。国際貢献ですよ。これは。そして輸入業者は儲かる。港も活気づく、日本の消費者は助かる。いいことずくめじゃろう。どこが悪いのか」不況・リストラ・減給でみんな生活が苦しくなっている。一円でも安い方がいい。安い物はドンドン入れるべきであって、それを政府が妨害するのは国民の生存権の侵害だとというものだ」

「セーフガードは輸入禁止ではなかとよ。関税を高くするわけでWTOでも認められいる権利。ところが中国から報復されて、自動車・エアコン・ケータイに100%の関税をかけられた。200万の車が400万になるわけ。事実上の販売禁止。ネギやらの輸入額は240億円。自動車などの輸出損失が668億円。国益に照らしてどちらが得ですか。」「日本でできるものはを外国から持ってくることはない。アンタらは日本人だろう。日本の農産物を食え」労働費は日本と中国ではほぼ100倍の差がある。それを農家の経営努力だけでこれを縮めるのは不可能だ。「そんなことは消費者の知ったことじゃない。安くて質が良ければ消費者はそっちを選ぶ」

「製造業が中国に進出するのは、なぜですか。労働コストが安いから。そして、安い製品が日本に入ってくる。対抗上ほかの業者も外国へ行かざるを得ない。つまり、国内の空洞化です。日本に仕事がなくなる。結局安いものを買うことは、つきとめていけば自分の存在の否定になる。」
(2003.1.3)