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[投稿] world peace now 3.20/国際共同行動in日比谷・参加ルポ

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〜降りしきる冷雨を思わず忘れた人々首藤教之(美術家)

 三田線内幸町駅のホームから日比谷公園方面に出る階段には3.20に向かう人々の熱気が すでにあって、僕は朝からの冷たい雨でいささか動揺していたこともあっさり忘れ、野外音楽 堂から伝わるウオ〜ンという響きの方へと急ぐ。傘、傘、いろんな色の揺れる傘の群れ、旗や ボード、プラカードの群れ、ドラムやギターの響き、ステージからの司会の女性の高い声が 冷気を裂いている。

 傘をかきわけ会場内にようやく入ると、外人のシンガー達が熱演中で、雨で座ることも出来 ず座席に立った人々が拍手を送っている。すぐに気付くのはいろんな世代が混然とそこにいる ということだ。年令の片寄りなく、思い思いのボードを持ったりしてここにやって来ている。 まわりに見える旗やのぼりの文字を見ると、キリスト者平和ネットワーク、金光教非戦平和ネ ットワーク、小金井平和ネット、平和遺族会、NPOぐらす川崎、誰でも入れる市民の列、新劇人 会議、緑の党、女性会議、鎌倉市職員組合、老人党、厭戦……庶民の会(良く見えない)ピース 9の会、ふぇみにん、激怒する庶民……、聞いたこともない運動やグループの、青いの、黄色い の、縞模様、あらゆるデザインの旗、幟がここに集まっている。

 挨拶する人の「スペインに続くのは我々です」というアピールにはことのほか大きな拍手や かけ声が応える。そうだ、たしかに今日はそのことで人々は胸を熱くしてここにきているはず だ。歴史の動きはある日思わぬ激震を起こし、外に伝播させることもある。舞台に喜納昌吉が 現れ「ハイサイおじさん」を歌い連帯の挨拶を叫ぶと駆け寄る人々も多く、「アリラン」と 「花」が続く。新聞社のヘリの騒音がその頭上をけたたましく行ったり来たりする。

 パレードの出発が近づき、外へ出てみると日教組、自治労、などという労働組合が先に出発 している。会場外で別に集会をひらいてたらしい集団だ、実行委員会の「5列になって」の指 示に従って、プラカードは少なく幟と横断幕の、なんとなく慣れた足取りの彼ら。一方市民団 体の方は5列になんかなかなかならないし、どうなることやら、といった感じだ。新聞のニュー スもすぐに取り上げたがる「桃色ゲリラ」の若い女性軍はやはり目立ち度では抜群で、真っ赤 な「NO WAR]の横断幕とピンクのコスチュームで他を圧倒する。「しあわせなら手をたたこう」 はちょっと選曲ミスだとしても、さっきの「組織」の人よりもずっと自覚的で、創造精神があ って、一昔前には考えられなかった「現象」と言える。「ああいう連中はなにかあったらすぐ 動揺して雲散霧消するよ」などと分かったような言い方の人よりも、そこに時代の胎動の匂い を見い出そうとする人の方がよっぽど好きだ。少しでも、その匂いらしきものを。

 そういえば今日は芝公園とここと両方で集会が開かれている。僕はといえば、日比谷で午後 に二つが合流することを知っていてそのことに期待しつつも、日比谷の方を選んでしまう。バ ラバラの市民がそれぞれの意志と発想で、行動の、表現の形を考え、繋がって行くプロセスを 見たいからだ。その期待は十分手応えを感じるところまではなかなか行かないのだが、ひとり 一人の、小グループ一つひとつのオリジナルの努力の現れがひしひし伝わってくることも たしかにあって、時代は極めて興味深い。

 悲愴感だけでなく、人間的な活動なのだから楽しく笑顔と笑顔で結びつこうという精神は その中でたしかにつちかわれ、共感を持って拡がっていると言えよう。昔の「シュプレヒコール」 でなくラップ調の方がリズムによって人をわくわくさせるというようなことから始まり、行動 の企画はこれからもっと多面的に拡がって行くことだろう。

 この3.20では今までこんな場に近づいたことのないような若い女性に誘いをかけてみた。 意外にも彼女は参加の意志を示した。結局時日のことでダメにはなったがこれは思いがけない ことだった。

 途中で雨もあがった銀座のパレードで一番最後の大きな折り鶴をいくつもかついだ青年の グループが数寄屋橋を通り過ぎたのはもう4時半を過ぎていた。

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