沢木氏の1日


真っ暗な部屋の中を、パソコンのディスプレイの明かりだけが煌々と照らしている。
先程まで夕闇が橙の自然光を届けてくれていたが、今はもう真夜中のように帳が下り ていた。
時刻にして約六時半。冬の日没は早いものだ。
只一つの光源。ディスプレイは、熱帯魚の水槽を思わせた。
照らし出されてる白皙の横顔は、冷淡な視線で作業をこなしている様であり…また、
子供が緻密な悪戯を練っている様でもあった。
カチャカチャとキーを叩く音だけが規則的に響いている。
それ以外は沈黙を守っている。と、謂っても…彼の他誰も居やしないのだが。


部屋の外から、玄関が開閉される音がした。
彼は合図のように仮面を被る。
至って一般の父親の仮面を、だ。


「ただいま〜。」
年の頃15、6の少女がドアを開け顔を覗かせる。
部屋の静寂を破った少女は、初々しさの抜けない制服姿で彼の目の前までやってくる と、呆れた溜め息を吐いた。いつもの事だが。
「パパ〜、いっつも言ってるでしょう?電気くらいつけてって。」
「……ゴメンゴメン、りんご。ちょっと熱中しちゃってね」
「熱中って、またお昼も食べてないンでしょう。」

答えた彼は…15、6の娘を持つには若過ぎた。無論、少女は…りんごは実子ではな い。
少し前に引き取ったのだ。
父親である彼は、勿体無いくらいの美丈夫だった。何が勿体無いかと言うと、その風 貌だ。
何故か度が低いにも関らず分厚い眼鏡をかけ、焦げ茶の髪を伸びるがままに任せてい る。前髪など、とうに目の位置を追い越し頬に掛かっている。
白い肌は、屋外に出ていない証拠だ。縒れたシャツを着、その上にカーディガンを羽 織って居り、コーデロイのパンツは穿きすぎているのだろう布地自体が草臥れてい る。でも本人は少しも気にしていないように見えた。
無頓着にも程がある。娘は常々思っている。

「夕飯ちゃっちゃと作っちゃうから、待っててね」
「ああ、うん」
「パパ、チャンと食べてよ?」
「解っているよ」

パタパタと元気のいいスリッパの音が遠ざかると、彼は人の弱そうな仮面を金繰り捨 てた。
冷たい表情で思う。
“自分に家族ゴッコなど、酷く似合いはしないモノだ”と。
首を軽く解すと、彼ははまたディスプレイに向かい出した。
青白い光だけが彼の本性を暴きだしていた。


このマンションの一室。
表札には『狭間』の文字。横には“計太”と言う名前が並び、その下に“りんご”と 続く。
世間体的には父子家庭。
だが、狭間 計太などと言う人間は存在しない。
そこに居るのは架空の人物の仮面を被った『沢木 晃』という犯罪者だった。
誰が考えるだろう。
普段は優秀な在宅プログラマーで、不器用な父親である『狭間 計太』が、あの最凶 の計画犯罪者でる事を。
思いつきもしないだろう。


「……これも、計画の為だよ」


誰にとでも無く、狭間…否、沢木は呟いた。
水面下で歯車は着々と準備されている。
計画は回る。
時が来る。
ディスプレイでは沢山の文字の羅列で作られた立体的な林檎が、赤く熟していく様が 映し出されていた。

「パパ、ごはん出来たよ〜。」

家族ゴッコを再開する為に、彼はパソコンのスウィッチを落とした。


終わり

春紫様からいただきました。
いいですね、家族ごっこ。
りんごちゃんかわいいです。
この続きが気になります。
ありがとうございました。




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