アドラー心理学Q&A

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アドラー心理学の叱らない子育てについての質問。
叱らない子育てと聞くと、どうしてもほったらかしにしているイメージが浮かぶのと、アドラー心理学の事を聞いて、今までのことはなにをしてきたんだろうなんて感じられる方も多くいらっしゃいます、、、
研修とか、勉強会とか、日常の相談なんかでも比較的多く寄せられる質問ですが、以前気合を入れて!?書いたので、多くの人に読んでもらいたいから、こちらにも載せておきますね♪




さてさて、

子育てのやり方は、それこそ星の数ほどありますし、ものによっては全く別のことをいわれたりもありますよね。

だからといって、今までやってきたことに何の意味もなかったかというと、確かな意味はありますし、無駄なものなんて何もありません。



ただ、効率のよいやり方や、こうなったらいいなという思い以外に、どんな効果があるのか?より適切な方法や、効果的な方法は何か?と言った部分を研究したのが、心理学や子育て法と言ったものです。

人の価値観や、今まで培ってきたものが大きく違うと、まるで自分をすべて否定されたような気持ちになったり、落ち込んだりもすることありますよね、だけど、そんなことを感じる必要はなく、むしろ新しいことを学んだことはすばらしいことですし、学ぶ機会がもらえたのかもしれません。





救急医療の現場でも、今までこうしなさいといわれてきたことが、実は逆効果で、今では絶対にしてはいけませんなんてことがたくさんあります。

これも、そのとき知っている最善のことをしていた、けれども、地動説か天動説化じゃないですが、あるとき急に価値観が変わることもあります。


たとえば、極端な話、アドラー心理学も、北朝鮮に行けば全くよくない指導法でしょう(苦笑)


また、この手の心理学的なテクニックや関わり方は、効果は高いですが、大切なことはその意味や原則を理解して使うかどうかで、変わってきます。

武術を習うときに、体を鍛えたり技を磨くのと同時に、心や礼儀をたたき込まれるのと似ているかと思います。




しからない育児と言うことについてですが、、、

それだけ聞くと、何をしても怒らないで放任しているように見えますよね。

電車の中で騒いでいても注意しない、怒らない、叱らないというのは、ただの放置であり放任です。




ほめない、しからない子育てなんて刺激的な言葉がありますが、広義での叱ることはしますし、ほめることもします。

ただ、一般的に、叱る(怒る)や褒めると言うと、賞罰的な部分が多いので、そういった、褒美と罰を与えるという部分をやらないという意味になります。





では、具体的にどういうことかというと、、、

まず、心理学的に見ると、褒める事は「プラスの注目行動」、叱ることは「マイナスの注目行動」と分類できます。


そして、心理学的には強化というんですが、褒める事も、叱ることも、どちらも同じ注目を与える行動です。
(ただ、マイナスの注目は、相手を傷つけたり、エネルギーを奪います)

そして、注目を与えると言う行動は、その行動を文字通り強化する効果を持っています。





たとえば、小さい頃のことを思い出していただきたいんですが、、、


小学生くらいの頃、家で勉強をテレビを見ていたら、お母さんにこう言われたらどう感じるでしょう?


「テレビなんか見てないで、さっさと勉強しなさい!全く遊んでばかりなんだから」

もしくは、
「お利口さんにテレビ見ていて偉いわね〜」

叱られるにしても、褒められるにしても、勉強していない行動に対して注目されると、どちらにしてもやる気は出ないし、勉強しないと思いませんか?




逆に、勉強してるときに、

「がんばってるね〜」

と褒められたら、やる気が出ると思います。



そのときに、

「勉強なんてやめなさい!あんたなんかどうせ馬鹿なんだから、勉強したって無駄よ」


なんて、怒られたり叱られたりしても、心がある程度元気な子であれば、逆になにくそーとやる気が出ると思いませんか?


勉強しているときに、褒めようが叱ろうが、勉強という行動が強化されるんです。





最後に書いた、怒られてもなにくそーとやる気になるエネルギー、、、


この、困難の直面したとき、それを乗り越えるエネルギーのことを、アドラー心理学では、勇気とよんでいます(困難を克服する活力です)

叱ったり怒ったりする行動は、このエネルギーを奪う、勇気を挫く副作用を持っています。



ただ、褒めるというとき、がんばっているね〜と、共感したり、プロセスを見るのでなく、

結果に対して、評価したり、褒美を与えることを褒めると定義していて、

相手がよりやる気になったり、うれしいと感じられる対応を、勇気づけとよんでいます。




とはいっても、小さい子にはストレートな褒め言葉の方が、すっと入ったりもしますけどね。



ちなみに褒める事にも副作用があって、
「○○したら、100円あげる」
「△△して偉いね〜」
なんて褒める対応には、一時的には大きな効果があっても、、、

何年も100円ではやらなくなりますよね、褒美は、だんだんとより多くのものをもらえないとやらなくなったりすることや、

△△しない子は、悪い子なんだよと言う裏のメッセージも伝わり、達成できなくなったときにプレッシャーや勇気挫きとなって帰ってきたりもします。。。




では、不適切な行動をしたときに、どうしたらよいかというと、、、

まず、それがほんとに不適切な行動なのか?によります。

他人や自分や物に、迷惑をかけたりする場合は、きちんと叱ったりすることが必要な場面もあります。



ただ、子どもの場合、そうでない場面の方がたくさん存在するんですよね。

そうでない場合や、子どもの問題じゃなくて、大人側の問題の場合の時は、叱らない→注目しないと言う対応が効果的ですし。

大人が罰を与えるのでなく、結末を体験させるといった方法をとります。



大人が叱るのは、手っ取り早い方法ではありますが、失敗したり不適切な行動をとったときに、代わりに責任をとることでもあります。

たとえば、本人の能力に合った物でなければいけませんが、困ったり能力の範囲内で責任をとる体験をすることで、子どもたちは学んでいきます。



たとえるなら、足下を見て歩かないと危ないよと、大人は経験から知っているかもしれません。

けれども、見ていて危なっかしいからと、わざと足を引っかけて転ばせたらどうでしょう?

足下を見てないからと言うよりも、なんでそんなことするんだという怒りになりませんか?




また、失敗したときに、叱らないというのは、、、

石につまづいて転んだとしても、大地に対して怒ったりはしませんし、怒っても結局意味がなくてあきらめますよね。
これを、自然の結末と言います。

痛い思いをしたことが、すでに体験した学びの機会です。


そのときに、「ほらみなさい、足下見てないからだよ!」

と言われたら、どうでしょう?

気をつけようと言う気持ちよりも、こっちは痛いのに、なんでそんないわれなきゃいけないの!?と思いますよね。





逆に「大丈夫?痛かったね〜」

といわれたらどうでしょう?

失敗を後で振り返りやすいかな。


そのときに、「足下危ないから次は気をつけてみようね」
なんてアドバイスをされたら、すっと入りやすいですよね。




言葉だけみたり、行動だけ見たりすると、えっと思ったりすることも多いかもしれませんが、きちんと深い部分の意味まで知ると、すごく腑に落ちることもたくさんあります。

私も原稿書いたりすると思うのが、きちんと伝えようとすると、すごい量になるので、しょっちゅう短くしろといわれていますが(苦笑)

どうしても、気を引く言葉や、メインのことだけ書いてあったり、そこに目がいきがちですが、、、


同じ事をいっているんですが、きちんとわかってくると、アドラー心理学は、子育てや対人関係にはすごく役立つと思いますよ。




まあ、具体的なやり方や、細かい方法は、文書ではなかなか伝えきれないのと、実際に体験してみたりしないとぴんとこない部分もあるかと思いますが。


実際に理論を学びながら、ロールプレイや体験しながら、学べる、プログラムや講座もありますから、本格的に学びたかったり、興味のある人はそちらに参加してみてくださいな♪