アドラー心理学に戻る ブログを見る

トップに戻る  にっこりハウスに行く


目的論・全体論

目的論とは、何のためにするのか?その目的は?どうしたいのか?と考えます。
例をあげるなら、保育園にきた子どもが泣いて暴れるといったとき、一般的に浸透している原因論では、どうして暴れるんだろう、弟が生まれて不安定なのでは?今日は具合が悪いのでは?朝怒られていたから不機嫌なのか?といった原因を考えますが、目的論では何のために暴れているのか?そのことによってどうしたいのかと言った目的を考えます。

人は原因によって後ろから押されて生きているのではなく、目的に向かって進んでいくものという考えかたです。

感情を例に考えるなら、ついかっとなってしまって子どもを叩いたと考えるのが一般的ですが、アドラーでは、冷静なままでは子どもをたたけないので、子どもを叩くためにかっとなった(感情を使用した)と考えます。

感情が原因で行動が結果であるとは考えないで、感情をある目的のために使うと考えます。


感情に振り回されてしまうという人でも、感情には必ず相手役がいて、かっとなっている状態でも、相手に合わせて感情を使っているわけです。

また、人という存在は、車のアクセルとブレーキのように、相反する機能を持っていても、それは別々のものでなく、一人の人というさまざまな機能を持った全体で一つのものと考えます。

なので、個人という存在が、その目的のために、思考や感情や無意識など全てをつかって、全体として目的のために動いていると考えます。