グループ茜 松村さんを偲ぶ


2015年8月、山の仲間グループ茜初代会長の松村さんが亡くなりました。昨年から病気療養中のところ、80歳で亡くなられました。30年以上のお付き合いで、いくつ山をいっしょに登っただろうか。かつての元気なお姿が思い出されます。松村さんにはグループの運営で大変お世話になったほか、山でいろいろな植物の名前を教えて頂き、まるで植物博士のようでした。松村さんが2001年に日本100名山を踏破され、みんなで筑波山でお祝いしたのが昨日のようです。2010年の丹沢の大倉尾根、2013年に浅草で新年会をしてのが最後となりました。30年間大変お世話になりました。心よりご冥福をお祈りいたします。いつかかつての仲間といっしょに慰霊登山をしようと思います。

 松村さんとの最初の出会いは、1985年6月の品川区主催の登山教室初心者のための沢登りでした。登山家の長谷川恒男さんが講師で、総勢40名ほどでした。4回の図上講習で7月13、14日で丹沢の新茅の沢でキャンプ、沢登りの実習でした。(右の資料はその時の品川区作成のもの)私を含め山初心者が多い中、松村さんが滝で難渋していた参加者をサポートし、無事滝の上に誘導したのを今でも鮮明に覚えています。その後この時のメンバーを中心に品川ウータンクラブが設立され、そこから1986年にグループ茜が誕生し、松村さんが初代会長に就任されました。当初は27名という大所帯でしたが、次年度には13名になりました。当初はザイルでの沢登りが中心となりましたが、その後尾根歩きが中心となりました。以来30年毎月一回の月例集会と山行、そして泊まりでの夏の縦走、忘年山行といくつ山を登ったことだろう。早池峰、北岳、穂高、槍、大台ケ原、八甲田、鳥海山、白山、丹沢、奥多摩、秩父など懐かしく思い出される。  
 1988年の大倉キャンプ場でのバーべキュー、89年三浦海岸でのファミリーキャンプ、90年高尾山ファミリーキャンプ、91年一軒屋非難小屋での家族交流会も行われました。当時小学生だった子どもたちも既に成人して親となってます。松村さんは天麩羅やサラダの材料になる野草を子ども達と一緒に取りに行き、子ども達に野草の名前や見分け方を教えて頂きました。いまでも子ども達はその時のことを良く覚えています。
2001年には日本百名山を踏破されました。100番目の山に皆さんが参加して筑波山にてお祝い会を開きました。
最後の山行は、松村さんの提案で2010年8月14日に大倉尾根にキツネノカミソリの花を見に行きました。その時のレポートが松村さんの最後のものとなりました。今年もキツネノカミソリの花が咲いたとテレビで報道されていました。
次に最後の遠征となった尾瀬、そしてここ2、3年の集まりは、山行ではなく、忘年会と新年会になってしまいましたが、その時のレポートを次に載せます。
 
 尾瀬湿原(2009.7.18-19)
2012年に亡くなった戸塚さんとの最後の山行。
ツアーバスを使って夜行日帰りです。松村さん、戸塚さん、川さん、大久保さん、そして荒井の5名です。至仏山を背景に尾瀬ヶ原を歩く。水芭蕉は終わっていたが、ニッコウキスゲが最盛期でした。そのほかにアザミ、シュウキラン、ワタスゲなどの高山植物が見られた。途中、歌にもある浮島もあちこちに見られ、やはり尾瀬はすばらしい。牛首での記念撮影の後、松村さん、戸塚さん、大久保さんはここから引き返す。川さんと荒井はヨッピ橋まで足を延ばす。帰りは尾瀬戸倉に全員集合し、家路に着いた。これが茜の最後の遠征となりました。
 
 日本民家園(2013.12..01)
山の仲間で忘年会を兼ねて向ヶ丘遊園にある日本民家園に行ってきました。民家園は昭和47年に開園された古民家の屋外博物館です。神奈川、信越、東北の古民家が20軒ほどゾーン別に展示されている。何軒かの古民家ではいろりで火を炊いている。かやをいぶすために年何回か炊いているとのこと。最後に船越の歌舞伎舞台を見たが、以前、桧枝岐でみた舞台よりも立派なつくりに驚いた。ちょうど紅葉のシーズンでもあり園内はかなりにぎわっていた。お昼に合掌造りの蕎麦屋でみんなでビールで乾杯し、おいしいお蕎麦を頂いた。久しぶりに皆さんとお会いしましたが、お元気で何よりです。
 
 浅草新年会(2014.1.25)
山の仲間と新年会をかねて浅草に行ってきました。雷門の大提灯の前で待ち合わせましたが、観光客でいっぱい。しかも都知事選の街頭演説もはじまり、人で大混雑。今回は川さんが体調不良で欠席でしたが、松村さん、内山さん、小野さん、大久保さんが集合。仲見世を抜けて浅草寺本堂ととなりの浅草神社にお参り。浅草寺は東京空襲で消失したが、浅草神社は無事で現在、国の重要文化財となってる。帰りに神谷バーでビールで乾杯。もちろんデンキブランもいただきました。その後吾妻橋を渡り、スカイツリーをバックに記念撮影です。最後に新しく出来た浅草観光センター8Fで浅草の町を見下ろしながらお茶を飲みましたが、ここは浅草の新しい名所になりそうです。
 
 グループ茜の山行記録(1)
     
     
     
グループ茜の山行記録(2)
日本百名山
 丹沢の塔の岳
最初に本格的な登山を始めた山でそれ以降何度も登りました
 1990.8.12南アルプス鳳凰三山縦走。雑誌岳人にも掲載されました  2003.7.17越後駒ヶ岳
山小屋で山小屋のご主人からお刺身をご馳走になりました。 
     
     
 2004.7.16八甲田山
夜行バスにて青森までいき、山頂を目指すも、強風と雨のため撤退し酢ヶ湯温泉泊
 2005.7.14白山
夜行バスで金沢から白山スーパー林道経由
 1987.8.16北岳
日本で第二位の高さの山で最後の登りもきつかった。
   メンバーは、松村、金子、内山、荒井の4名  
  1998.8.21鳥海山
夜行バスにて象潟までいき、山頂小屋泊
 1991.8.11槍ヶ岳
山頂先端まではしごを使い登りました
 1992.8.8前穂高岳、奥穂高岳
上高地より入山し、岳沢ヒュッテ、奥穂高山荘泊
   メンバーは、松村、金子、池田、内山、小野、荒井の6名  


最後に仲間達からの追悼文を載せます。


最初、松村さんの健脚ぶりには大変驚きました。みんなついていけませんでした。
そして植物やいろいろなことに関する豊富な知識。メンバーはいつも名前を質問してました。
色々な山、温泉、グルメいろいろなところに連れて行っていただきました。
山での焼肉、天麩羅、お抹茶と、山でのいろいろな楽しみ方を教えていただきました。
毎年何千字もある年賀状楽しみでした。いろいろとお世話になり本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りしております。(荒井良治)


大崎の病院を退院した後の体の衰えが気になっていたのですが、残念です。最初の出会いは、私は沢登りのキャンプでお酒を飲み過ぎ、一日中テントにいて帰宅。その後何とも云えない自分の不甲斐なさに落ち込んでいた時、松村さんから電話を受けて入会しました。グループ茜の家族で行った丹沢で、巣から落ちたすずめの雛を持って帰って育てたのが松村さんの優しさの現われでしょう。
区民マラソンに期せずして同じく参加し、鳥勝で飲んだことも忘れません。私が仕事をやめた時、妻がうつ病になった時も親切に相談にのってくれました。
私の人生の節々で支えてくれてありがとう。まじめで指導力があり、多くのことを松村さんから学びました。
ご冥福をお祈りいたします。(小野佐一)


筋が通っていて しかも優しい紳士だった。
月々の山行では草花の名を教えてくれ、それも山の楽しみの一つだった。(尤も生徒の方は間違って覚えたかも知れないが)百名山挑戦で時々不参加となったが、筑波山で打ち上げられてから又顔を合わせるようになった。その後会員の年が寄り休眠状態になってからはバスツアーに行くくらいとなった。
その金沢では街を歩くのさえやっとのご様子にと胸をつく思いをした。やはり骨折が体力低下を招いたのだろうか。
心臓手術のお見舞いの時は経過良好らしくさっぱりとした顔つきで女房に頼りきっている旨のお話を聞き、皆楽観して帰ってきてからいつしか年を経訃報を聞いた。山に茶道に、オカリナにさえ挑戦し続ける方だった。
合掌 (大久保文代)


松村さん、色々沢山の山行に連れて行ってくれて有難うございました。
また、ガリ版刷りの年賀状楽しみにしていました。
楽しい思い出ばかり思い出されます。
ありがとう 合掌 (内山信夫)


十数年も前に町会の金子さんによく山の話を聞き、同行を願った。何度も同行する内に皆さん差別なく優雅な会、山の会「茜」であった。もう十数年以上になるか。東北の山へ(八幡平)、中央沿線、丹沢など数え切れない。会員の中でも、戸塚さん(3年前に他界)、松村さんはじめ会員皆紳士。
今から3年ほど前に高尾山に一緒に行ってくれと頼まれ同行をOKした。 新宿から京王線でケーブル付きの切符だ!ケーブル頂上駅から頂上まで約2時間半ほどかけ、頂上脇でコーヒータイムをした。山への思いを語り、下山途中高尾の精進料理をご馳走になった。
また、2年ほど前にプランターに竹を植えてほしいとの電話があった。竹を植えて半年ほど経ち、大変喜んでいた。
26年の秋、ハートセンターへお見舞いの時は元気な姿を見て、また山に同行できると思っていた。
今年5月末に電話があり、もっと竹を植えてほしいとのこと。5回ほどの竹植えを側で見ていて喜んでいた姿を思い出します。
もっと元気になって、山に旅にと一緒に行けるのを願っていました。私の相談役であり、物静かなで心身のある兄と思うようになっていました。山仲間が皆んな長生きすることを願っています。 (川 一男)


岳人、松村寛とグループ茜
突然の訃報に驚いています。山の師であり山で苦楽をともにした友人を失う事が心家に重く響きます。
山のクラブの茜の山行記録から彼の思い出話をします。
グループ茜は1985年(昭和60年)に創立しました。その前進は品川ウータンクラブであり、故長谷川恒男氏が立ち上げ、当時メンバーは27名で松村、根本、森田、中島など活躍していました。山に対する姿勢から解体、分裂し茜が誕生しメンバー13名で発足、会長松村、副会長池田、木内、会計荒井などです。
議事録によると 1.会の名称を変更、 2.山行の都度当番を決めて記録をとる 3.年一回の家族サービスデーをつくる 4.素人同士気楽に楽しめる会とする
これらの記録をファイルにすると厚さ5cmの2冊分にもなります。貴重な資料とて今でも利用しています。
本々体力のなかった松村さんは厳しいトレーニングをして体力と精神力で2001年66歳で百名山を完全踏破までやり遂げました。あの時のお酒の味が忘れられない、うまかった。一歩一歩高く登るに連れて新しい視野が開けるひとが次の行動につながりその頂を目指す、この時間を共有したことに感謝します有難う (金子列之)


2015年9月5日、大崎にて上記メンバーによる松村さんを偲ぶ会を開催しました。(合掌)