昔のおもいで
子供の頃遊んだなつかしいおもちゃ。クリスマスのプレゼントや東京のお土産が多かった。
今の子供のように何でも買ってもらえるような時代でなかった。それだけに買ってもらった時の
うれしさは今でも忘れられない。
あの頃のおもちゃがインターネットオークションで高価な金額で取引されている。
少年雑誌が発行されたのもちょうど小学校の頃でした。ちょうどその頃、記念切手やチューイン
ガムの包み紙を集めるのがはやりました。
「昔とは父母いませし頃を云い」(麻生路郎)という川柳があるがまさにその通りだと思う今日この頃です。
![]() |
2023年6月岩見沢再訪 5年ぶりに岩見沢を訪れました。幼馴染の純ちゃんが車で市内を案内してくれましたが、中央小学校は移転し、光陵中学は新しくなり、東高校は西高校との合併なるとのことや、ナカノタナや六条ストアーの閉店など時代の変化を感じさせられました。かつて住んでいた場所は柵で囲まれてはいることは出来ませんでしたが、草や木々に覆われ自然に帰っていました。夜は純ちゃんのお勧めのとりふじで再会を祝して乾杯しました。純ちゃんも脳梗塞を発症し、リハビリで大変だったとのこと。お互いに健康に気をつけて又の再会を約束しました。 |
![]() |
![]() ![]() |
![]() |
2018年6月岩見沢訪問 約20年ぶりに岩見沢を訪れました。かつての岩見沢市は交通の要衝として発達しましたが、今はかつての繁栄はなく、札幌のベットタウン化しています。2000年に漏電で焼失した駅は新しくなり、駅前も昔の面影はほとんどありませんでした。以前住んでいた跡地は小学校の一部となっていました。ナカノタナ商店街は入口のお店がかろうじて残っていました。家の近くの母が良く通っていた六条ストアーや七条の願王寺はまだありました。町の中心は閑散としており、大型店は郊外にありました。中央小学校も郊外に移転するとのことです。 |
![]() |
![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() |
目黒とメグロの回顧展 目黒製作所創業100年と目黒駅開業140年を記念した展示。メグロ初の完成市販車Z97型と最近のカワサキのメグロブランド車が展示されている。Zは日本海軍のZ旗に由来。Z97は最高速度は80キロで高い性能から白バイにも採用された。最近の映画ゴジラ-1.0にも登場した。 |
![]() |
エイトマン 横浜高島屋で開かれていたエイケン製作アニメーションの世界で昔のヒーローに久しぶりに再会しました。日本のアニメ創世記からアニメーションを製作してきたエイケン。アニメスタジオとして鉄人28号、エイトマン、スーパージェッター、宇宙少年ソランなどの原画やセル画、動画など貴重な資料が展示されている。 特に60年代後半の我々には懐かしいものが多く、特にエイトマンは大好きでおまけのシール付きののりたまをよく買ってもらった 今回はサザエさん放映50周年記念で1969年から現在まで年代別に資料や映像が紹介されていた。 |
![]() |
プラモデル製作 新型コロナによる外出自粛により、なん十年ぶりにプラモデルを作りました。以前インターネットで購入した昔のもので、原子力潜水艦シービュー号です。子供のころテレビ放送されていたもので、二十年ほど前に再販されたものです。部品も少ないので、割と楽に出来ましたが、老眼のためハズキルーペが欲しくなりました。プラモデルのストックは以前購入したものがまだいろいろあるので、また作ってみたいと思います。 |
![]() |
太軸万年筆三種 雑誌サライの付録。カラー三種 北斎ブルー、若冲レッド、雪舟ブラックの太軸万年筆。最近、万年筆が懐かしく昔の万年筆を引っぱり出したり、ブルーブラックのインキを購入したりしている。なかなか使用する機会は少ないが、サインなどにたまに使っている。 |
![]() |
コグレのレーシングカーセット 小学生のころ、レーシングカーブームがあり、友達とレースをしたり、レースカーを作ったしたが、50年以上ぶりにレーシングカーとコースをインターネットで購入した。子供のころはレーシングカーを3台とコースを持っていたが、いつの間にかなくしてしまった。何年か前から欲しいと思っていたが、やっと手に入れるすることができた。一緒に遊んだ友達はもういない。もう一度会って子供のころのように遊びたかった。 |
![]() |
全日空のYS11 YS11は戦後初めての国産旅客機でターボプロペラ機の傑作と言われた。全日空のかっての懐かしい機体カラーと会社マーク。ジェット機よりプロペラ機が懐かしさを感じる。 |
![]() |
日本通運のダンプトラックのブリキのおもちゃ たぶん小学生に上がる前に買ってもらったおもちゃ。60年ぶりにインターネットオークションでゲットしました。全長32センチでナンバープレートを押すと荷台がダンプアップします。その時の音も昔のままでした。よくもこの状態で残っていたのには驚きました。オークション出品者が北海道というのも何かの縁でしょうか。 |
![]() |
原子力潜水艦シービュー号のプラモデル 子供の頃、テレビで放映されていたSF潜水艦のプラモデル。この頃はアメリカのテレビドラマが多かった。海底大戦争の潜水艦スティングレーも恰好良かった。その頃のテーマソングも懐かしく思い出される。 |
![]() |
いすゞベレット1600GTRのプラモデル いまはなき、いすゞ自動車の名車。中学生の修学旅行の時、この車の前で写真を撮りました。真っ赤なボディカラーとスタイルに憧れました。 |
![]() |
ブリキのプロペラ機2 最近、日本航空のJA8027 TONE号をインターネットオークションで落札しました。機種ははっきりしませんが、多分DC7だと思いますが、ボーイングと機体に描かれています。日本航空の歴史を7調べてもボーイングのプロペラ機はありませんでした。フリクションで滑走させるとプロペラが回ります。 |
![]() |
ブリキのジェット機 最近、日本航空のJA8021をインターネットオークションで落札しました。機種はコンベア880です。SAKURAと書かれています。胴体に電池を入れるスペースがあり、たぶんエンジン部が光ったのかもしれません。DC8が投入される前に短期間導入されたようです。 |
![]() ![]() |
シグマ7日本公開 1964年に札幌のデパート今井丸井で開催されたアメリカの宇宙船の公開に行きました。最近、その時のパンフレットが見つかりました。 パンフレットによるとマーキュリー計画として米国で3番目の地球周回カプセルでシラー中尉が搭乗していたとのこと。当時の駐日大使がライシャワーというのも懐かしい。永い間、グレン中佐のジェミニ7号と思っていた。多分、そのあと見に行ったのと勘違いしていたのだろう。 小学生の仲間何人かといった記憶があるのだが、よく覚えていない。長姉に確認したところ、姉が連れて行ってくれたらしい。 |
![]() |
万年筆3代 一番左が中学入学時に買ってもらったセーラーミニ。当時、キャップをはめると短くなるのが、斬新でした。万年筆は何となく大人になったような気がした。当時はセーラーとパイロットが人気がありました。真ん中は高校生の時、父が東京お土産に買ってきてくれたパーカー。当時は値段が結構高かったような気がする。一番右が2017年、雑誌サライの付録の北斎ブルーの太軸。新聞の広告で見て、すぐに購入しました。最近、万年筆がリバイバルブームで、私も使うようにしている。パーカーのブルーブラックのインクも購入しました。 |
北海道防衛博覧会 2018年の新年家族旅行で浜松航空自衛隊のエアーパークに行き、F86F やF104Jなどのジェット戦闘機をまじかで観ました。その時、急に子供のころ札幌で同じ飛行機や戦車を見たことを思い出しました。インターネットで調べるとその当時、全国各地で防衛博覧会が開かれていることが判明しました。小学生だったので1960年代だったと思いますが、父親に連れて行ったもらい、その時の絵を描いて、展覧会に出品し入賞したと思います。また、岩見沢の空で見た双胴の飛行機はバンパイアという飛行機だったことが実物をみてわかりました。将に半世紀以上前の懐かしい思い出です。 |
|
|
日本一きびだんごと大嘗飴 子供の頃食べた記憶がある懐かしいお菓子。下田の姉のところに北海道の友人から送られてきたのを頂いた。北海道栗山町にある谷田製菓が今でも作っている。会社は創立100年とのこと。きびたんごは北海道開拓の精神を折り込んで大正12年に創製。大嘗飴は冬季限定で大正天皇の大嘗祭にちなみ大正4年に発売された。材料は天然の麦芽水飴、砂糖、生あん、もち米などを使用している。50年ぶりに食べたら懐かしい味がして、遠い昔のことが思い出された。 |
![]() |
エイトマンシール 1964年エイトマンはテレビ漫画で人気となり、そのシールは丸美屋のふりかけのりたまのおまけに入っていた。母親にねだって買ってもらった思い出がある。マーブルチョコには鉄腕アトムのシールが入っていた。また、こすって絵をうつす転写シールなどもあった。最近、丸美屋から復刻版のりたまが期間限定で発売され、シールのおまけが付いていたらしい。残念ながら買いそびれてしまった。 このころの漫画では、伊賀の影丸、おばけのQ太郎、おそ松くんなどがあり、戦記物では大空のちかい、紫電改のタカ、O戦はやとなどがありました。最近、同年代の方とこのころの漫画について楽しく話しました。 |
![]() |
コルト45 インターネットオークションで50年ぶりに入手した。 テレビで西部劇がはやった影響でピストルがはやりました。 念願のコルト45をインターネットオークションでゲットしました。実に50年ぶりに手にした懐かしい一品です。本体が黒のものが記憶にありましたが、銀色のものも買ってもらった記憶がある。プラスチックの弾丸がついていて6連発でした。当時の価格は350円だったそうで、かけそばが50円の時代でした。 |
![]() |
ブリキの飛行機 まだプロペラ機が主流でした。たしかDC7だと思います。 日本航空の機体もなつかしい。たしかゼンマイで走らせるとプロペラが回りました。 まだマブチモーターがなかった時代です。このあとモーター全盛のなりました。 このあとしばらくしてジェット機の時代となりましたが、プロペラ機にはなんとなく郷愁を感じます。 |
![]() |
メグロのオートバイ 今はなきメグロ製オートバイ、この重量感がたまりません モーターはありませんでしたが、ゼンマイがついていて手で押して遊びました。 たぶん月光仮面のオートバイで人気がでたのかな。 ネットオークションで出ていましたが、何万円というすごい値段でした。 |
![]() |
コルト45 増田屋のコンドルコルト45ウエスタンブームでした。テレビ映画のララミー牧場や コルト45、拳銃無宿など良く見ていました。 コルト45はたしか6連発だと思いました。弾丸は黄色のプラスチックでした。本体もプラスチックで落とすと割れてしまったように思います。 オークションで探しいましたが、やっと見つけ入手しました。 |
![]() |
サブマリン707U 少年サンデーに連載されていた漫画の潜水艦。当初イマイ模型から発売されたが、10年ほどタスクフォースより再生産されました。今でもマニアには結構人気があるらしい。この潜水艦に搭載されていた小型潜水艇ジュニアも大好きでしたで、全国の池や湖には何隻も沈んでいるという都市伝説がある。今でも潜水艦が好きなのはたぶん707の影響が大きい。 |
![]() |
F1のプラモデル ホンダF1、メキシコグランプリで初優勝したモデル。白いボディに日の丸のデザインが鮮やか。田宮模型製1/12スケール。当時は高くて買えなかった思い出がある。 プラモデルの戦艦、戦闘機や戦車などもよく作りました。大和の巨大スケールのものは憧れの的でした。最近発売された田宮模型全仕事でも紹介されています。 |
![]() ![]() |
漫画サブマリン707 少年サンデーをよく読みました。たまに手に入らなければ、少年マガジンや少年キングも買いました。週刊で値段は50円だったで特に小沢さとる作のサブマリン707が好きでした。復刻されたものはオークションで購入しました。 |
![]() |
少年雑誌ボーイズライフ 中学、高校生向けに創刊された雑誌 ボーイズライフ。007シリーズの漫画やSF小説が面白かった。小学館から出ていた。、小学1年生から6年生、中学1-3コース、高校1-3年コースなどの学習雑誌とは一味違った娯楽誌だった。 |
![]() |
1/24のレーシングカー コグレのコブラです。持っていたのは赤のボディで確か少年雑誌の懸賞で当選したもの。当時はお小遣いも少なく、なかなか買えないものでした。中学生の時コースも購入し、よく友達と遊んでいました。たしか赤いアルファロメオもあった記憶がある。 その友達も数年前に鬼籍にはいりました。寂しい限りです。 |
![]() |
ハリケーンボーイ 小学2年生と3年生に掲載されていたハリケーンボーイの復刻版をオークションで購入しました。50年以上前のロボット物の漫画ですが、小学2年の孫が熱心に読んでいたのには驚きました。当時のSFもののはしりだったように思います。X1号などのロボットに興奮しました。 |
![]() |
チューインガムの包み紙 小学生の頃、チューインガムの包み紙を集めるのがはやりました。友達のないものを交換したりしました。最近、オークションでチューインガムの包み紙コレクション本を購入しましたが、なつかしいものもありましたが、知らないものが多いのには驚きました。 ハリスガムはすでになくなり、カネボウフーズに吸収されました。 |
![]() |
フローラル フローラルという外国製のガーデンセット。花や木をプレートの穴にスコップで差込みます。このほかに塀や花壇などの部品もそろっていた。たぶん、父が東京のお土産に買ってきた貰ったのだろう。とてもカラフルで外国の雰囲気がありました。よくHOゲージの鉄道模型の脇に並べていました。 |
![]() |
切手収集 小学生の頃、切手収集ブームがあり、記念切手を集めていた。友達と競争してめずらしい切手をあつめました。少年雑誌にも切手販売の広告が載っていました。鳥や国立公園シリーズなどめずらしい物はなかなか手に入りませんでした。あのころなぜ、切手収集がはやっていたのだろうか。あのころ手に入らなかったルリカケスの切手は今では手に入れられそうだ。 |
町内会 大人から子供まで近所の人々が集まり、ジンギスカンを食べたり、小旅行したりみんなでよく集まりました。北海道は開拓の歴史が浅く、みんな本州からの移住だったせいか、遠くの親戚より近所の人たちと助け合うことが多かったせいかもしれない。 |
子供会 小学生まで地域のこども会がありました。毎月だったのか不定期だったのかはっきり覚えていませんが、地域の子供達が学年に関係なく集まっていました。子供会の歌を歌った記憶があります。また、夏休みにはラジオ体操をしたり、キャンプファイアーをしたりしました。歌詞は♪こいこい子供の子供会、こども同士の相談で、みんなの幸せ出しああって、足並みそろえて手を振って、らんらんらんらんらららららららららら、明るい世界をつくろうよ♪ |
七夕の思い出 北海道ではなぜか8月7日が七夕でした。東北以北の地方では多いようです。また、短冊を飾るのも笹ではなく、柳を使っていました。たぶん北海道では笹がなかったせいでしよう。七夕にはろうそくだせと歌いながら提灯を持ち各家を回り、ろうそくやおかしをもらうのが楽しみでした。日本では地蔵盆にも同じような風習があるし、ハロウィンにも似た行事があるようですが、何か関係があるのだろうか |
秘密基地 小学生の頃、近所の友達と一緒に空き地に秘密基地を作りました。枯れ枝や枯れ草で屋根を作り、ちょうど縄文時代の家のようでした。また、冬には雪を積み上げてかまくらも良く作って遊びました。中で家からおやつを持ってきてみんなで食べました。今では空き地や原っぱも少なくなり、こんな遊びも出来ないでしょう。最近図書館で見ましたが、秘密基地の作り方なんて本があり、みんな同じような遊びをしていたのだとなつかしく思いました。大人になり、キャンプを楽しむようになったのも、この頃の影響かもしれません。 |
めんこ まるや四角のめんこを集めるのもはやりました。これを使い対戦もしましたが、色々なものを集めるのもはやりました。また、ロウメンなる小さな丸いめんこを何枚も重ねロウで固めたもので、指で飛ばして遊びました。確か近所の文房具店兼駄菓子屋で売っていたと思います。 |
スキー遠足 北海道では冬にスキー遠足がありました。スキーを担ぎ、近郊の山まで歩いて行きました。どのくらい歩いたのか定かではありませんが、1時間くらい歩いたのでしょうか。現地(三角山?)に着き、リフトはなく山の上まで歩いて登りました。おにぎりも凍らないまでもとても冷たかった記憶があります。また、汗をかくので背中に新聞紙を入れたり、タオルをいれ汗をかくとそれを取りました。今で思うとささやかな生活の知恵だったと思います。 |
バター 北海道ではよく暖かいご飯にバターを混ぜてねぎやのりを入れ、おしょうゆをかけて食べました。(今でもたまに食べます。家族も好きです)また、お味噌汁にバターを入れて食べたりしました。最近、ケンミンショーでもやっていました。 |
北海道のお菓子 いまや北海道のおかしは北の恋人などいろいろな種類のがあるが、子供の頃は、千秋庵の山おやじや登別のわかさいも、旭豆ぐらいしかなかった。そういえば、昔食べた中に餡クリームが入っているお饅頭のようなお菓子(雪なんとかという名前)がなつかしいが、4月に北海道に行った時探したが、見つからなかった。 |
灌漑溝(北海幹線用水路) 北海道遺産完全ガイドに灌漑溝のことが載っていた。子供のころからかんがいこうと呼ばれていたが、単なる川と思っていた。しかしこの水路が昭和4年に完成した全長80キロの用水路であることを初めて知った。空知川から取り入れた水が空知平野の米作りを支えている。 |
Ryouji My Favorite