「静かな森の洋館」
「困ったな〜」ハンドルを握りながら、辺りを見回していた。
日がすっかりと落ち、辺りは漆黒の闇に包まれ始めていた。
どうやら曲がる道を間違えてしまったらしい。
引き返すにも、Uタ−ンに適している所を見つけられず、
この一本道を更に車を進める事しかなかった。
車一台がやっと通れる様な道は、左右から木々が覆い被さる様に
はりだし、ヘッドライトの明かりを頼りに車をゆっくりと進めた。
どれ位走ったのだろう。
前に漆黒の闇を見ながら一旦車を止め、ポケットから煙草を取り出し、
ライタ−で火を着け、ゆっくりと大きく息を吸い込んだ。
時計を見ると12時近くになっていた
辺りは不気味な程物音もなく静寂の闇に包まれ、全てを飲み込んでいる様だった。
暗闇の中にゆっくりと漂う煙を見ながら
「まあ、ゆっくりと行こうかな」
日常の忙しさを忘れしまった気がしていた。
再びギアをドライブに入れ、車をゆっくりと進め様とすると
道の先に僅かな明かりを見付けた。
気をつけて見なければ見逃しそうな小さな灯りだが、
ほんのりと暖かそうな感じの灯りだった。
「とりあえず行ってみるか。」
この迷い道から出る事が出来そうな期待感が、僕を後ろから押している気がした。
ほんの5分程で着く事が出来た灯りは明治時代に建てられた様な洋館だった。
全体の半分程をツタ類が覆い、所々から見える窓に灯りが灯っていた。
石で出来ている門の間をゆっくりと車を進め、玄関に近づいていく。
玄関近くの僅かなスペ−スに車を止め、エンジンを停止した。
「人が起きていてくれればいいんだが・・」
微かな期待を持ちつつ、ドアを開けた。
森の透き通った夜のひんやりとした空気が僕を包み込んだ。
僕は微かに身を震わせた。
玄関の前に立ちノックをしようと手を伸ばすと、ドアは中からゆっくりと開き始めた。
ドアが重い音をたてながら、中の灯りによって僕の足下を照らし始めた。
「道に迷いましたか?」
中からの声に視線を上げると、灯りを背に女性が立っていた。
彼女は頭から全身に布を纏っている様で、所々から出ている長い髪が揺れていた。
その女性は僕の顔を見ると少し驚いた様だったが、すぐに何事もない様子に戻っていた。
「はい、道なりでここまで来てしまいました。帰りの道順を教えて頂けますか?」
彼女は判りやすく簡単に教えてくれた。
彼女に礼を言って車に戻ろうとした時、
「もう真夜中の時間ですし、少し休まれて行かれたら如何ですか?」
「ご迷惑ではありませんか?」
「構いませんですわ、ただ一つお願いがありますが・・・」
「お願いとは何ですか?」
「この屋敷は本来、男性禁制になっているのです。私以外の者に会った時は
話さずに下を向いていて欲しいのです。」
「分かりました、ただこの格好では・・・」と言いかけると
バサッという音と共に一瞬、真っ暗闇になった。
「これをどうぞ」
彼女の声のする方を見ると、視線の周囲に黒い物が見えた。
彼女が今まで羽織っていた物を僕に羽織らせてきた物だった。
僕は身体を包んでいる布を見てみた。
「これでしたら十分に隠すことができますわ。」
布はマントであった。
「マントは保温性も高いですし、身体の線を消してくれますわ。」
フ−ドを被ると視線の上半分を隠し、僕の格好を包み隠すのに余りある丈で、
ベルベットの優しく暖かい感触が僕の身体全体を包んでいた。
「さあ、こちらへどうぞ」
彼女の案内される方へと進んでいった。
屋敷はかなり大きい様で、赤く柔らかな絨毯が敷いてある廊下を進み、
幾つものドアの前をすぎて行った。
やがて、一つのドアを開けて、中に入っていった。
部屋の中は簡素な作りで、布張りで出来たソファ−、
木で作られていてしっかりとしたベットがあるだけだった。
「こちらの部屋でお休み下さい。」
「有り難うございます。でもどうして男性禁制なのですか?」
少し不躾な質問だと思ったが、彼女に問いかけてみた。
「ここは心に傷を負った女性の安息地なのです。」
彼女は少し寂しそうな表情になりながらも言葉を続けた。
「ここはあるお方が財産を投じて傷ついた女性の為に作られたもので、
男性に裏切られたり、暴力を振るわれたりと、酷い目に遭わされて
深い傷を負ってしまった女性の逃げ込み寺なのです。」
彼女は、ゆっくりと壁に視線を移していった。
「ここを作られたのがあの方なのです。」
僕はゆっくりと壁に掛けられている肖像画に近づいて行った。
「この人が・・・」
僕は肖像画を見て、驚いてしまった。
その絵に描かれていた人物は、年齢こそ違うようだが、
まるで生き写しの様に僕と似ていた。
「先ほどは驚いてしまいましたわ・・」
彼女はそう言うと僕の隣に歩いて来た。
「この方が居りませんでしたら、私達は酷い人生のままでした。」
しばらく彼女と共に肖像画を愛おしむ様に見ていた。
僕は彼女からマントを借りていた事を思い出し、
「これをお返しします。」と脱ぎ始めようとすると、
「そのまま着ていてて下さいな、あのお方もよく着ていられましたわ。」
「それでは、貴女の分が」
「まだ他にもありますわ」
彼女は部屋にある洋服ダンスを開けて、僕に見る様に言った。
「貴方が選んで下さいな。」
言われて中を見ると、マントは人型のハンガ−に各々吊されており、
ウ−ルで作られた赤いマント、ベロアで作られた白いマント、
今僕が着ているのと同じ様にベルベットで作られたキャメルカラ−のマント、
様々な素材と色をしたマントが並んでいた。
一通り視線を通すと、一着のマントが目にとまった。
カシミヤの様な素材で作られており、色は淡いピンク色をしており、
襟元を結ぶ紐の先には可愛らしいボンボンが付いていた。
丈は彼女を包むのに十分な大きさだった。
「これが良いです。」
彼女は僕に微笑みながら、そのマントを手に取り着始めた。
「このマントは、あのお方が好きだったマントなのですよ。」
彼女は愛しい人に抱かれる様に、またマントの優しい感触を感じる様に、
マントの中に身を委ねていった。
「少しの間だけ、あの方の思い出に浸らせて下さいな。」
彼女の申し出に二人並んでソファ−に腰掛けた。
彼女は安心した様に、懐かしさに浸る様に僕の身体に身を預けてきた。
僕は彼女の方をしっかりと抱いてあげ、彼女にマントを巻きつけた。
「僕でよければ、気の済むまでどうぞ」
彼女は僕を見つめて
「あの方もそう言ってくれました・・」
彼女は僕の胸に顔を埋め、僕は更にマントで彼女を優しく包み込んだ。
彼女の思い出を包み込んでいる様に・・
「これも何かのお導きかもしれませんわ。」
彼女はゆっくりと起き上がり、僕に唇を重ねてきた。
彼女の髪からはシクラメンに似た香りが漂っていた。
僕はそっと彼女の髪を撫で、身体を引き寄せた。
長い時間逢えなかった事をうち消すかの様な長いキス・・・
彼女は一度唇を離すと、僕の首に腕をまわし、耳元で囁いた。
「私をもっと愛して下さい、ソファ−でなく・・・・」
僕はそれに無言で応える様に、ピンクのマントに包まれている
彼女を抱えて、ゆっくりとベットへと向かった。
柔らかなマントに包まれている彼女は、マントの暖かさに身を預けている様に
安心している感じがした。
ベットに彼女をおろすと、今度は僕から唇を重ねていった。
「あのお方の思い出と共に・・・」
やがてピンクのマントは、黒く大きいマントに包まれ始め、
優しい律動を繰り返し長い時間が過ぎていった・・・
微かに小鳥達のさえずりが聞こえてくる。
どれ位寝ていたのだろう、気が付くと一本道の脇にある、
小さな空き地に停めた車の中で目を覚ました。
辺りを見ても木が覆い茂っているだけだった。
「夢か・・」
僕はエンジンをかけ、ゆっくりを木々の間の一本道に車を走らせた。
ほんの少し走ると、1人の年輩の女性を見つけた。
僕は町に出るまでの道を尋ねると、この道から先の交差点を曲がるだけだった。
礼を言って走り出そうとすると、何処から来たのかを尋ねられた。
昨日の夢と現実ともおぼつかない話をした。
「あの屋敷を見ましたか・・・」
女性は視線を僕が来た方に向けて話し始めた。
「あの屋敷は明治時代に建てられた物で、ある貴族の方が建てたそうです。
まだ男尊女卑が酷い時代で、あまりの酷さに女性の駆け込み寺として作られたそうです。
男性からの酷い暴力から逃げて来た人や、酷い仕打ち・裏切りをされた人達が
安心して過ごす事の出来る所だったそうです。
しかし、昭和の戦争で・・・・
男性は見た事のある人はほとんどいないそうです・・・」
来た方に視線を移すと静かな森があるだけだった。