【 手を繋いで 】
人懐こい猫を見つけた。
白と黒の色を持つ、可愛らしい子猫を。
そのふわふわの毛に惹かれて、どうしても触ってみたくなって。
本当は少し怖かったけれど、おずおずと手を差し出したら、指先をペロリと舐められて。
それがとっても嬉しくて、その子猫の後をしきりに付いてまわった。
前へ進めば自分も前に。
角を曲がれば自分も同じに。
───そうして。
気付いた時には、もうひとりきりだった。
「…………おとーさん?おかーさん?」
一緒だったはずの両親の姿はどこにもなかった。
「おとーさぁん!おかーさぁん!………どこぉ?!」
何度辺りを見回しても、見つからない。
さっきまでいたはずの広場も、どこにもなくて。
ただ呆然と、その場所に立ちすくむほかなかった。
「…………?」
アスランは不意に立ち止まった。
そして何かを探すかのようにきょろきょろと辺りを見ている。
横を歩いていたレノアは、そんな息子の様子を訝しんで足を止めた。
「どうかしたの、アスラン?」
その声にハッとすると、アスランはかぶりを振った。
「いいえ、なんでもありません」
「………そう?」
曖昧な表情をする我が子が少し気になったけれど、レノアはそれ以上追求する事なく、再びアスランを促して歩き始めた。
アスランは一瞬だけ躊躇したけれど、母に付いて自分も歩き出す。
(さっき泣き声が聞こえた気がしたんだけど……気のせいかな)
今耳を澄ませても、何も聞こえて来ない。
確かに先程、誰かの哀しげな啜り泣きを聞いた気がしたのだけど───。
気のせいだったんだとも思うけれど、なんだかとても気になって。
「………ラン?アスラン?」
「えっ?」
「あら、やっぱり聞いていなかったのね」
「ご、ごめんなさい」
ひたすら恐縮するアスランに、レノアはふふっと笑った。
「いいのよ。でも珍しいわね、あなたがぼうっとしてるなんて」
母親から見ても、この息子は幼いながらにしっかりしている。
アスランはまだ6歳になったばかりだった。
けれどその落ち着き方は、いっそ子供らしくないと言われる事もある程で。
あまりにも聞き分けの良すぎる我が子を、レノアは誇ると同時に少し寂しくも思っていた。
だからこそ、年相応の可愛らしい反応を見ると、ついつい嬉しくなってしまう。
微笑む母を前に、アスランはなんと言っていいか分からずに、ええと…と曖昧に返事をしようとした。
その時。
「ふぇぇ……ん。か……さぁ………ん」
(聞こえた……っ)
確かに右の通り辺りから、少女の泣き声が聞こえて来た。
それはとてもとても不安そうで─────。
アスランは、堪らずにそちらへと駆け出した。
「アスラン?!」
母の驚いた声が聞こえる。
「ごめんなさい、お母さん!先に行っていて!!」
詳しく説明する間も惜しくて、アスランはそれだけ言って走り出す。
早く探し出さなくちゃ─────!
早く傍に行ってあげなくちゃ─────!!
何故そう思うかわからない。
けれど、早く早くと急く心をどうしても抑えられなかった。
「う…ぅ……ひっく……ぅ…ふぇ………」
建物の影に、その子はいた。
膝を抱え込み、小さな身体をよりいっそう小さくして。
嗚咽の度に揺れる肩が、とても痛々しい。
乱れた息を整えながら、アスランはゆっくりと慎重に近付いていく。
驚かせないよう、怖がらせないように。
そして少女のすぐ傍まで行くと、アスランは口を開いた。
「どうしたの?」
声に一瞬ピクリと反応すると、その子は俯かせていた顔をそろそろと上げた。
チョコレート色をした髪が、さらりと流れる。
次いで現れたのは─────。
涙で潤んだ、大きな大きなアメジスト。
宝石のような瞳から零れ落ちる雫すらも、まるで奇跡のように奇麗で……。
「あ…………」
アスランは、思わず声を忘れた。
白い肌と整った容姿。
それは自分と同い年位の、お人形のように可愛らしい女の子だった。
「だぁれ………?」
しゃくりあげながら、少し舌足らずな声が問うてくる。
不安そうに揺れる瞳に少しの怯えを見取って、アスランは安心させるように微笑んだ。
そして、座り込んでいるその子と視線を合わせるために自分もしゃがみ込んだ。
「大丈夫、怖がらないで」
柔らかな笑顔、優しい声。
それを向けられた少女は、安心したのかだんだんと緊張を解いていった。
「どうして泣いているの?」
「……おとーさんとおかーさんが………いなくなっちゃった」
「お父さんとお母さんが……。それじゃあ、迷子になっちゃったんだね?」
「…………うん」
「どこから来たか、覚えてる?」
「わかんない…………猫さん追いかけてたら…全然知らないとこにいたの」
「そっか………」
「おとーさん、おかーさん………会いたいよぉ……」
再び大粒の涙を零し始めた少女を慰めるように、アスランは優しく髪を撫でた。
不安のあまり、ぎゅっと縋り付いて来たその子の背中をぽんぽんと叩きながら、アスランは大丈夫だよと何度も囁いた。
「大丈夫、ちゃんと会えるよ。僕が一緒に探してあげるから」
「…………本当に?探してくれるの……?」
「うん。だから、ね?泣かないで?」
頬を滑り落ちる涙を拭ってやりながら、アスランは優しく言った。
少女はアスランの言葉にコクリと頷くと、一生懸命嗚咽を堪えて泣き止もうとする。
柔らかな髪をひと撫でして、アスランはゆっくりと立ち上がった。
「さぁ、いこう?」
そう言ってアスランは手を差し伸べる。
差し出された手とその向こうにある笑顔を見比べると、少女はアスランの手をおずおずと取った。
右手に触れた柔らかな手の感触に、アスランはドキリとする。
───そういえば、と思う。
もう随分と『誰かと手を繋ぐ』ことをしなくなっていた。
父は、あまりそういう事を好まないひとだった。
母とは数年前まではしていたけれど、父の強い視線を感じる度に、自分から「大丈夫だから」と言って手を離すようになっていった。
少し哀しげな母の表情には気付いていたけれど、早く大人にならなければならないという思いがあったから………。
それ以来、誰かと手を繋いだ記憶はなくて。
だから、今右手にある温もりに思わず心を突かれた。
あまりにも、温かくて─────。
少女を見ると、繋がった手をじっと見た後、アスランの方を見上げて嬉しそうに笑った。
花が綻ぶような、愛らしい微笑み。
そして、握った手にぎゅうっと力をこめてくる。
そんな少女の様子に、アスランも心の奥が温かくなるのを感じた。
「じゃあ、いこうか」
「うん!」
アスランと少女は微笑み合うと、ゆっくりと歩き出す。
ふたりはすっかりと打ち解けて、色々な話をした。
自分の名前や家族の話、それに好きな食べ物の話とか色々な事を。
楽しげな笑い声を時折響かせながら………。
息子を心配したレノアがアスランを見つけ、彼女の知らせで少女が無事に両親と再会するのは、それから約20分後の事─────。
そして、アスランが愛らしい"少女"だと思っていた子が実は"少年"だったと気付くのは、それからさらに5分後の事だった。
++ 4 years after~ ++
「キラ早く早く!置いていくよっ?」
藍色の髪をさらっと風になびかせて、アスランが急かす。
時計の針は、既に走らなければ間に合わない程の時間を示していた。
「ああっ。待ってよぉアスラン!」
この状況を作った元凶であるキラは、寝癖の付いた髪を押さえながら走り出した。
もう随分と先に行ってしまったアスランを見て、思わず半泣きになる。
巻き込んだ本人としては申し訳ない思いが先に立つけれど。
でも、それでも待っていて欲しいと思ってしまうのは、やっぱり我が侭なのだろうか。
キラが丁度そんな事を思っていると、アスランは少し先で立ち止まった。
キラが追い付いてくるのをその場で待つと、アスランは彼に向かって手を差し伸べた。
「ほら、いこう?」
吃驚したようにその手とアスランの顔を眺めるキラ。
けれど一瞬後には、嬉しそうに満面の笑みを浮かべてその手を取った。
しっかりと繋がれた手を見て、ふたりは微笑み合う。
そして、そのまま一緒に駆け出した。
設定=アスラン&キラ⇒6歳
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