【00:キラと小さな天使 】
「僕はキラ。これからよろしくね」
僕はしゃがんで目線を合わせながら、そう言った。
目の前で立ちすくむその子に笑いかけながら。
女の子みたいに可愛らしい男の子だった。
緑色の宝石みたいな目を大きく開けて。
そうして、微動だにせずにただじっとこっちを見てるだけ。
あ……これは掴みに失敗したかな、と。
そう思って内心かなり慌てたんだけど………暫くして、小さな手が僕に向けて伸ばされて。
そっと握ったその小さな手は、とてもとても温かかった。
アスラン。
それがその子の名前。
僕が故郷から遠く離れたプラントで持った、新しい家族だった。
「ねぇアスラン」
僕はリビングに入るのと同時に声をかけた。
すると、ソファに座って絵本を見ていたアスランがこっちを振り返る。
言葉はない。
でも、視線だけでなぁに?と言ってるのが分かるから。
「お昼作るけど何か食べたいものある?」
聞くと、アスランは瞳をぱちくりとさせた。
それから視線をずらして、壁掛けの時計をじっと見つめている。
どうやらアスランもお昼の時間を忘れてたみたい。
何かに集中すると他のことが疎かになりがちなのは、僕とおんなじかな?
気付けば、時間はもう12時になるところ。
そろそろお昼の支度をしないといけない頃合いだ。
本当はいつも12時にはお昼ご飯食べ始めるんだけど、さっきまでずっと自室でパソコンに向かいながら仕事をしてたせいか、ちょっと遅れてしまった。
一度集中すると、どうにも時間感覚が鈍くなってしまう。
同僚とかは「それだけ集中できるのは良いことだ」って笑ってくれるけど、やっぱりちゃんと時間を守るのも大切だし。
僕のこういうところがアスランにうつったら困るしね。
レノアさんに怒られちゃう。
あの人は、そういうところすごくきっちりしてる人だから。
「食べたいものがあれば作ってあげるよ?」
もう一度そう言うと、アスランはちょんと小首を傾げた。
こういう仕草をしてると、本当に女の子みたい。
それからちょっと考え込む素振りを見せて……。
「……オムレツがいい」
答えを聞いて、ちょっとだけやっぱりなって思った。
アスランはオムレツが大好物みたいで三日に一度は食べたがる。
あとはロールキャベツも大好きでこっちも三日に一度は強請ってくるっけ。
あんまり偏っちゃうと駄目だから、実際に作る頻度は程々にしてるけど。
まだ僕がこの家に来て間もない頃、どうアスランと接して良いか悩んでた時に、一気に仲良くなれたきっかけがロールキャベツだった。
母さんに教わったレシピを必死に思い出しながら作ってみたら、なんだかものすごく感動された。
すごくおいしいってほっぺた真っ赤にして言って。
そして……何故か泣かれた。
どうしてあの時アスランが泣いたのかは今でも分からないけど。
でも、それからアスランのよそよそしい態度はなくなって、僕になつくようになってくれた。
あの時程、嫌がる僕に無理矢理料理を叩き込んでくれた母さんに感謝したことはない。
「いつものツナの入ったのがいい?それともプレーン?」
「……ツナの」
「了解。すぐ作るからちょっと待っててね」
アスランはこくりと頷いた。
その瞳が、いつもよりきらきらと輝いてる。
どうやら大好きなオムレツが食べれるのが嬉しいみたい。
本当に素直で可愛いなぁ。
ちょっと口数が少ないところもあるけど、別にそんなに気にならないし。
逆に、それがアスランらしい気もするし。
そんなことを考えながら、僕は椅子にかけてある紺色のエプロンを手に取るとキッチンへ向かった。
僕とアスランがこのザラ邸で暮らしはじめて、早いものでもう三ヶ月になる。
といっても、ここはディセンベルの中心地にある本宅じゃなくて、そこから大分外れたところにある別宅。
本当は本宅のお屋敷で…というのが最初の話だったんだけど、僕とアスランだけで住むには広すぎるという理由と、もうすぐアスランが通うことになる幼年学校が近いからという理由で一時的に移住することになった。
ただ本宅よりは大分小さいとはいえ、それでも僕とアスランと数名のお手伝いさんが住むには十分に大きすぎる家だろう。
ここで僕はアスランの保護者代理兼ボディガードとして彼の傍に付いている。
少し前にレノアさんと交わした約束を守るために。
今はユニウスセブンで農作物の研究に勤しんでいる彼女の代わりに、彼女の最愛の息子であるアスランをその一番近くで見守っている。
アスランは現在5才。
レノアさん譲りの翡翠色の瞳と濃紺色の髪をしている男の子。
初めて会う人の10人中7、8人が間違うくらいに、まるで女の子みたいに可愛い顔をしている。
でも、見た目だけで判断すると痛い目見るかも。
本人はこの年とは思えないくらいにしっかりしてて頭もすごく良いから、天使みたいに可愛い外見にふらふら近寄っていくとバッサリ切られちゃうことも……。
彼のお父さんは、かの有名なプラント評議会議員で国防委員長をしているパトリック・ザラ氏。
泣く子も黙る鬼長官としてプラントではクライン評議会議長と並ぶくらい有名な人だ。
パトリックおじさんは、今は一応僕の上司にあたるのかな。
特務隊っていっても、あんまりそれらしい仕事したことないから実感湧かないんだけど。
こう言ったらあれだけど……僕の場合は肩書きだけみたいなものだし。
……と、まぁそれは置いといてと。
そんなわけで随分大変な家に生まれたアスランは、今の時点で既にプラントの将来を託された希望の光のひとつなわけで。
でも、だからこそプラントやコーディネイターを敵視している人達にしたら随分やっかいな存在になる。
今から約一年前にプラント内で起きたザラ国防委員長とその一家を狙ったブルーコスモスのもの思しきテロでは、幼いアスランも標的に上げられていたらしい。
だからこそパトリックさんは、アスランの身を案じてレノアさんと一緒に月へと移住させた。
その後間もなく地球プラント間の交渉が決裂して一気に戦争ムードが高まったせいで、地球軍基地がある月も安全とは言えなくなってきたから、ふたりは結局1年でプラントに戻ってくることになったんだけど………。
でも、プラント内も完全に安全とは言えないから、僕がボディーガードに付けられることになった。
本当は僕の前に何人か別の人がやってたみたいなんだけど、どうも皆アスランと上手くいかなかったみたいで……それで困ったレノアさんから僕に話が来たんだ。
ボディーガードの件と、そしてアスランの保護者代理の件を合わせて。
パトリックさんは相変わらず忙しくて家に帰らないことが殆どだし、レノアさんも最近忙しくなってきた自分の研究でどうしても家を離れなきゃいけないことが多いから、その間出来ればアスランの面倒を見てほしいって。
誰をどこまで信用できるか分からないから、昔からよく知ってる僕にこの話を受けてほしいって、頭を下げられた。
パトリックさんにもレノアさんにも僕がプラントで暮らす上で本当にお世話になったから、僕は二つ返事でその話を受けた。
それに、名前は知ってても今まで会ったことのなかったアスランにも会ってみたかったから。
そんな感じで、僕とアスランは出会うことになった。
レノアさんからかなり人見知りの激しい子だって聞いてたから、内心ではかなり不安だったりもしたけど───。
初対面の最初の方は結構ぎくしゃくしちゃって、これからどうなることかと思ったけど、今ではそれなりに仲良くやれてる……………と、思う。
どうだろう……嫌われてないかなぁとは思うけど。
くっついて来たり、よく笑ってくれたりするから。
ただ、僕はアスランのこと大好きだから、アスランにも好きになってもらえたら嬉しいかな。
「おいしい?」
「うん」
「そっか、良かった」
目の前でフォーク片手に口をもぐもぐと一生懸命動かしてるアスラン。
こういうところを見てると、子供好きな人とか親バカな人の気持ちがよく分かる気がする。
本当に可愛いんだもの。
僕は特別子供好きっていうわけじゃなかったはずだけど、それでもアスランは可愛いなぁって思っちゃう。
一生懸命なところとか見てると、すごく微笑ましくて。
これって保護者の欲目かな……?
「あ。アスラン、ケチャップついてる」
「え、どこ……?」
「ここ。左のほっぺ」
「……………?」
「あっと、そこじゃなくてね───」
身を乗り出して、真っ赤なトマト色がのってる頬を人さし指で拭った。
きょとんしてる瞳に、にっこりと返す。
アスランは不思議そうに彼のほっぺから僕の指先に移ったケチャップを眺めていた。
この子はわりと手先が器用なのか、同じ年の子と比べてかなり上手に物を食べる。
もしかしたらパトリックさんとレノアさんの躾の賜物かもしれないけど。
だから、こうやって食事でちょこちょことお世話するのが嬉しかったりする。
子供が食べ散らかして毎回手を焼いているお母さんには羨ましがられるかもしれないけど。
「えっと…」
ケチャップのついた自分の指先を眺めること暫し。
どうしようかなー手拭きで拭こうかなーって思ってきょろきょろ探してたら……。
ちゅっ。
「へぁ……っ?」
突然、指先に濡れた感触。
な、なに?!
って思って、視線を戻せば…───。
「ん……」
「ア、アスラン……?」
「……なぁに?」
「なに?……て、それ、こっちの台詞…なんですが……」
ぱくり、と。
いつの間にか僕の人さし指は、アスランのお口の中。
───とりあえず、呆然。
口をぱくぱくしてる僕に、アスランはどうしたの?とばかりに小首を傾げた。
ちなみに僕の指は、まだくわえたままで。
「だって」
ぷはっと口をはなして、アスランが言う。
だって、なに?
「おいしそうだったんだもの」
「な、なにが?」
「キラのゆび」
「…………っ!!」
はい……っ?!
何故か顔がカァーっと熱くなる。
だって、なんかものすごいこと言われたような………。
「キラのつくるお料理、すごくおいしいから。ならつくるキラも、おいしいのかなって」
「……………」
「やっぱり、おいしかった」
ちょこっとはにかみながら言うアスラン。
ほわりと仄かに染まった柔らかそうな頬が、なんとも可愛い。
可愛い、けど………。
ちょっとちょっとアスラン君?
人は食べてもおいしくないよ…?っていうか、食べ物じゃないよ?
人の指舐めて『おいしい』なんて、頭のネジの緩んだエロオヤジしか言わないよ〜?
でも肝心のアスランは、もう残りかけのオムレツに夢中。
いくつか残ってるうちのひとかけらを器用に口に運んで、またご満悦そうにもぐもぐもぐ………。
…………もしかして僕、何か育て方…間違った………?
この子って、ひょっとして。
このまま放っておいたら、ちょとオバカな天才児か。
もしくはものすごいタラシになる可能性があるんじゃ…………?
そんなことをぐるぐる考える僕。
対するアスランは、目の前で最後のかけらまでぺろりとたいらげて。
猫舌なこの子の為にぬるめにしておいたマグの中のホットミルクをこくりと飲み干す。
そして見せる、ほわんとした天使の笑顔。
「またたべさせてね?」
─────どっちを……?
++END++
可愛いのか変なのか激しく微妙……?
でもそれがキラの天使…らしい。
|