【09:やわらかな光 】 .....『ほのぼの10title』より
その日、アスランは朝からそわそわしていた。
人によっては「いつもと変わらないのでは……?」と思うくらいのかすかな違いでしかないのかもしれないけれど、キラには常との違いがよくわかる。
だてに毎日一緒に暮らしているわけではない。
それに、アスランがそうなる理由に心当たりもある。
(あはは、可愛いなぁ……)
キラはテーブルに頬杖をつきながら、目の前の幼子の様子を眺めつつ、ふふ…と微笑した。
それに反応してアスランが「なぁに…?」と小首をかしげたけれど、キラはなんでもないよと笑ってそれをかわした。
ちょこんと大人しく椅子に座っているアスランは確かにいつもと変わらない風にもみえる。
でも、実はテーブルの下に隠れた足が時折ぶらぶらとせわしなく動いていることを、キラはちゃんと知っている。
お行儀が悪いからやめなさい、と親がいたら注意されそうな仕草。
最も、今アスランがしているくらいなら許容範囲内と捉えられそうだけれど。
ただ両親の立場等の関係もあり、そういうことにはとりわけ厳しく躾けられただろうアスランなだけに、ちょっとのことがやけに大きく感じられるのかもしれない。
頬杖をつきながらそんなことをつらつらと考えていると、不意にピーッピーッという電子音が響いた。
もう大分耳に馴染んだ、内線の呼び出し音。
キラは立ち上がってヴィジフォンの傍まで行くと、内線通信をオンにする。
画面には、キラとアスランの身の回りの世話する為に、この家の別棟に住み込みで働いてくれている使用人のうちのひとりが映し出された。
いつも凛々しく引き締まった表情が印象的な、それでも決して女性らしいやわらかさを失わないひと。
今この家にいる使用人の中では一番年長で、長らく不在のザラ夫妻やその代理としてここに居るキラに代わってこの家のことを取り仕切ってくれている、とても有能な女性だった。
『キラ様。お寛ぎのところ失礼いたします』
「いいえ、大丈夫です。どうしましたタリアさん?」
『今あちらから連絡がありまして、もう間もなくお着きになるとのことです』
「そうですか、分かりました」
キラは通信を終えると、アスランの傍に足を進める。
期待と不安がごちゃまぜになっている瞳に笑いかけると、キラはくしゃりとアスランの柔らかな髪の毛をなぜた。
「もうすぐだって」
途端、ぱぁっと輝いた顔。
内側から溢れ出そうなくらいの『嬉しい』っていう感情がダイレクトに伝わってきて、キラはくすっと笑みを零した。
「じゃあ、そろそろお迎えに出ようか」
「うん…っ」
キラはもう一度アスランの髪の毛をよしよしとなでると、その小さな手を取った。
すぐにぎゅうっと握られる手のひら。
ほのかなぬくもりを分け合いながら、ふたりは少しだけ足早になりながらリビングを後にした。
キラとアスランが門の前で待つこと数分。
一台の黒いエレカが姿を見せはじめ、ゆっくりとふたりの前に滑り込んできた。
カチャリと音を立てて開いた運転席のドアからは、てっきり運転手が姿を見せるのかと思っていたら……。
「久しぶりね、アスラン、キラ君」
運転席から颯爽と姿を現した彼女は、ふたりを視界に入れると嬉しそうに笑った。
アスランのものととてもよく似たきれいな緑色の瞳がふわりと和んで、彼女の理知的美貌をあたたく彩る。
レノア・ザラ。
彼女こそ誰あろう、現プラント最高評議会議員にして現国防委員長を勤め上げるあのパトリック・ザラの妻にして、自らも国の下で働く名高い科学者であり、アスランの母親たる人だった。
彼女を形づくるすべては、ひどくアスランと似ている。
きっと誰もが、このふたりが親子だと確信を持てるほどに。
「おかえりなさい、ははうえ!」
「お帰りなさい、レノアさん」
「ただいま、ふたりともわざわざ出迎えに出て来てくれたのね?嬉しいわ」
傍に来たふたりの顔を幾度か交互に見つめると、レノアは少女のように快活に笑う。
その明るい笑顔に自然と込み上げてきた微笑みを返しながら、キラはふと自分のすぐ隣にいるアスランを見下ろした。
あの喜びようだったから、走っていって抱きつくくらいすると思ったのに。
そんなキラの予想に反して、アスランは最初と同じようにキラの横から動くことなくきらきらと喜びに光る瞳で熱心に久しぶりに会えた母親を見つめていた。
まぁ、スキンシップだけが愛情表現じゃないよね、と。
元々アスランがそういったいことがあまり得意でなかったはずだという事実を共に暮らすうちにすっかり忘れがちになっていたキラは───何故ならアスランはキラにだけはべったりだからなのだけど───うんうんと勝手に納得しかけた……………が。
(うん………?)
あれだけ楽しみにしていた母親との再会を果たしたというのに、いまだそわそわと落ち着かない足。
何かを躊躇するようにひらいたりとじたりを繰り返している小さな手。
あ………と思った。
(なんていうか……アスランだなぁ)
アスランの奇妙な行動の意味に気づいて、キラは思わず破顔した。
本当に、アスランらしい。
こういった不器用なところも、この子供の一部。
だからキラは、いいところもちょっと困ったところも全部まとめてアスランだから、みんな大切に思うし好きだとも感じている。
でも今この時にそれはいらないと思ったから、キラはそっと助け舟を出すことにした。
アスランの背中にそっと手をやると、それに気づいて緑の双眸がキラに向けられる。
ああ、本当に見れば見るほどそっくりだね。
なぁに?と視線だけで問うてくるアスランを見てキラは内心でそう思いながらも、にっこりと笑ってみせた。
そして、
『ほら』
と口だけ動かして促した。
アスランには、ちゃんとそれだけで意味が通じたらしい。
いいのかな……?
少しだけそんな風に戸惑うような素振りを見せたけれど、すぐにそんな様子は溶けて消えて。
後はもうひとおし、と。
キラがアスランの背中に添えた手を軽く押せば、アスランはそれを待っていたかのように勢い良く飛び出していった。
「ははうえ……っ!」
突然飛びついてきたアスランにレノアは少し驚いたようだったけれど、すぐに満面の笑みを浮かべて膝を折るとその小さな体をぎゅっと抱きとめた。
胸にすがりついて、ははうえ、と何度も何度も呟くアスランの姿は、どこまでも年相応の子供のものだった。
レノアは心底いとおしそうに頬を寄せて、そのまま愛する息子の頬にキスを贈る。
するとアスランは頬を押さえてちょっとだけはにかんで、でもとっても幸せそうに笑っていた。
「久しぶりね、ずっと会いたかったのよ。元気そうで嬉しいわアスラン」
「はい、ぼくも会いたかったです。ははうえも元気そうでよかった」
「まぁ、ありがとう。……あら?少し見ないうちにまたちょっと大きくなったかしら?」
繰り広げられる親子の会話は、どこまでもあたたかくて。
目の前の愛情に溢れたやさしい光景に、キラの顔にもやわらかな表情が浮かぶ。
キラだけではなく、共に迎えに出ていた使用人達やレノアの付き添いで来ていた世話役も皆同じように微笑みを浮かべていた。
「キラ君も、お久しぶり。まぁ、あなたも少し見ないうちにまた美人になって……」
「………久しぶりに会ったっていうのに、言うことはそれなんですか?」
立ち上がってもアスランを腕に張り付かせたままキラに向かって微笑んだレノアに、キラは苦笑した。
この人も本当に相変わらずだ、と。
いつもはこんな風に言われると思わず『僕は男ですっ』と反論したくなるけれど、今はこんなやりとりも何故か嬉しい。
久しぶりに会えたという喜びが自分の想像以上にあったせいかもしれない。
「朝からシャトルの乗り継ぎでお疲れでしょう?つもる話は中でゆっくりと」
「そうね。それもあるし、こっち着いてからも少しでも早く会いたくてかっとばして来ちゃったから、実は結構へとへとなのよ」
「かっとばして…って……」
「だって、どこかで道の工事してるとかなんとかでトロトロやってるんですもの。あんなのにバカ正直に付き合ってたら夕方になっちゃうわ」
「……………」
なんとなく嫌な予感がして、さきほどレノアのものと思われる荷物の運び出し終えて今は彼女のすぐ後ろに付き従っている付添人を見やる。
レノアよりも少し上くらいかと思われる年齢の彼は、キラの視線に気づいたらしく顔を上げて。
…………視線をそらされた。
(何…やったんですか、レノアさん………?)
どこか青ざめて見えるその人の横顔を、キラはどこか遠い目をしながら眺めていた。
聞きたいような気もするけど、聞きたくない。
理知的で涼やかでこんなに才女めいている───実際プラント屈指の才女なのだが───のに、何故かこの人は昔からたびたび印象とはかけはなれた無茶苦茶をやらかすらしい。
『レノアちゃんほど、美人でたくましくておもしろおかしいひと、他にはいなかったわねぇ〜』
とは、今も昔も彼女の親友であるキラの母親の話だ。
ちなみに余談だがレノアをそう称したカリダも、キラの父からすれば
『ふわふわしててとびきり可愛いかったけど、なんか宇宙人ぽい』
ひとだったらしい。
……………なんだそれ。
はぁ〜と額に手をあてて深くふかぁくため息をつくキラに、よく似た面差しの親子は「どうしたの?」とこれまたよく似た表情を浮かべて首をかしげていた。
おだやかでやわらかな光の下で寄り添う、同じ色彩おなじ眼差しを持つうつくしい親子。
端から見れば、まるで何かの宗教画に出てくる聖人の聖母子のように完璧だった。
けれど、それを乾いた笑みで見やりながら、キラが思うことはただひとつ。
───アスラン、僕たちはぜったいに『普通の人』目指そうね……。
キラはまだ気づいていない。
アスランにしてもキラにしても、おそらく既に手遅れだということを。
++END++
レノアさんがやってきた(というか帰ってきた)の回。
最強風味なお母上って好きなのですv
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