───夢を、見ているのかと。
狂おしい程焦がれるあまりに、ついに幻を見いだしたのかと。


突然現れた懐かしい面影を目の前に、そう、思った。


そして同時に。
再び遠ざかってゆこうとするその背中に手を伸ばし。


───もう、離したくない………と……。










夢幻泡影[2]











「………案外簡単に尻尾を見せたな」


しきりに周囲を確認してから建物に入って行った数人の作業着姿の男達を確認し、アスランは呟いた。
建物の影に身を潜め男達が行き過ぎるのを待つと、気配を殺しその後を追う。

先刻、一度だけニコルからのコールが入った。

彼がターゲットを見つけて何かの騒ぎを起こしたのだろう。
先程から工場区に入っている工場のごく一部の者達だけが慌ただしい動きを見せている。
まるで何かに追い立てられているような、不自然な動きを。


倉庫街に入ったアスランは、ある場所で足を止めた。

先程の一件で特定した工場が所有する倉庫のひとつ。
裏手に回りそこを丹念に調べていると、壁の一部に小さな継ぎ目があるのを見つけた。
手の甲で確かめる様に数回叩けば、乾いたような軽い音が響く。

とても倉庫の分厚い壁とは思えないような………。


(───此処…………か)


探し出した下方の窪みを手で探れば、機械音がして目の前の継ぎ目が開いた。
手の平大の簡単な仕様の端末装置が出現する。

アスランはそれを認め、目を細めた。


小さく息をはくと、作業に入る為に自らも端末を取り出す。
出現したパネルの下部に端子を接続すると、キーボードを流れるように叩いていった。
並ぶ文字の羅列に時々目をやり、最後に実行キーを押す。

これで、目の前の端末は仕様不可能になったはずだ。

素早く全てを元通りにすると、アスランはその場を立ち去る。
自分の仕事はここまで。
後は、実行部隊であるイザーク達の仕事だ。





工場区の入り口付近にまで戻ると、奥部には居なかった一般市民の姿が目に入る。
カレッジの学生達の姿もあった。

私服のままの者、作業着に袖を通している者。
各々の仕事に集中している者、集っておしゃべりをしてる者など多種多様だ。
ここでも、楽しげな笑い声や笑顔が目に付く。


この奥でいったい何が行われているかなど、何も知らないのだ。


イザークやディアッカあたりなら、それを愚かだと嘲うのだろう。
自分だって、少なからずそう思っていはずだ。
───今まで、ならば。


知らない方が良いのかもしれない。

彼らの姿を視界に入れ、その横を通り過ぎながらアスランは思う。
知らないままでいたなら、無関係でいられる。
確実に広がって行く戦火に怯え、平和な日常を失う事も無い。

例えそれが、偽りのものであろうとも。

下手に知り関われば、その日常も───笑顔さえも。
失う事になるのだから。



───彼のように………。



鮮やかな菫色の双眸が脳裏に浮かび、それを消す為に小さくかぶりを振った。

今更それを思った所で、どうにもならないことは分かっている。
どんなに望んだって、今を消し去る事などできない。
過去に還る事だって………叶わない。


どんなに狂おしい程に想っていても。
今の彼と自分は…………敵対する者同士なのだ。


顔を上げたアスランは、全てを振り切る様に再び歩き出した。


しかし、その歩みはすぐに止まる事になる。








『トリィ』








頭上から聞こえて来たそれに、心臓がドクンと鳴った。








「もう、どこまで行ってたんだよトリィ」

『トリィ』

「……まったく。それにしても……トール達、どこまで行ったんだろう?」








まさか………と。
そんなことがあるはずが無い………と。
自分の何処かでそう叫ぶ声がする。

けれど………また一方で。

自分が彼の声を間違えることなどあり得ない。
何よりも大切な彼を間違える事など………と冷静に語る自分もいた。





栗色の髪と、菫色の瞳。
決して忘れない、その色彩。


光の下で機械仕掛けの鳥と戯れる少年を前に、アスランは言葉を失った。



───夢を、見ているのかと。



すぐ目の前に、彼がいる。
駆け寄り手を伸ばせば届く距離に。

もう触れられないと思っていた、彼が…………。








「キラ……………?」








「………ッ!………アス…ラン。どうして………」








少年の驚愕に染まった瞳が見開かれる。

その時………ほんの一瞬だけ。
ふたりの視線が確かに絡み合った。


数瞬後、咄嗟に踵を返し走り出そうとしたキラの腕を、アスランがそれよりも早く掴んだ。
手に感じる、確かな感触。
確かな体温。

幻などでは、あり得なかった。



「…………っ」

キラは、囚われた腕を必死で解こうとしている。
アスランから、逃げようとしている。

振り切ろうと抵抗しながらも、俯き決して視線を合わせようとしないキラ。

微かに震えるその細い肩を、アスランは苦しそうな表情を浮かべて見つめた。
けれど、腕を掴む手を解く事だけは、しない。
出来るわけが───ない。



アスランは弱々しく抵抗を示すキラを半ば引き摺る様に連れ、裏道に入った。



「…………キラ」

「………お願い、離して……」

「キラ……ッ!」


壁を背に退路を奪われたキラは、ただ離してと呟くだけ。
俯き長い前髪に隠された彼の瞳は、一度もアスランを映さない。
それが、アスランの心に更なる焦燥を呼んだ。

それすらも許されないのか───と。


諦めようとした。

忘れようとした。

胸に抱え込んだ優しい過去ごと、切り捨てようとさえした。

どうにもならない現状を嘆きながら。
もうとうに役立たずになってしまった想いを奥底に仕舞い込んで。

説得を聞き入れないのなら、差し出したこの手を取る事を拒むなら。
命を奪う事こそを、選択したはずだった。


『敵』なのだから、と。
───誰かにその命奪われるくらいならば、せめて自分の手で、と。


それは、決意とも呼べぬ程に不安定はモノであったけれども。
確かに自分は、そう誓ったはずだった。



けれど───。




「顔を上げて、キラ」

「……………」

「こっちを向いて………」

「…………っ」

切なく響く声で、何度も囁く。
顔を上げてと………自分の方を見てくれと何度も乞うた。
けれどキラはその度にしきりに首を振るだけ。
出来ないと、拒絶の意志を示すだけで………。


その姿に、アスランは唇を噛み締める。
辛そうに歪んだ緑色が、彼が酷く傷付いた事を物語っていた。
一瞬だけぐっと瞳を閉じると、アスランはキラを壁に強く押し付け─────。


強引に唇を奪った。


背中を強打した際に漏れた呻きも、驚愕の声すらも呑み込んで。
逃げを許さない激しさで、何度も何度も重ねた。

「んう……はっ……、ア……アスラ……やめっ…!」

キラは突然呼吸を奪われ、苦しげに呻く。
薄く開けた目の端でそれを捉えながらも、アスランは行為を止めようとしなかった。
止められなかった。

歯列を割って侵入させた舌が、キラのそれを絡め取る。
逃げを打つ舌を追かける合間に敏感で柔らかな口内を強めに擦り上げれば、途端に漏れる嗚咽のような甘い声。
アスランはその声を意図的に引き出しながら、今度は下唇を優しく噛んでキラを翻弄する。

「…………キラ…」

「……ぅ……ん………っ」

少しだけ唇を離し、苦しげに喘ぐキラのこめかみに唇を落とした。

腕を掴んでいた手を頭にそえ。
肩を押し付けていた手を腰に回して。
決して離れぬ様に、離さぬ様に……アスランはキラを強く抱きしめた。
伝える言葉も囁く言葉すらもなく、ただただ強く………抱きしめた。



アスランの肩口に顔を埋める形になったキラは、そっと涙を零す。

首筋にあたる熱い吐息が切なくて。
震えを伝える腕が哀しくて。
包み込む確かな温もりが愛しくて、じんと胸に染み渡る。

ゆっくりと顔を上げたキラの瞳が、アスランのそれを映し出す。

涙を滲ませ揺れる、大きな瞳。
艶やかに輝く、アメジスト。

3年前に別れてからも、そして再会した後も。
一度だって……一時だって忘れた事が無かったそれが、目の前にあった。
その事実がこんなにも…………こんなにも胸を焦す。

キラの頬を伝う涙を這わせた指で拭い、濡れた目頭に唇を触れさせて。
ぴくりと震えた瞼に愛おしそうに口付けて。


先程は強引に奪った唇を、今度は優しく重ねた。


キラは抵抗しなかった。
アスランの瞳を受け止めてしまった時点で、もうそれが叶わない事くらい、自分自身がよく分かっていたから。
だからこそ、頑に視線を合わせる事を拒んでいたのだから……。

力なく下ろしていた手を、躊躇いながらもアスランの背中に回す。
そして縋り付くようにして自分からも抱きしめた。


鈍い振動と機械の稼働音が遠く響く一帯に、濡れた音が混じる。


ふたりは自分達の間の少しの隙間も厭うかの様に、きつく抱きしめ合い舌を絡ませ合った。
もっと深く繋がりたくて、幾度も角度を変えてキスを繰り返す。
酸素を取り入れる為に離した唇も、互いの荒い息が整わないうちに再び重ねられる。


3年ぶりに合わせた唇は………甘くて切ない、涙の味。




そして───隠す事の出来ない、悲哀の味がした。











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