一度目は偶然。 フェンス越し、特別意識しなかったファースト・コンタクト。 ───否、それは少し嘘で……。 君は全くこちらに気付いてなどいなかったけれど。 俺にはその光景が目に焼き付いて離れなかった。 力なく俯いて微動だにしないその儚い姿に、何故か胸が締め付けられた。 二度目は必然。 場所は同じ、状況も同じ、フェンス越しの出会い。 買い物の帰りに再び通りかかった、その場所。 幾つかある帰り道から、その道を選んだのは決して偶然じゃなく。 ───どうしようもなく、気になって……。 再び目にした君は、同じ場所、同じ状況の中………力なく地面に横たわっていた。 駆け巡った驚愕。 呼び起こされた衝動。 目覚めたのは正義感? すこしばかりの同情? 沸き上がるのは自己満足? なんでもいい。 どうだっていい。 行動を飾る言葉なんて。 行動を貶める言葉なんて。 今自分が選んだ事だけが、現実。 今自分がこうして動いた事だけが、真実。 今、腕の中に在る確かな温もりだけが、全て。 其れ以外には、何もいらない。 ファースト・コンタクト 知らない天井。 ぼやけた視界に最初に入ってきたのは、それだった。 「ここ………は…?」 上手く紡げない言葉に、戸惑う。 低く掠れた声が、まるで自分のものじゃないようで……。 ぼんやりとして働かない頭が、もどかしい。 起き上がろうとした丁度その時、ガチャリと扉の開く音がした。 突然に響いた音と現れた人影にビクッと肩を震わせる。 部屋に入って来た人物は、ベッドに横たわる少年の傍へと歩みを進めた。 「気が付いたんだね」 聞こえたのは、心に優しく響くテノール。 次いで、そっと髪を撫でられる。 その穏やかなまでの温もりが、心地よくて……。 少年は、思わず顔を隠す様にずり上げていたブランケットを、おずおずとどけた。 はじめに映ったのは、鮮やかな藍の色彩。 さらりと流れるそれは、毎夜自分を包んでくれる静かな空のよう。 そして次に、一対の翠玉が。 ───ああ、なんて奇麗……。 「………君は……ダレ?」 夜明け前の空の色と、萌える若葉の色を持つとても奇麗な人。 凛々しい面に柔らかな表情を浮かべている。 貴方は、ダレ? 「───アスラン。アスラン・ザラ」 「アス…ラン……?」 「そう、アスラン。君は………?」 「……僕は…………キラ。……キラ・ヤマト」 「キラ………か。奇麗な名前だね」 まだ少し怯えの色を見せるキラに、藍色の髪の少年───アスランは安心させるようにふわりと微笑んだ。 それを間近で見たキラの頬が、ほんのりと赤く染まる。 こんなに奇麗な笑い方をする人を、見た事がなくて───。 「あ、あの………っ」 「うん?」 「ここは………?それに、僕…………」 「ここは俺の家だよ。君は、5thストリートの脇の駐車場で倒れていたんだ」 「……あ…………っ」 「ここへは俺が連れて来たんだけど───思い出した?」 キラは少し躊躇った後、小さく頷いた。 けれども、後に続くのは沈黙だけ……。 俯いてベッドシーツをぎゅうっと握りしめるキラ。 ───何かを耐えるかのように。 ───何かに耐えかねるかのように。 その小さな体に全てを押し込めるように、キラは自分自身を抱きしめた。 窓から降り注ぐ暖かな陽光も、優しく髪の毛を攫う風も。 何もかもを拒絶して。 自分を取り巻く全てのものから、己を切り離して。 ただ震える事しかできないその様は、いっそ痛々しく見える程に、脆く儚く見えた。 そんな彼をアスランは無言で見守る。 色々と聞き出したい気持ちは、もちろんある。 何処から来たのか、とか。 何故あそこに居たのか、とか。 どうしてそんなになるまで放っておいたのか、とか。 強く抑えなければ、そんな言葉を頭ごなしに発してしまいそうで───。 随分と痩せた細い体。 腕や肩口にまかれた白い包帯。 ボロボロになっていた爪。 『風邪と栄養失調と、打撲、裂傷が数十ヶ所』 言葉で表すと、それがこの少年の状態。 それが、無我夢中で自宅に運び込んだ後に往診してもらった医者の見立てだった。 放っておけば、命すら危ぶまれる状況になっていたと言われた。 今は白い寝間着の下に隠れているが、キラの体は傷だらけだった。 何があったのかと、問いただしたくなるのも当然で。 けれど、目の前で小刻みに震えているその姿を見れば、それにこそ躊躇いを覚えてしまう。 今の立場を前面に押し出して問いただせば、きっと聞き出せる。 いくら頼んでもいない事とはいえ、世話になった相手に不作法をできるような人物には到底見えない。 けれどアスランは、どうしてもそれだけはしたくなかった。 明らかに心身ともにボロボロのキラ。 この少年に、それ以上の傷を負わせたくなかった。 ───何故初対面の相手がこんなにも気になるのか。 そんなことがアスランの脳裏を掠めたけれど、それをアスランが深く考える始めるのをか細い声が押しとどめた。 「ごめんなさい」 くぐもった声音。 顔を上げないままに、キラが呟いていた。 「君は、僕を助けてくれたのに………」 「………」 「それなのに僕は、何も言えない」 「………キラ?」 「ごめん、アスラン。言わなきゃいけないこと、いっぱいあるはずなのに………」 上げられた、深いバイオレットの瞳。 浮かぶ罪悪感が、その美しい色を曇らせていた。 溢れた涙がつ……とキラの頬を伝う。 「迷惑かけてごめんなさい」 深く頭を下げて、キラはゆっくりとベッドから降りた。 そしてそのまま歩き出そうとしたけれど、足下がふらついて上手く歩けない。 まだ下がりきらない熱がキラの身を苛んでいるのだからそれも当然で。 アスランは慌てて倒れ込みそうになったキラを受け止めた。 「そんな身体で何処へ行くつもりだ……?!」 「───ごめん。でも、これ以上迷惑かけられないから……」 「歩くのはまだ無理だ。家を教えてくれれば俺が送って行くから」 アスランの言葉に、キラはかぶりを振った。 どうして、と問いかける言葉にも、ただただ首を横に振るだけで……。 尋常ではないその様子に、アスランは俯くキラの瞳を覗き込んだ。 「キラ…………?」 「帰る所は、もう……………ないから……」 キラは絞り出すように呟くと、自分を支えるアスランの腕をぎゅっと掴む。 次々に床に落ちてゆく雫。 アスランは声を殺して泣くキラの背を、優しく抱いた。 何も問う事をせずに、しゃくりをあげるキラの背をゆっくりと撫でる。 いったいどれほどそうしていただろう。 「───うちに、いる?」 そうして口をついたのは、自分でも思ってもみない言葉だった。 けれど、そう言うのに少しの躊躇もなかった。 驚いて顔を上げたキラに、アスランはゆっくりと微笑む。 涙に濡れた頬を拭ってやって、今度はちゃんと視線を合わせて言った。 「行く所がないのないなら、このまま俺の家にいればいい」 「え………」 「空いている部屋ならあるから」 「アスラン………?!」 何を言っているの………?と掠れた声でキラが呟いた。 到底信じられないような言葉を受けて、涙さえ止まってしまった。 ───何を言っているのだろう、この人は。 信じられないものを見るような目で見つめてくるキラに、アスランは苦笑した。 それが当然の反応だとは、自分だって分かってる。 自分がどれだけとんでもない、突拍子もない事を口走っているのかも。 それでも今のアスランにとっては、それが何より自然に思えた。 「この家には俺一人しかいないから気兼ねをする必要は無いし………それに、君がいてくれると楽しいと思うんだ」 「でも、そんな………」 「キラは、嫌?」 少しだけ哀しそうに言われて、キラは慌ててそれを否定した。 嫌なわけがない。 嫌だなんて思うはずがない。 だって、こんなに優しくしてもらった事なんて……。 こんなに優しく微笑んでもらった事なんて、一度も……ない。 「なら、ここにいなよ」 分からない。 分からない。 何故そんなことを言うの………? 「どうして…………?」 ───どうしてそんなに優しくしてくれるの………? 「俺も、正直よく分からないんだ」 キラの言いたい事を正確に理解したアスランは、少し困ったように微笑んだ。 自分でも、何故こんなに心を砕くのか分からない。 あまり人との接触を好まない筈なのに、つい先程出会ったばかりの人物に何故ここまで固執するのかと。 傷だらけで地面に倒れていたいかにも"訳有り"だと分かる少年を、病院や警察に任せずに自分の家に連れ帰った事だけでも、自分にとっては信じられないことだったのに。 ───何故、こんならしくもないことを……………? それは、キラが目を覚ますまでにも、何度も何度も己自身に問うていた事だった。 結局、答えは出なかったけれど。 ようやく目を覚ましたキラの瞳を見たあの時、その問いはどうでもいい物に変わっていた。 ただ単純に、目を覚ましてくれた事が嬉しくて。 あのまま放っておかずに良かったと、ただそれだけで。 「だって僕……っ。何も……何も話せてない………」 「……うん」 「そんな風に言ってもらえるような事、何も返してない………」 「…………」 「なのに……どうして?」 おさまっていたはずの涙が、再び溢れ出した。 アスランは、泣きじゃくるキラの髪に、まるで小さな子供にするような触れるだけのキスを贈る。 「───俺が我がままで酷い奴だから……かな」 「そ、んな……!アスランは優しいよ、酷い奴なんかじゃないよ……!」 「………ありがとうキラ。でも、本当の事だよ」 「なん…で………?」 「だって、君の事何一つ知らないくせに、勝手にこんな事言い出すんだから」 「……え…………?」 「助けたのだって、ここに残れと言うのだって、別にキラの為だなんて全く思っていないんだ。全部、自分の為。自分が望んでる事を押し付けようとしてるだけ」 「アス………」 「……酷い奴、だろう?」 自嘲気味なセリフが吐き出されるのと同時。 大きな衝撃を受けて、アスランは床に倒れ込んだ。 見なれた天井を見上げながら、呆然と自分の上に乗っかっている重みを感じていた。 自分の首にかじり付き、胸に顔を埋めているキラの重みを。 シャツの胸元が、じんわりと冷たくなってゆく。 キラの涙を肌で直接感じる。 「勝手なんかじゃないっ!酷くなんてない……っ!絶対にないっ!!」 「キラ…………?」 「だって!だって…………!!」 涙で潤みながらも、強い光を宿す紫色の双眸。 圧倒的なまでの輝き。 それに射すくめられるように、一瞬たりともアスランは目をそらせずにいた。 「だって、僕、嬉しかったんだ…………っ!!」 キラは嗚咽を押し殺し、喘ぐようにして一生懸命に言葉を紡いだ。 驚愕するアスランの胸元にもう一度顔を埋めて、すごくすごく嬉しかったんだ、と呟いた。 呆然としていたのは、ほんの数瞬だけ。 アスランは、自分にしがみついてくる小さな身体を強く強く抱きしめた。 「ここに…いてもいいの………?」 「ああ」 「ただの厄介者なのに………?」 「いいんだ。俺がそう望んでるんだから」 「あんなに迷惑かけたのに………?」 「君を助けて良かったって思った時から、もう迷惑なんかじゃなくなってるんだよ?」 背中をゆっくりと撫でながら、アスランは穏やかに言い含める。 この口から出る言葉のすべてが、紛れもない真実だと伝わるように。 「どうして何も聞かないの……?僕、何も説明できてないのに…………っ」 「……聞きたいよ。でも、キラが自分で話せるようになるまでは、待てるつもり」 「……………」 「だからね。─────俺の傍にいてくれないか……?」 アスランの視線も、言葉も、想いも、温もりも、全てが涙が出る程に温かく優しい。 キラは、そっとアスランの頬に自分の頬をすり寄せた。 離れたくないと、強く思う。 ずっとずっと一緒にいたいと、生まれて初めてこんなにも強く思った。 「いつか───ううん、絶対に……話すから」 「うん」 「時間かかるかもしれないけど、絶対に絶対に、アスランにだけは必ず話すから……っ」 「うん」 「傍に……アスランの傍に、いさせてください…………」 欲しかった言葉を受け取って、アスランは嬉しそうに微笑んだ。 ───久しく忘れていた、心の底からの笑顔。 寄せられたキラの頬にそっと唇を落として、もちろんだよ、と答えた。 キスを受けた頬に手を当てて、キラは暫し呆然としていた。 うっすらと顔を赤らめて恥ずかしそうに俯く。 その姿に悪戯心をくすぐられたアスランは、もう片方の頬にもキスをする。 「ア……アスランッ」 慌てるキラを見て、アスランはくすくすと含み笑いを零した。 キラは真っ赤な顔でアスランを暫く睨んでいたけれど─────。 やがて耐えきれなくなって、ぷっと吹き出した。 声を上げて無邪気に笑うキラ。 アスランは、眩いばかりのそれに一瞬魅入ってしまう。 頬が赤くなるのを自覚して、思わず手で隠す。 当のキラはそれに気付いた様子も見せずに笑っていた。 ───やっと、笑ってくれたね。 聞きとがめられないくらい小さな声で、アスランは呟いた。 初めて見た、キラの笑顔。 それは想像以上に柔らかく、愛らしくて、強く心の奥底に刻み込まれた。 まるで雪の様に真っ白な少年。 その笑顔ひとつで、モノクロだった暗い世界は鮮やかな色を纏う。 アスランは、その手を取る事のできた奇跡に、強く感謝した。 そしてキラもまた、アスランと出会わせてくれた神に、深く感謝した。 寄り添った少年二人。 重なった影が確かな明日を指し示す。 ふたりで歩む事になる、新しい日々の始まりを…………。 ++END++ ++後書き++ よくわからないアスキラパラレル話。 前日に、野良猫の赤ちゃんの事でお騒がせな事件を起こした私ιそれを思い出してなんとなく書いていたらこんな話になってました。 ちなみに詳しい設定とかは全然考えてません〜。これで終わるか続くかも未定。もしかしたら何かしら設定考えて続ける可能性はある………かな?(←聞くなよ)ううむ、気分次第ですね。
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