白妙[2] アスランが見つけた時、キラは以前割り当てられていた士官室にいた。 ベッドに深く腰掛け、膝を抱え込んで俯いている。 長い前髪に隠され、表情を窺う事はできない。 キラはアスランが入って来た事に気付かないらしく、顔を上げる素振りすら見せないでいた。 (眠っているのか?) アスランは静かにキラの元へ歩み寄ると、その肩にそっと手を置いた。 キラの肩がビクッと大きく震える。 驚いたように上げられた顔、向けられた瞳に、アスランは眉を顰めた。 「アスランか……。吃驚した、誰かと思ったよ」 驚愕の表情が一転、安堵したような微笑みに取って変わっていた。 キラ特有の、穏やかで優しい微笑み。 見ている者を安心させるような、心を和ませてくれるような─────。 けれど、アスランは見逃さなかった。 一瞬だったけれど、キラの瞳には、確かに傷付いた色が見えかくれしていた。 今はもう、上手く隠されてしまった翳りが。 「…………キラ」 アスランの声が、いつもより一段低くなって室内に響いた。 「どうしたの、アスラン?」 真剣な顔をして自分を見つめるアスランに、キラは不思議そうに首を傾げる。 するとアスランはますます眉を寄せた。 「………大丈夫か?」 その言葉だけで、キラはアスランの言いたい事が分かった。 キラは一瞬ピクリと反応したけれど、すぐに困ったような微笑みを浮かべた。 「大丈夫だよ。……ごめん、心配かけて」 申し訳なさそうに呟かれた言葉。 アスランはそっと瞳を伏せて息をつくと、キラのすぐ横に自分も腰掛けた。 そして、無言のまま手をキラの頬に伸ばす。 指先に感じる、柔らかな感触。 「冷たい」 いつものキラとは違う、ひんやりとした体温。 アスランは小さく呟くと、温もりを与える様に両手でキラの頬を包み込み、目を閉じてそっと額を合わせた。 まだ少し水分を含んだ栗色の髪が、さらに冷たさを強調する。 キラは瞳を伏せて、アスランの為すがままに任せていた。 「髪、ちゃんと拭かなかっただろう」 「……うん」 「こんなに冷えて………。体調でも崩したらどうするんだ」 「……うん。ごめん」 合わせていた額をゆっくりと離すと、ふたりはほぼ同時に瞳を開いた。 翠玉と紫水晶が柔らかく絡み合う。 「無理するな」 「………無理なんてしてないよ」 「そんな顔で言われても、説得力なんてない」 頭から押さえつけられるような強い視線に、キラは小さく苦笑した。 ───まったく、適わないな。 アスランから一時視線を外し、キラは立ち上がった。 「大丈夫だよ。それに…………立ち止まってなんて、いられないから」 そうして、自分に言い聞かせる様に呟く。 アスランは、そんなキラをじっと見つめていた。 「シャトルの準備進んでるか見てくる。アスランも早めにシャワー浴びてきなよ」 振り返る横顔。 いつもは僅かに見上げているアスランを今は見下ろして、キラはゆっくりと瞳を和ませた。 それじゃあまた後で、とベッドから離れてキラは入り口へと向かう。 背中に感じるアスランの視線。 痛みすら覚える程に強いそれに、キラは迫り来る罪悪感を感じた。 ───ごめんね、アスラン。心配してくれたのに……。 けれど、この心の内を曝け出す事は出来なかった。 他でもない彼だけには………。 あの時─────カガリの前では、精いっぱいの虚勢を張った。 自分が動揺して思い悩む程、カガリもそれ以上に動揺することは分かっていたから。 父親を亡くして傷付いた彼女を、あれ以上不安になんてさせたくなかった。 悩んでいないわけじゃない。 苦しさを感じていないわけじゃない。 本当なら、今にも崩れ落ちてしまいそうな自分を、キラは知っていた。 先程がそうであったように………。 ───今だってほら……手の震えが微かに………。 必死で取り付けた笑顔と言う名の仮面をかぶり、キラは前を向く。 今これ以上アスランの傍に居れば、その仮面が剥がれ落ちてしまうから。 キラは入り口に取り付けられたパネルに手を伸ばした。 扉を開ける為にキーを入力しようとした時、その腕を後ろからぐっと掴まれた。 キラが慌てて振り返ろうとする前に、そのまま後ろから抱きしめられる。 「アス………ッ?!」 いつの間にそこに居たのだろう。 立ち上がる気配すら、感じられなかったのに。 それとも───それ程に自分の思考はあの事に囚われていたのだろうか……。 アスランは僅かに抵抗をみせるキラの両腕を取り自由を奪うと、彼を壁へと押し付けた。 驚愕に見開かれる紫の双眸と、どこまでも静かな緑の双眸が合う。 それだけで言葉も、動きすらも縛られたキラは、ただ呆然とアスランの瞳を見つめた。 暫しの静寂の後、アスランは顔をキラに寄せ、そっと頬に口付けた。 最初に右頬を唇でゆっくりとなぞり、次いで左頬へと─────。 「え…………?」 そこで初めて、キラは自分が涙を流していたことを知った。 解放された両手をおずおずと自分の目許へと這わせれば、微かに残る濡れた感触が指先に残った。 信じられない思いで、キラはその指先を見つめる。 ───自分は、泣いていた? そんな彼を慰めるかのように、アスランはキラの両手を包み込んで指先に軽くキスを落とした。 「お前をそんな顔のまま、放っておけるわけがないだろう?」 今度は正面から、アスランはキラを優しく抱きしめた。 触れ合った頬が互いの体温を溶かし出す。 温度差のあったそれは、もう然程も変わらない温かさに変わってゆく。 「お前が泣いているのに何も出来ないなんて、そんなのは嫌だ」 「……………アス…ラン」 「今までは……どんなに願っても叶わなかった。お前がどんなに泣いていても、苦しんでいても、その涙を拭うどころか傍に行く事すら叶わなかった」 ───月で別れる前までは、それはずっと自分だけの役目だったのに。 抱きしめる腕に、力がこもる。 アスランは、キラの背中が痛む程に強く抱き込んだ。 「けれど今ならそれが出来る。今俺はお前の一番近くにいるから……」 少し身体を離し、アスランはキラの瞳を覗き込む。 「隠さないで。ひとりで悩まないで。キラの苦しい思いを、俺にも分けてくれ」 キラの瞳は、溢れ出した涙で濡れていた。 「…………分からなく、なったんだ。自分が」 ぽつりぽつりと零れ始めた言葉。 「突然……僕とカガリが兄弟だなんて…………本当に突然で。そんな事、思ってもみなかったから……」 写真一枚と、ウズミからカガリに告げられたという言葉。 まだ少し曖昧で、確かな真実ではないけれど。 「あの写真に写っていたのが僕……?でも………一緒に写っていたのは、僕の母さんじゃ………なかった」 アスランの背中に縋る指先に力がこもる。 カタカタと震えはじめ、今にも崩れ落ちそうなキラを決して取り落とさぬ様に、アスランは抱きしめる腕に力を入れた。 「自分が、分からないんだ………。僕は、いったい誰なんだろう」 カガリの事。 ウズミの事。 自分の両親の事。 そして、自分の事。 新たに追加されたピースを組み替えれば、そこに広がるのは─────全く違う世界。 今まで当たり前だと信じていたものが、脆く崩れ去ってゆく。 「お前はお前だろう?例え真実がどうであろうと、今俺の腕の中にいるのがキラだ」 今まで無言でキラの独白を聞いていたアスランが、口を開いた。 キラの苦しみが伝わる。 今まで盲目的に信じていた世界を突然奪われて、迷子の幼子のように不安に震えている心が。 それを全て拭い去る事は出来なくても、軽くする術なら知っているから─────。 「それに、お前もカガリに言っていただろう?真実がどうあれ、お前の両親はあの人達だよ」 キラの肩が大きく震える。 彼が何をそんなに怖がっているかは、分かっているつもりだ。 「それでもお前が、自分が分からないと不安になるなら─────俺に聞けばいい」 「アスラン…………?」 キラに向けられる優しい眼差し。 幼い頃から何度も見て来た、慈しむような光。 「昔っからちっとも変わらないんだよな、お前は」 「…………?」 「我が侭で甘ったれで呑気で、おまけに泣き虫」 「…………なんだよ、それ」 アスランの少し悪戯な色を含んだ視線と口調に、知らずにキラの方も昔よくそうしていたように頬を軽く膨らませる。 その反応にくすりと笑うと、アスランはキラの頬をそっと撫でた。 「それに、争い事が嫌いで皆ではしゃぐ事が大好きで…………いっつも楽しそうに笑ってた。月に居た時のお前は」 「……………」 「それが俺が昔から知ってるキラだよ。ただ……離れてからのお前の3年間を、俺は知らないけれど」 「アスラン………」 「でも、俺だけが知ってるキラが俺の中にはいる」 再び合わされた額と額。 思いの全てを伝えるように。 まるで、何よりも神聖な誓いのように。 「分からなくなったら聞けばいい。きっと何だって答えられるよ、お前の事なら」 「…………ばか」 「こら、馬鹿とはなんだ」 「……だったら、自信過剰」 「キラの事だからな」 アスランがしれっと言った直後、ふたりは同時に吹き出した。 くすくすと笑う声が、軽やかに辺りに響き渡る。 抱き合ったままの格好で、ふたりはしつこく笑い続けた。 「………ありがとう」 そう言って微笑むキラの瞳に、まだ翳りは薄く残るけれど。 今はそれで十分だと、アスランは思った。 それが完全に無くなる時は、きっと戦争が終わるその時だから。 アスランはキラの腰を引いて、そのまま近くにあるベッドへと倒れ込んだ。 突然組み敷かれた格好のキラは不思議そうにアスランを見上げる。 「アスラン?」 その呼びかけに応えるのは、軽く触れるだけの口付け。 「俺は暫く、お前の傍を離れなくちゃいけない。やらなければならない事があるから」 「………うん」 キラの瞳が少し不安げに揺れた。 シャトルの準備が出来次第、アスランは単身プラントへと飛び立つ。 彼の剣であるジャスティスを置き、彼の父と向き合う為に。 「けれど、忘れないで。俺はいつでもお前と共に在る」 「うん。…………アスラン」 「なに?」 「どうか無事で………」 キラは祈るようにアスランの右頬へと手を這わせる。 アスランはその手を取り瞳を閉じると、手のひらに唇を寄せた。 「ああ、約束する」 そして、キラの唇を優しく吸った。 触れ合うだけだった口付けが、段々と深いものに変わってゆく。 それを合図に自分へと覆い被さってくるアスランの身体を、キラはそっと受け止めた。 ───ありがとう、アスラン。 哀しみからではない涙を、ひと雫だけ零して。 ++END++ ++後書き++ PHASE-41直後のキラの苦悩がテーマでした。 カガリの手前キラはそれほど取り乱さなかったけれど、一人になったら絶対考え込んで苦しむんだろうな……と思って書き始めたものです。両親の事もあるし。 今まで当然だと信じてたもの(出生)が違うかもしれない可能性を知ってしまった時、人はどんな感情を覚えるのかな。 *白妙[しろたえ(しろたへ)]……白い色。白。 →真っ白で何もない世界がイメージにあったのでこんな題名。
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