烙印 アスランは、荷物を整理していた手を一瞬止めた。 片していた箱の中から出て来たのは、アスランとよく似た面差しと藍色の髪を持つ女性が写る一枚の写真。 理知的な瞳を柔らかく和ませてこちらに微笑んでいた。 それをそっと手に取ると、アスランは痛みに耐えるようにきつく瞳を閉じた。 噛み締められた唇が、今にも血を流しそうで……。 ───実際、彼は耐えていた。 胸を突く哀しみと苦痛に。 今にも吹き出しそうになる憎悪を必死に押しとどめながら。 写真の女性の名は、レノア・ザラ。 今は亡き、アスランの母その人だった。 今から半月前。 コズミックイラ・70───2月14日。 その日、ひとつの農業プラントが地球軍の核によって消滅した。 そのプラントの名は『ユニウスセブン』。 後に、『血のバレンタイン』と呼ばれる悲劇─────。 アスランの母も、その時ユニウスセブンにいた。 そして………帰らぬ人となった。 それがアスランの心に与えた衝撃は、言い表せない程に大きかった。 それが、きっかけ─────。 その一週間後、アスランはザフトへと志願した。 彼は明日から、家を出てアカデミーへと通う事になる。 ザフトの一員となり、戦う為に。 閉じていた瞳を、ゆっくりと開く。 手に取った母の写真を元の場所に戻すと、アスランは溜息をついた。 久しぶりにゆっくりと滞在した自宅は、何も変わらなかった。 母がまだ生きていた、半月前から。 父であるパトリック・ザラは国防委員長という立場上、家に居る事の方が少ない。 そしてアスランもまた、『血のバレンタイン』からは目まぐるしく動き回っていて、家に帰る事が少なくなっていた。 そして今日─────。 アスランは、ここで来たる明日を待つ。 また当分訪れる事ができなくなるからと、自分の部屋の整理をしながら。 ───本当は、まだ様々な意識が渦巻いている心の内こそを整理したかったのかもしれないけれど……。 兵士となることに躊躇いはない。 母を───罪のないコーディネイターを虐殺した地球軍を、許す事など出来ない。 ナチュラルの身勝手な論理と征服心から奪われた、沢山の同胞の命……。 もう二度とあのような悲劇を繰り返さない為なら、戦う事すら厭わない。 そう、それが例え嫌っていたはずの『戦争』に加担する事だとしても─────。 だから、この胸に渦巻く思いは、迷いではない。 意志はもう、とうに決まっているから。 けれど───何かが、アスランの心の奥底で叫んでいた。 その何かが分からなくて、アスランは落ち着かない思いを抱え今に至る。 身体の何処かに空洞ができたような、なんとも言い難い感覚。 どこか空虚な、自分。 最初はそれが母を失ったからだと思っていたけれど─────。 片付け終えた箱を持ち上げると、アスランはそれをデスクの上へと置いた。 本当なら手を加えなくても十分に整えられている部屋。 物があまりない事も、その理由のひとつなのだろう。 椅子を引いてアスランがそこに腰掛けた時、腕が触れたせいか机の上にあったプリントが一枚、デスクと棚の間へと落ちた。 アスランは軽く舌打ちすると、腰を屈めてその狭い隙間へと手を伸ばす。 (……………?何かある……?) 目当てのプリントはすぐに見つかったが、その先に何かが引っかかっていた。 訝しんでさらに指先を伸ばすと、ギリギリそれに手が届いた。 多分、今と同じ様に以前デスクから落ちてしまい、ずっと気付かずにいたものなのだろう。 引っ張り出してみるとそれは─────。 「………手紙?」 姿を見せたのは、まだ封も切られていないスカイブルーの封筒。 見覚えのないそれに、アスランは微かに眉を寄せる。 自分の部屋にあるのだから、自分の物のはず。 それをあらわすように、表の宛名に『Athrun Zala』とどこか見覚えのある少し癖のある字で書かれていた。 不思議に思って何気なく封筒を裏に返すと、そこにあった文字にアスランは思わずそれを取り落としそうになった。 『Kira Yamato』 それは忘れもしない、親友の名前。 幼い頃からずっと一緒だった、大事な大事な─────。 「キラ………?」 アスランが彼と別れたのは、今から2年近く前になる。 それまではずっと、アスランとキラは月で暮らしていた。 13歳の時に、父の言い付けで月からプラントへと移住することになったけれど。 あの日、桜並木の下で別れてから今まで。 定期でやり取りしていたメールでの連絡が取れなくなってからも、アスランは一度たりともキラを忘れた事などなかった。 けれど。 この数週間だけは、思い起こすのを意識的に避けて来た─────彼。 そんな彼からの手紙。 けれどアスランにはどうしても思い当たらなかった。 それにまだ新しいそれは、とても別れる前に貰った物とは思えない。 しかし書かれている文字は、確かに馴れ親しんだキラの文字で………。 でも、それならいったい何時のものなのだろうか? アスランは何故か微かに震える指先を動かして、そっと封を開けた。 中から出て来たのは、封筒と同じく淡い青の便箋が数枚。 小さく息を吐き出すと、アスランは畳まれた便箋を開いて文字を追った。
書かれた日付けから、それは今から一ヶ月程前のものだと知れる。 零れた涙が、手紙に落ちた。 ぱたぱたと音を立て、次々と紙面を弾いて、染み込んでゆく。 アスランは、呆然としたように手紙を見下ろしながら、静かに泣いていた。 母が死んだと知った時でさえ、出なかった涙。 慟哭が胸に詰まって、泣く事すらできなかった。 本当は、みっともないくらいに泣き叫びたかったのに─────。 しんとした室内に、アスランの嗚咽が響く。 込み上げてくる感情そのままに、アスランは泣いた。 あの時泣けなかった自分の分まで。 綴られた癖のある文字。 懐かしい言葉使い。 込められた思い。 手紙から伝わるキラの全てが、心の中に染み渡ってゆく。 あの日以来、冷たく凍ってしまった感情を、ゆっくりと溶かし出してゆく。 手紙を透かした向こう側に彼の笑顔が見える。 月で別れた時のままの姿で、変わらない微笑みを浮かべて─────。 『絶対に会いに行くから』 『離れていても、ずっと友達だよ』 『ずっとずっと大好きだから』 『忘れないでね』 ─────キラ。 今は離れてしまった俺の親友。 兄弟の様にして育った、大切な俺の半身。 母を失った今の自分の、唯一の支え。 憎悪と復讐心に囚われ堕ちたこの身の中で、唯一奇麗なもの。 何ものにも穢される事なく輝き続けるもの。 それがキラとの思い出だった。 だからこそ、あの日以来彼を想う事を意識的に避けていた。 付きまとう負の感情で、穢したくなかった。 思い返される、温かくて優しくて、甘やかな記憶。 泣き虫で我がままで甘ったれで。 でも、誰よりも優しくて穏やかで、まっしろだった。 まっしろで奇麗な、キラ。 誰かの笑顔を見るのが好きで。 争い事が嫌いで。 自分の大切な人達の幸せこそが幸せで─────。 コーディネイターとナチュラルの諍いにも、いつでも心を痛めていた。 誰よりも優しくて繊細な、大事な大事な君。 自ら血にまみれる事を決めた自分には、もう触れる資格すらない。 そんな事、とっくに分かっていたのに。 彼が何よりも嫌っていた『戦争』という名の罪を犯そうとする自分には……。 もう………会いたいと思う事すら、罪なのかもしれない。 それでも、会いたい。 ただ一目だけでも、会いたかった。 キラの顔が─────あの微笑みが見たい。 お前が笑っていてくれるだけで、俺は生きて行けるから。 どれほどの痛みが待っていても。 どれほどの苦しみが待っていても。 例え自分の行く先にあるのが、硬く冷たい断頭台だけだとしても。 キラの笑顔があれば、もう他には何もいらない。 彼がいるというのは、中立国家オーブのコロニー。 中立を掲げるオーブはコーディネイターもナチュラルも分け隔てしない国だ。 それならば、戦火の炎が及ぶ危険は少ない。 万が一あったとしても、オーブ市民ならば受け入れてくれる場所はいくつもあるだろう。 自分は戦場に行くけれど。 どうか彼は─────キラだけは、と願う。 キラが泣く事なく平和に暮らしてゆくこと。 それだけが、今の自分の光なのだから。 だから俺は、その為にも戦場に立つ。 母を奪われた憎しみと哀しみよりも強く、今それを心に刻み込もう。 戦火がキラに及ばぬ様に。 また再び、何の障害もなくキラと笑い合える日を取り戻す為に。 あの優しい思い出の続きを、この手に掴む為に。 アスランは、未だに流れ続ける涙をぐいっと拭った。 そして、手の中にある手紙をじっと見つめる。 「キラ…………」 濡れて少し滲んだ文字を指先で辿った。 愛おしそうに、何度も。 そうして幾度かそれを繰り返すと、瞳を附せてその手紙を額に押し付けた。 まるで祈りのように。 誓いのように。 「キラ………お前だけは必ず─────」 必ず、守ってみせる。 それが、それだけが、何よりも強い自分だけの戦う意味─────。 それなのに…………。 『………アス…ラン……?』 『…………ッ!キラ……?』 これは、罰なのだろうか。 自ら望んで身を堕とした自分への。 今一度会いたいと不相応な望みを覚えた自分への。 天から与えられた、罰なのだろうか─────? ++END++ ++後書き++ 何故か今さらこんなブツ。 ええと、アスランがザフト入りする前日のお話(のつもり)です。始終薄暗いジメジメジトジトした話で、書いていて腐りそうになりました(笑) 本当はもっとスマートなものになるはずだったのに………力不足を嫌って言う程痛感しました。最後の方は支離滅裂だし。あーこういう薄暗いのをビシッと書ける人になりたいよぉ(涙) *ちなみに補足。 キラの手紙をアスランのデスクに置いたのはもちろんレノアママです。でも、知らぬ間に脇に落ちてしまって行方不明に。アスランに手紙の事を知らせなかったのは、只単に驚く顔が見たかったからという……(苦笑)その後レノアママはアスランと会う事無くユニウスセブンに行き、そしてあの日を迎える……ということになっています。以上、補足終わり!
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