初めてこの場所から見下ろした世界は、意外とちっぽけだった。 落胆したのか、それとも安堵したのか………僕は今でも分からない。 そして今も、変わらず分からないままでいる。 汚れた誓い 「またこんな所に居たのか、お前は」 突然間近からかけられた声。 だけど、ちっとも驚く気持ちはなかった。 もしかしたら、分かっていたのかもしれない。 多分、来るんじゃないかなって。 「やぁ」 柵に預けていた身を起こす。 振り返って笑いかけると、彼はどこかおもしろくなさそうに片眉を上げる。 しかもご丁寧に態とらしい溜め息までついて。 いつもそうだけど、本当にこの仕草が嫌みったらしいったら……。 「やぁじゃないだろう。……授業はどうしたんだ」 「それを言うなら君こそどうしたの」 「今日は五限が空いたんだ。三年の就職説明会が入って」 「あっそう。いいなぁ暇そうで」 「暇そうって……お前な」 「だってそうでしょ?皆眠気と闘いながら一生懸命机に向かってるっていうのにさ」 「堂々とサボリ中のお前が言うな」 呆れた溜め息と共に、額を小突かれた。 ……結構痛かった。 やるならもうちょっと優しくしてほしいよね。 そうぼやいたら、優しくしたら意味がないだろって返された。 そりゃそうだ。 「今日はサボリなわけじゃないよ。ちゃんと次出るって言ったのに、ラミアス先生が保健室で休んでこいって言ったの」 「ほう……それじゃあその『保健室で休んでいるはずのキラ・ヤマト君』が、なんで屋上なんかに居るんだ?」 「抜け出して来たからに決まってるじゃん。僕、保健室って好きじゃないんだ。薬の匂いが鼻につくもの」 「校医はどうした?」 「なんかの呼び出し受けて途中で出てった。だからその間にね」 本当は最低限の処置だけしてもらったらすぐ出て行きたかったんだけど、毎回逃げてるせいか相手も慣れてきたらしくて中々隙を見せてくれなかった。 呼び出されて出て行くときも「逃げるんじゃないぞ!」って言い捨てられたし。 生憎、聞かなかったけどね。 多分次に会った時またお小言言われるだろうけど……まぁいっか。 また逃げればいいんだし。 「キラ」 急に真面目な声出されて、思わず顔だけで振り返る。 至近距離に、アスランのアップ。 流石にちょっと驚いて一歩後ろに引きそうになったら、顎を掴まれた。 指がソコに当たって、チリリと痛みが走る。 一瞬顔が歪んだのを悟られたのか、彼の目がすっと眇められたのが目の端に映った。 小さく舌打つ音が耳に入る。 「………また喧嘩か」 「僕に言わないでよ。仕掛けてくるのは向こうなんだから。言っとくけどこっちからは最低限しか手はだしてないし、ラミアス先生も僕は悪くないって言ってくれてるよ?」 「でも受けたのはお前だろ」 「渡り廊下歩いてたら、いきなり囲まれて因縁付けられたんだ。逃げられるわけないし。不可抗力だよ」 それは実は半分嘘。 囲まれる前から嫌な視線には気づいてたし、追いかけられても振り切る自信はあったけど、面倒なのでやめた。 あそこで逃げてても、どうせまたそう遠くないうちに同じような状況が起こるだろうし。 それに、逃げるのは嫌いなんだ。 特にああいう数に物を言わせて一人をいたぶって楽しもうとする、性根の腐った連中相手には。 こういうところは、少なからず姉の影響なのかもしれないけど。 もう随分会ってないのに、抜けきらないみたい。 でも多分、こんな嘘見抜かれてるんだろうな。 彼はとても聡いから。 その証拠に、奇麗な緑色の双眸がさっきよりも鋭さを増してこっちを見てるし。 ……ちょっと視線が痛いかな。 これももう、慣れてるけど。 「体に傷をつけるな」 僕の顔を────正確には頬についている傷をだけど────見ながら低く呟くアスランの声は、どこか忌々しげで。 「また無茶なことを……」 「無茶でも何でも」 「僕だってつけたくてつけるわけじゃないよ、マゾじゃないんだから。でも多勢に無勢なんだし、多少の怪我は仕方ないでしょ。これでもかなり少ない方だと思うよ?」 「じゃあ喧嘩するな」 「………だからぁ…」 それはあっちに言ってくれって言ってるだろが。 恨みがましく言ったらさらりと無視された。 なんだこの男は。 あれこれ口煩く言うくせに人の話は聞きやしない。 って、それももう今更なんだけど。 普段はクールで無口でそこが素敵とか騒がれてるけど、根っこはただの口喧しいおせっかい焼きだ。 少なくとも僕はそう思っている。 そうじゃなきゃ、毎回毎回こんなことに真っ正直に付き合ってられないって。 いい加減ほっとけばいいのにって思う。 どうせ、これからだって同じようなことは続くと思うし。 僕だって別に好きで理事長の孫に生まれたわけでも、女顔に生まれたわけでもない。 でもそれが理由でこう何度も何度も絡まれるんじゃ、溺愛してくれてる祖父と生んでくれた母に思わず恨み言のひとつやふたつ言いたくなったって仕方ないと思う。 ………泣かれるだろうから言わないけど。 現実逃避する勢いでそんなことをつらつら考えてたら、顎を掴んでた手が離れて今度はネクタイを掴まれた。 ぎくりとする。 やばい、と思った時にはもう既に遅かった。 「これは何だ?」 「……なんのこと?」 「とぼけるな。なんでこんなところのボタンが三つも無くなってるんだ」 「さぁ?もみ合ってるうちに引っかかったかなんかして千切れたんじゃないの」 しらを切ったら、只でさえしかめられてた眉がよりいっそう寄った。 ……どうしてこう聡いんだろう、この人は。 気づかないでほしいと思ってることを、必ずと言っていいほど的確に突いてくる。 付き合いの長さがそうさせるのか、それとも元々彼がそういう人種なのか。 ────両方な気がする。 「大人しく自分から言うのと、今ここで言わされるの………どっちを選ぶ?」 「ちょっと。何だよそれ」 「五月蝿い。二択しかないからすぐ選べ。答えなければ後者だと見なすぞ」 「そんな横暴な……」 「どっちだ?」 「………………最悪だね、ホント」 お手上げ、と両手を上げて降参を示した。 本当は言うのも嫌だけど、このままじゃ本当に無理矢理『言わされる』ような状況に陥りかねない。 学校の、しかもこんな屋上で。 少なくとも、僕の見たところじゃアスランの目はどこまでも本気だった。 タチが悪いったらない。 「不覚にも押し倒された時にひっぺがされかけたんだよ」 「押し倒された?……お前が?」 「ちょっと油断したんだよ。まさか殴る蹴るの方じゃなくてそういう目的狙ってたとは思わなかったから。だってあいつら、女に不自由してる連中じゃなかったし」 思い出すだけでイライラと屈辱とが蘇る。 こういうことも別に初めてっていう訳じゃないけど、だからって慣れるものでもない。 ────慣れたくもない。 同じ男の、しかもあんな奴らにまで今まで『そういう目』で見られてたのかと思うと、背筋がゾワゾワしてくる。 気持ち悪いったらない。 「あの馬鹿力………生地まで裂けたじゃないか。おかげでもう着れないよ、このシャツ。学校指定のって何処でも買えるわけじゃないのにさ」 「シャツなら新入生向けに売ったのがまだ残ってた筈だから、後で持ってこよう」 「あ、本当?ラッキー、手間が省ける。でも、それだと代金はどうすればいい?」 「俺が払っとく」 「え、いいの?助かるけど、流石に悪い気もするし」 「お前には別のモノで払ってもらうから」 「………うげ」 嫌な言葉を聞いた。 感謝の気持ちもあっという間に失せたよ、それはもう一瞬で。 こんなことなら、いくら割高な上に特定のストアまで買いに行かなきゃいけないっていう手間を考えても、自分で買いに行けば良かったかも。 でも今更取り消そうにも、相手は既にその気だ。 今から「やっぱいい」なんて言ったところでそれが通る相手じゃない上に、下手したら余計なやっかいごとが増えかねない。 微妙ににやけてる口元が嫌な感じだし……。 女生徒の憧れの的だっていう美形教師の名前が台無しだよ、ホント。 ────結局は、盛大な溜め息を吐いて、了承を伝えるしかなかった。 その時、タイミング良くチャイムが鳴り響いた。 五限の終わりを告げるチャイム。 ……もうちょっとだけ前に鳴ってくれてたら良かったのに、と思わないでもないけど。 ただ、これ以上会話してると益々やぶ蛇になりそうだったから、僕はこれ幸いとこの場を脱出することに決めた。 今日は五限までだから後はHRだけ。 別にこのまま帰っても良いかなと思ったけど、すごく心配してくれてたラミアス先生に顔も見せずに帰るのも少し気が引けるし。 「あ、キラ」 「なんですかー?」 「HR終わったら数学準備室においで。ちゃんと手当てするから」 「………別にこれくらい」 「教師命令。背くなら罰則だぞ」 「うわ、ずっこ……」 「い・い・な?」 「……はぁい、わっかりました」 「よろしい」 ………無視してさっさと帰っておくんだった。 また顔に絆創膏貼られるのは勘弁願いたい。 格好悪くてしょうがないんだから。 でも、本当にアスランて変なところで頑固というか……心配性というか。 男なんだから殴り合いのひとつやふたつ────とか、かすり傷程度でギャーギャー騒ぐな────とか、普段は澄まし顔で言ってるくせに、いざ僕が関わるとすぐこうなる。 誰かヤツにおもいっきり矛盾してると指摘してやってほしい。 そんな度胸のある人、この学校内じゃいないと思うけど。 なんせ、泣く子も黙るあの鬼数学教師だ。 一部では不良すら避けて通るとの噂まであるらしいし。 「……ったく。相変わらず口うるさいんだから、アスランは」 「キーラァ?学校ではどうするんだった?」 「はいはいごめんなさい、ザラ先生」 これで良いんでしょ?と目を悪戯っぽく目を眇めてみせた。 「そうだ、ザラ先生。今日は遅いの?」 「ああ…職員会議があるから少し遅くなるが、夕食までには帰る」 「分かった。じゃあいつもくらいの時間でいいよね。何食べたい?」 「お前が作るものならなんでもいい」 「まぁたそういう微妙な答えを……はいはい分かりました、適当に頑張ります」 正直、なんでもいいっていう答えが一番困る。 この年にして主婦の悩みの一部を経験するのってどうなんだろう。 それでも、アスランの為に献立を考えるのも料理を作るのも嫌いじゃないから良いんだけどさ。 「キラ」 「もう……今度はなぁに?」 「忘れるな。お前は俺のものだ」 傲慢な宣言。 室内への扉をくぐろうとしていた足が思わず止まった。 視線が、絡む。 先ほどよりずっと遠くから見つめた彼の瞳は、相変わらず奇麗だった。 怖いくらいに。 「俺のものだよ。その髪の毛の一筋まで、全て。無駄に傷つけることは許さない」 「………分かってるよ。僕は、君のもの。そして君は、僕のものなんでしょう?」 あの時交した約束は、永遠。 それは、他でもない僕自身が一番知っている。 誓いを違えることなどできないし、そうしようとも思わない。 これは自分で望んでしていること。 そうでなければ、誰が進んで同じ男に体を開こうなどと思うものか。 家族の中で、唯一異質なものとして生まれた僕。 目を逸らすことも誤摩化すこともせず、ありのまま真正面から受け止めてくれたのは、年の離れた幼なじみのアスランだけだった。 大好きなはずなのにどうしても馴染めず息が詰まってしまいそうだった家族の中から、彼は攫うようにして連れ出してくれた。 その代価は、ただひとつの約束。 だけどそれは永遠の誓い。 僕にしたら、安いものだった。 例え頷いた先にあるのが、あの腕の中で生かされる未来だったとしても。 きっとどこかで、ずっと望んでいたことだったから────。 『これでもう、キラの全部は俺だけのものだからね。その代わり、俺もキラだけのものだ』 約束に縛られているのは、僕? それとも────君なの? 縛り合わせて繋がった両腕。 ふたりきりで閉じたちっぽけな世界。 それでも、そんな今がひどく幸福に思えるのは何故だろう。 僕たちを繋ぐ、不完全で退廃的な汚れた誓い。 だけど、この身にとってそれは、きっと何よりも強く神聖な誓い。 ++END++ ++後書き++ 一応学園モノに分類される(かもしれない)お話。 先生×生徒なアスキラは前から書いてみたいとは思っていましたが、よもやそれがこんな微妙に病んだ話になるとは…ιでもこういう雰囲気もスキなのです。もし女の子キラならラブラブ話にしたかも。
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