【 例え空を失っても --- 現代パラレル//アス×♀キラ 】
「キラ」
「あ、アスラン。おはよう」
「おはよう。今日は気分が良さそうだな」
「うん。天気が良いせいかな。すごく体が軽いんだ」
「そうか」
顔色もいいでしょ?
そう嬉しそうに笑う顔はどこまでも明るい。
ベッドに身を起こしている姿は、確かに昨日や一昨日よりも随分しっかりとして見えた。
「熱は?」
「さっき計ったけど、平熱だったよ」
「どれ…」
「んもう、嘘なんてついてないよ。ちゃんとお医者様が計ったんだから」
「念のためだよ。………ああ、大丈夫そうだな」
「だから平熱だって言ってるのに」
「お前のソレはあてにならないんだ。倒れる寸前でも『平気』って言うだろう」
額にあてた手を耳横に移動させて、軽く髪を梳く。
括られていない長い髪がさらさらと指先をすり抜けていった。
くすぐったいよ、とくすくす笑う彼女はひどく幼い。
時折、自分と同い年だということを忘れそうになる。
物心つくかつかないかという頃からの付き合いであるにも関わらず、だ。
「じゃあアスランも来た事だし、そろそろ着替えないとね」
「ひとりで平気か?」
「大丈夫だよ。流石にそこまで弱っちゃいないって」
「だが────」
「ほらほら、さっさと後ろ向く」
「あ、ああすまん……………って、後ろ向くだけ?」
「なに、部屋から叩き出してほしいの?」
「え、や、そういう訳じゃないけど……」
「ならいいじゃない。ほーら、あっち向いて!着替えられないよ」 「は、はい!」
咎めるような声は、さながら学園に一人はいた鬼教師の号令の如し。
急かされるがままに、慌てて回れ右をした。
ベッドから目を背けて明後日の方向を向いている間、背中ごしにベッドの軋む音とごそごそとしきりに動いている音が……。
薄い生地の何か────おそらくシャツにでも手を通しているのだろう、シュルッという衣擦れの音がやけに大きく聞こえる気がした。
時折混じる吐息のような声や、んっしょっ…といったような可愛らしいかけ声が耳に届く度に、今すぐにでも耳を塞ぎたい心持ちになってしまう。
いや、だって、理性が、忍耐が────。
「なんか………俺、試されてる?」
「……?何ぶつぶつ言ってるの?幽霊のお友達でもいた?」
「……………………いや、いない。大丈夫」
「そ?」
それ以前に俺霊感ないから、とは突っ込まず。
というより、突っ込めず。
頭でもおかしくなったのか、と遠回しで言われているのかとも思ったが(もしそうだったらかなり落ち込むが)、「なんだ、いたら紹介してもらったのに……」───―と本気で残念そうにも聞こえる呟きを拾う。
果たして冗談なのか本気なのか。
幼なじみのくせにそんなことも分からないのか、とは言わないで欲しい。
キラがキラで在る以上、この程度のことは茶飯事だ。
「お待たせ、もういいよ」
お許しをもらい振り返る。
ベッドに緩く腰掛けるキラは、淡い水色の生地に同じく淡い色調の花の刺繍がされたワンピースを纏っていた。
線が細く儚い印象のキラにはよく似合う。
似合いすぎて、そのまま一緒に部屋の白に溶け込んでいまうのではと危ぶむ程。
「キラ、髪は?」
「今日はいいよ。下ろしたい気分なんだ。次の時はまたお願いするね」
「ああ、いつでもどうぞ」
「ありがとう。アスランに結んでもらうの好きなんだ」
自分の髪を一房すくって笑うキラ。
改めて櫛で整える必要もないほどに指通りの良いさらさらのストレート。 そのせいで、自分だと結ぶのがすっごく難しいのだと嘆くキラの髪を結う仕事は、いつの間にか彼女の母親から俺のものとなった。
結構幼い頃からへたくそながらに結う真似事のようなことをしていた記憶はある。
当時はとてもじゃないが上手とはいえないひどい有り様だったけれど、そうすると小さなキラが本当に嬉しそうに笑ってくれたから、もっと喜ばせたくて奇麗な結び方や難しい編み方を女性雑誌で研究したりしていたような。
今考えれば、大分あり得ない小学生だろう。
あの頃から、もう既に俺は決めていたのかもしれない。
ずっとキラの笑顔を見守っていきたいと。
────何があっても、どんな障害があっても、キラの傍にいると。
「さぁ、行こう」
手を差し出す。
腰を少しかがめて、視線を合わせるようにして。
父の息子として、母の息子として、ごく自然に覚えた仕草。
けれど、自分の確かな意志でそうするのは、きっと目の前のこの存在にだけ。
応えるように伸ばされた細い指先が、掌に寸前に止まる。
触れそうで触れない、微妙な距離。
微かに身じろぎすれば、たちどころになくなってしまうほどの────。
「ねぇ、アスラン」
「なんだ?」
「君は飛べるよ」
「え……?」
「君は、大きな翼を持っている人だから。望めば何処にで飛び立って行けるくらいに」
「………キラ」
「いいの?このままで」
ひたりとこちらを見据える紫の双眸。
いつもは穏やかな色がたゆたっているそれに宿る光は、一筋の揺らぎすらも見落とさないほどに強い。
どこまでも柔く優しくつくられているキラが、時折ふと見せる厳しいまでの強さ。
自分のためという以上に、誰かの為に見せるもの。
今は、きっと他ならぬ俺の為に。
キラが『翼』という曖昧な言葉に託した意味。
それが何なのかすぐに気付けない程、鈍くはないつもりだ。
今日この日に、このタイミングでその問いかけをして来たのは、おそらく最終確認の意味。
これ以上行けば、もう後戻りはできないからと。
だから、止まるなら────戻るのなら今しかないのだと。
でも、きっとキラは分かっていない。
もうとっくに後戻りなどできない場所に、ふたりは居るのだと。
────少なくとも、俺は。
「翼なんていらない」
「なんで……」
「そんなものなくても、地面を歩いて行けばいい。その為に俺たちには二本の足があるんだ」
「でも……辛いよ?本当ならあっという間に出来るはずのこととか、簡単に手に入るものとか………それが叶わなくなって。きっとこれから、沢山沢山歯がゆい思いをするよ?」
「それでもいい。……いや、俺はそれがいい。そうだな、さっきのキラの言葉を借りるなら……────ひとりで大空を好きに飛ぶより、お前と手をつないでゆっくり歩いて行きたいよ」
手を取る。
小さな手だ。
沢山のものを取りこぼして来た、小さな小さな────。
だからせめて、その中に収まるものを幸せで埋めたい。
持ちきれないくらい、こぼれ落ちてしまうくらい、沢山の喜びを。
それを与えたくて、俺はここに居る。
そしてこれからも、居続けるだろう。
「馬鹿だよ、アスランは」
「馬鹿でもいいさ。それで、お前の傍に居られるんなら」
「………………本当に、馬鹿なんだから。背負わなくて良いはずのでっかい荷物を、自分から背負い込むんだもの」
「それなら、俺は背負うことが出来る背中を持った自分を心の底から褒めるよ。誰にもその役目を渡さないで済むんだから」
「……………………馬鹿ぁ…」
くしゃりと、キラの顔が歪んだ。
泣きそうに潤んだ大きな瞳が、幼い頃のそれと重なる。
ああ、キラだ。
どんなに年を重ねても、どんなに強さを身につけても、変わらない。
小さな頃から一番近くで見つめて来た、俺のキラだ。
「あんまり馬鹿馬鹿言わないで。本当にそうなのかなって思うじゃないか」
「本当にそうだよ……!君みたいな馬鹿、見たことないよ…」
「……前言撤回。最高の褒め言葉かもしれない」
手を握りしめて。
涙の滲む目尻に口づけて。
へにゃりと稚い幼子のような顔をしているキラに、囁いた。
嬉しいなら、どうか笑って────?
見せてくれたのは泣き笑いの表情だったけれど、それが何より幸せだった。
病院を出れば、一面の青空が迎えてくれた。
門の所まで車をまわそうかと問うと、キラは少し考えた後小さく首を横に振った。
もう少しだけ、このままで歩きたいと。
子供みたいにぎゅっと手をつないだままで。
そうして、俺たちはゆっくりと歩き出す。
「式の日取りも考えないとな」
「………桜の咲く頃がいいな」
「来年の?」
「………うん」
「それじゃあ、急がないとな。あんまり時間ないぞ」
「忙しくなるね」
「ああ。大変だ」
「やめる?」
「まさか」
「じゃさ、その次の年にする?」
「駄目。キラの気が変わってしまったら嫌だから」
冗談半分本気半分で言ったら、もうっと小突かれた。
人を浮気性みたいに言わないで、と。
裏を返せば、俺だけだと言われているみたいに思えて、内心かなり嬉しかった。
「キラからそういう言葉が聞けたって、母上に言えば喜んでくれるな」
「急すぎるって言われない?」
「遅過ぎて怒られることはあっても、早過ぎて怒られることはないよ。母上は今すぐにでもキラを娘にしたがっているから」
「うちの母さんも同じかな。アスランに『お義母さん』って呼ばれるの夢見てたから」
「………流石昔からの親友というか、なんというか」
「でもさ、なんかそれだけ聞くと、全部母さん達の掌の上だった────っていう気がしない?実は出会いから何から、全部計画的犯行だったというか」
「もしかしたら、そうかもな。でも、もしそうだったとしても良いさ。それで出会えたんなら」
「…………うん、そうだね」
ちょっとはにかんで、キラは笑ってくれた。
同じ想いを抱いていてくれるということが、こんなにも嬉しいことなのだと。
すぐ傍にある柔らかな笑顔を見て、改めて思い知る。
「お化粧道具なんて持ち込んでなかったから、すっぴんのままだよ。大丈夫かな」
「向こうに着けば専属のスタイリストがいるから平気だって。その他諸々も全部向こうで用意してあるから、何もしないでただ手ぶらで来てもらって構わないと言っていたぞ」
「そうじゃなくて、身だしなみっていう意味で。こんなに飾りっ気のない女横に置いてるって、アスランが恥ずかしい思いしたらやだし………」
「何言ってるんだか。キラはメイクなんか必要ないくらい十分に可愛いよ」
「……………」
「奇麗に着飾ったキラも好きだけど、俺は素顔のキラも大好きだよ」
「……………は、恥ずかしくない?言ってて」
「全然。むしろ言い足りないくらい」
いつまで経っても、こういうやり取りにはてんで慣れないらしい。
顔を真っ赤にしている様が、可愛くて仕方なかった。
からわかわないでよ…!と少しむくれて。
そういう反応をしてくれるから余計に言いたくなるって、キラは知っているのだろうか。
今日から、正式に俺の婚約者となる君。
君の背には翼がないというのなら、俺の翼も取ってしまえばいい。
歩く歩幅が違うというのなら、俺が君に合わせればいい。
それで、同じになれるなら。
同じ場所で生きてゆけるなら。
それこそが、俺にとっての無上の喜びとなるんだ。
君が笑顔をなくさないように、必ず守るから。
幸せだと笑っていてくれるように、いつだって努力するから。
だから、何処までも一緒に行こう?
※アスランとキラの婚約発表当日の朝の風景
アスラン= 名門ザラ家の御曹司。父からは半勘当状態だけれど母は味方。
キラ= ごく普通の家庭で育った子。生まれつき身体が弱い。
(双方20歳前後くらいのつもり)
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