私のコンピュータ史

その昔
生まれたときから、コンピュータ:電子計算機は存在していた。1970年前後に、郵便番号により、郵便物が自動処理されるなど、比較的身近に「コンピュータ」は存在した。が、何といっても、テレビや映画に出てくる「コンピュータ」のイメージは大きい。それは、オープンリールテープデッキが、箪笥のような箱に搭載され、ズラリと並んだ姿だ。そして、怪獣映画などで、司令室にある、ランプがピカピカ並んだ制御盤。これらが、私のコンピュータ像で、これを触りたいとは思っていた。後にわかることだが、前者は「補助記憶装置」、後者は「入出力装置・表示装置」であり、電子計算機本体ではなかった。


コンピュータ事始め
(1978?)バイト先で、パソコンキットの販売が始まり、ベーシックマスターとか、8008?とか言っていて、メモリ8K位だったろうか。
(1979-1980?)大学でFORTRAN、COBOL、アセンブラを受講。
FORTLANは一応プログラミングできたが、COBOLに関しては予約語と区別がつかづ苦労した。アセンブラに関しては、わからんかった。
(1981.4-1982.3)中野高等職業訓練校
FACOM M150 OSW X8 と言う、汎用機。メモリ1M、DISK 70M×4(ディスク1台の大きさは洗濯機位)。増設すれば、中規模の金融機関の業務に耐えるマシン。
とにかくコンピュータをやりたくてバリバリやった。 アセンブラ、FORTRAN、COBOL、PL/1、ALGOL、一通りやった。
(1980年代前半)この頃、友達の中には、コモドール PET2001、SHARP MZ-80K、ベーシックマスター、なんかを持っている人が居た。
記憶は定かではないが、価格15-20万円、メモリ8K、外部記憶はカセットテープ、言語はBASIC、と言う構成だった。
(1982.1)通産省情報処理2種
当初、コンピュータを操作するつもりだったが、いつのまにか、コンピュータが動作するようにする事になっている。


業務時代
(1982.4-)ソフトハウスに入社。オフコン、汎用機、金融業務等を。
オフコン、NEC SYSTEM100、メモリ256K、DISK 32M?。 (1982-)汎用機、ACOS250(後年、ACOS410,ACOS430,ACOS610等)メモリ2M?、DISK 230M×3(ディスク1台の大きさはビデオデッキ位)。
(1985.1)通産省情報処理1種
(1990.1)通産省情報処理特種
(1997-)パソコン業務が増えて四苦八苦


第一次パソコン時代
(1985.9.21)SORD M200markU。5インチFDD×2のモデル。言語はBASIC。 どこかで業務に使われていたという中古を、\30000にて引き取り。
(1985.9.22)初回プログラミング
(1987.2.10)最終プログラミング
(1996?)数年の利用後、起動できなくなって、数年の保存を経て廃棄処分
5インチフロッピー約10枚で、OSとプログラム、数世代セーブの運用をしていた。


ワープロ時代
(1988.12?)SEIKO com-media SX-300M。専用スキャナも買ったが、こちらは宝の持ち腐れだった。表計算もできたが、演算手順の記憶ができず、毎回設定が必要だった。住所録機能もあったが、融通が利かず、途中で放棄。
(1993.8.12)ニッカド電池交換。
約5年の寿命で、電池ぎれ。次を探すまでもう少しと思い、メーカーへ。 Q:電池交換は、何とかできますよね?、A:ちょっと大変ですよ。Q:ラジオの電池交換とまではいかなくとも、ふたを開ければわかりますよね?、A:それはまあ、との会話があった。 いざ、ふたを開けると、電池は基盤の内側。ネジを外し、基盤と配線をかき分けて・・・、メーカーに頼もうか、でも、この状態では運べもしないし・・・続行。で、まあ何とか動くようになった。
(1996?)各部ガタが来始め交換リボンも供給困難で、代替え検討。
手紙1000通、観測記録B5*660枚、艦隊編成B5*(74+20)*3枚、法人住所録527件、法人宛通信1300通、ビデオテープ管理B5*150枚、資料管理B5*240枚、写真裏書660本、作成資料・管理文書100枚、等、結構お世話になった。 保存したフロッピー:3.5インチ約50枚(艦船観測記録6、写真裏書9、通信記録11、他)、変換が効かないので残念。


業務にパソコン到来
(1992頃)いよいよパソコンが増え始めた。まだ、私のほうでは、管理文書の利用程度だが。
(1995.7.3)とうとうパソコンが来た。私の、会社での1号機、富士通のデスクトップ。特にまだ業務開発でもないので、置くだけじゃまそうで、いやでいやでたまらなかったが、仕方なくセットアップ。当然Windows3.1。
しかし、このマシン、他で必要と言うことで、お古の「IBM、PS/V Vision ディスク350M」と交換されてしまった。 この段階では、まだ、管理文書の利用程度で、まったく不便を感じない。 業務で多少パソコンにも触る機会が増えてきたが、開発は別の世界だった。


パソコンユーザ到来
(1996.5.16?)ビジネスショウで貰ったCD-ROMに、ゲームが入っていて、休憩時間の暇つぶしになり始める。
(1997.5)パソコンに直面する機会が来た。休憩時間のインターネット、推測していたものとは違い、驚異的。たちまちはまってしまう。


パソコン導入検討期
(1997)そろそろワープロも、寿命が近づいているので、代替えを検討する時期に達した。ワープロを更新するか、パソコンに移行するか。 ワープロの用途として、手紙、資料作成、管理台帳作成は、文書作成機能があればなんでもよい。 写真へのプリントが問題だ。調査の結果、一応パソコンのインクジェットプリンタでも、対応可能のようだが、パソコンのプリンタでは現状どおりの利用は困難のようだ。 数値管理は、ワープロよりパソコンの表計算だ。 また、1997夏頃から知った、インターネット、各種ソフト、最近始めたホームページ作成については、俄然パソコンだ。
(1997.12)実際、本格的に導入を考えたとき、更なる問題。
スペース:私の部屋は、空前の資料置き場となっていて、ホントに足の踏み入れるところも無い。パソコンを置く為のスペースを確保するのも一苦労。
電源:私の部屋は1960年代の設計の建物で、コンセントが1個の蛸足配線。更に、全体で、30Aのブレーカーの上、構造上部屋数が多く、色々な電気製品を点け回ると、とても持たない。クーラー、ドライヤー、掃除機、電子レンジ、オーブントースターが、利用注意だ。ま、深夜のマシンタイムは問題ないかもしれないが。
(1997.12.末)実際、パソコン調達に際して、何を買うか。少しでも安く、長く使いたいが。 会社の先輩方は、自作を勧める。んなもん自分で作れるか?。「君はプラモデルが作れるんだから・・・」と言う。ふとその気になったが、プラモデルは、完成すべき姿を知っているから問題ないが、パソコンは内側なんぞ知らんぞ。今までに、メモリ交換、DISK交換等をしたが・・・。 当初、価格的には大差なく、完成品の安心感と、色々なソフトを考えると、量販品の方がよいのだが、ふと、これからパソコンと、会社でうちで、付き合って行くなら、構造から知る上でも、自分で組みたてるのもよいかもしれない。
で、(1997.12.26)新宿で下見を始め、 (1997.12.29)秋葉原で、パーツショップを実地確認、 解説書「できる!カンタン!!自作パソコン(日本実業出版社)\1470」も買って準備。 (1997.12.30-31)机の周辺を整理。 当初、少しでも安く、何か動けば良い、くらいに思っていたが、結局(周辺機器含み)¥30万位の予算は必要だろう。ま、試行錯誤はいつまでも悔やむ性格なので、事前調査には念が入るが、考えれば考えるほど深みにはまって行く。
昨今のパソコンは、メモリ16Mは最低で128Mなんてのもざら、DISKも1Gの単位(1台の大きさは弁当箱程度)、MOなんて、フロッピーディスク位の大きさで230Mとか、最大640M。


パソコン調達
(1998.1.3)自作の構成を確定し、秋葉原へ出動するが・・・、銀行のATMがお休み(いつもならカードで決済するが、¥20万前後の買い物だと、現金との差額は大きい)。で、更に下見を重ねて撤収。そういう意味では、消費税5%も相当な金額「大事に使えよ日本政府!」あっそうか、私のは、去年の観艦式に充当されたんだ、納得(^_^)
(1998.1.4)果たして調達。この時期、入荷が停止している上に、買い物客が殺到するので、売り切れ続出。昨日あったのに今日はもう無い物も多々あるし。後日にしようかとも思ったが、結局買ってしまった。
会社の先輩に教えてもらったTOW TOP等、何軒かを回ったが、価格、在庫、店の応対、保証、等、得失があって、結局、ピーシーアドバンスドで調達。モニタは、九十九電機の半田氏の売り場に出物があって、これを調達。17インチの誘惑にもかられたが・・・(スペースの都合で、見合わせて正解)。 OSを何にするかが問題で、FAT16の標準版はFD、FAT32のOS2R版はCD-ROM。後者が良いが、在庫薄とか、組み立て当初CD-ROMは使えないので、設定データをFDに入れなければならず、別のマシンが必要とか。で、今日から始めて、新年出社後ボツボツとも思ったり。いっそ、出社後相談してとか思ったが、決行。しかも、設定データのFDも作ってもらえ、運が良ければ今日の完成も・・・。
しかし、パソコン本体も結構大きいし、モニタも含めると、車が必要だった。駅もエスカレーターが増えたので半分楽になったが、残る階段は四苦八苦。お陰で、カートも、駅を降りたところで、脱輪。


パソコン自作
(1998.1.4)17:00到着。さっそく店開き。箱から出して、ざっと確認、組み立て開始。ホントは添付の説明書を熟読してからの方が良いが、気持ちもはやり、続行。さすがに、配線と、ジャンパの設定には神経を使う。CPUのジャンパ設定が、日本語マニュアルに記載が欠落していて、組み合わせ不能?と慌てたが、英文の原文にはきちんと記載されている。 19:00頃?果たして電源投入。一発で起動。とりあえず、パソコンは出来上がったようだ。が、まだ、この段階ではタダノ箱。BIOS設定、に入ったところ、キー入力を受け付けない・・・。暗礁に乗り上げたが・・・、キーボードとマウスの差し間違い。日本語マニュアルの通りのつもりだったが・・・英文の原文とは異なっていた。BIOS設定も、詳細は後日と言う事で。HDDの初期化と、OSのインストール、FD,CD-ROMを出したり入れたり・・・再度と言われても、同じには出来ない。 22:00前には、パソコンとして、とりあえず利用可能な状態までたどり着いた。ま、ソフトもデータも、何も無いので、ここまでだが。ま、今日はこの辺で23:00。 ディスク容量は4.2GB(4、285,165,565B)で、OSの容量139MB(145,874,944B)
23:30入浴直後、半田氏から電話。ついでに、不都合だった画面解像度の話とかから、再度設定トライ。01:00、明日もあるので、今日はここで閉店。


調達セット
back . back . back

後日談
(1998.1.7)初日組み立て時に、気持ちがはやり、CPU電圧の設定が、2.8Vか2.9Vかあいまいだったので、他のジャンパピンの設定も含めて確認。が、左右が逆にセットされていて、3.2Vになっていて唖然。少々の事では焼き切れないらしいが・・・


MO増設
(1998.1.9)懸案のMO設置。SCSIボードがなかなかささらず苦労した。 すでに溜まっていたデータを一挙移送して、展開。いよいよ体制が整う。(^_^)
起動時に、SCSIが認識できず、立ち上がらない障害と、MOの残量計算機能に問題があるようだが・・・
起動時に、SCSIが認識できないのか、立ち上がらない障害は、HDDに、SCSIセットアップディスクのコピーをおいていたためかも知れない。
増設機器
・SCSIボード adaptec AHA-2901B
・MO 128/230MB 富士通 SMB-230NR
・SCSI内部接続フラットケーブル ELECOM CFD-FL50

(1998.1.20)先日設置したMOだが、やはり640MBのものにしておけばよかったと、当初から後悔していた。紆余曲折の後、成立したので、交換。
撤去機器
・MO 128/230MB 富士通 SMB-230NR
新設機器
・MO 128/230/540/640MB 富士通 SMB-640NE
back

最近
(1998.1.15)だいぶ環境が整った。たまに起動エラーになったりするが、会社のパソコンで、トラブルには慣れてしまっているので、気にもならない。ふと思えば、ここ数日、パソコンの利用というより、管理業務・セーブなどが中心になっいていて、本末転倒になっていた。
DISK 4GB(OS・ソフト領域1500MB、データ領域165MB、保存・移動領域1500MB、余裕650M)、セーブMO 230MB 20枚、FD50枚程度、が、現在の運用体制。


スキャナー導入
(98.2.28)自宅パソコンに、スキャナーを導入しました。 今まで、皆さんにお願いしていたスキャンが、自分で処理できるように成りました。 当初、スキャナーは、遠い将来の予定でしたが、非常に価格が手ごろで、 添付ソフトも充実しているので、急遽、導入してしまいました。 思えば昔、私のワープロも、ほぼこの値段でスキャナを導入しましたが (その後、コピー価格の激減で、お蔵に入りました) それを思えば、格段に有効な器材でしょう。 試験スキャンの段階でも、初心者としてはまずまず。今後、画像処理技術を研究すれば、かなり向上するのではと思います。 性能的には、最大A4 300DPI なので、高性能とは行きませんが、写真のスキャンを追求すれば、フィルムスキャナーには勝てないし、それを将来導入と考えれば、一般の文書等もスキンできる器材は有効で、今後の活躍が期待されます。
増設機器・ソフト
・Logicool Flatbed Scanner 4800
・Adobe PhotoDeluxe
・筆王 Ver 2.0


プリンタ設置
(98.3.7)自宅パソコンに、プリンタを設置しました。
・EPSON プリンタ カラリオPM-750C
さっそく、写真の裏面へ印字するプログラムを作成し、稼動開始いたしました。


CD-R設置
(98.3.14)自宅パソコンに、CD-Rを設置しました。
・ロジテック LCW-DV747SK
当初、保存用の記憶媒体としては、読書きの可能なMOにすべてを託し、640MB対応のものを導入したが、すでに何十枚も蓄積し、保存コストも馬鹿に成らなくなってきた。 CD-Rは、書き出し1回勝負なので、抵抗が有ったが、なんせ、媒体の単価が安い。MO230MB/\700 程度に対して、CD-R640MB/\250 前後だから、12GBも使用したら、媒体の差額で、CD-R装置が買えてしまう。しかも、CD-ROMはだれでも利用できる媒体なので、フロッピー何枚にもしてデータ交換を行うような局面で、非常に便利だ。それに、焼き付けるCDは、磁気媒体より、遥かに残存性がよい。 さっそく、稼動開始いたしました。


back

ついにパソコンでCOBOL
(98.4.14)パソコンでのお仕事で、現在やっているのが、オフコンのCOBOLプログラムの、パソコンCOBOLへの移植。分業制の為、本来の作業範囲は、修正コンパイル完 迄であるが、作業支援の為、かつて使用していたCOBOLプログラムの移植を決意。急遽 コンバージョンしてみた。ハード依存面で色々癖が有るが、何とか動くようになった。
しかし、思えば15年程前、COBOL は汎用機のソフトウェア言語で、その汎用機は、価格数億円、銀行、大企業しか持っておらず、ソフトウェア開発担当者は「技術者」であった。そして私はその業界に入ったわけだが、オフコンが普及し、数百万のマシンでも動作するようになったとはいえ、あくまで業務開発。開発能力も自分の為には利用できるシロモノではなかった。それが最近、自宅にパソコンが導入され、かつての汎用機並みの機能がそろい、ついに今日、COBOLと言う、汎用機向けの開発言語のソフトウェアが、パソコン上で動作する状態となった。感慨ひとしお。


ついに自宅回線・自営ホームページ開設
(98.11.2)ケーブルテレビ品川 (ODN 1.5Mbps-光ファイバー-ケーブルモデム-LAN)の回線を接続いたしました。 これにより、自宅環境での、インターネットが可能となりました。 ⇒ケーブルテレビ品川
(98.11.4)続いて、自営でのホームページが、稼動を始めました。


UNIXのお仕事
(99.8.25)5月から、官庁関係のインターネット情報公開の為の、ホームページ自動作成、表示システムの開発に関わっている。既にあらかた出来上がっているので、実際プログラム改造だが、初めてのUNIX、初めてのC と言う事で、四苦八苦。まあ、何箇月か関わっていると、いくらなんでも少しは見えてくるが。


フィルムスキャナー導入
(2001.5.21)フィルムスキャナーを導入しました。
当初、ネガ写真データ高品質化のつもりでしたが、ポジ写真整理の必要性から、急遽、導入してしまいました。
以前より検討していましたが、Nikon COOLCAN3Vの後継機種を導入致しました。
とりあえず、ポジ1作目を試験スキャン致しましたが、品質は良好です。
ただ、Windows98SE以降でないと、USB接続が出来ないので、自宅パソコンの更新が検討課題となります。
また、処理時間が思いの外かかり、36枚取り1本のスキャン処理に、2時間半かかりました。
増設機器・ソフト
・Nikon COOLCANWED
・Adobe PhotoShop5.0LE




戻る TOPに戻る

新規作成日:1998年1月5日/最終更新日:2001年5月21日