1105 東京港観測記 インド艦隊寄港

今年はなぜか外国艦艇の訪問が多い。そしてまた、台風も多く上陸するため、予定通りに進まない。


1105w1 東京港 インド艦隊(D53 RANJIT、D55 RANVIJAY、A58 JYOTI)入港、見学、夜景
1105w1 東京港観測記 平成16年10月22日 金曜 曇り/晴れ 8:30〜19:40


今日は、インド艦隊が入港するので出動。当初21日の入港予定であったが、台風の影響で、順延された。そしてまた、出港時刻も23日の10:00から17:00に変更された。17:00と言えばこの時期日没である。旧ソ連製のカシン級と言えば、俯瞰写真も抑えたい。しかし入港歓迎行事も捨てがたい。移動時間や諸々の状況を勘案し、先ずはレインボーブリッジへ。7:43?西小山⇒7:58三田8:03田町⇒8:20レインボーブリッジ入り口。9:00スタートの予定であるが、その前の時間帯の出港船が無ければ、信号は早めに変わるため、事前調整にて8:30入場、サウスルート芝裏側橋脚で待機。8:38航路信号は「I」しかし、航路には姿が無く、沖合いは視界が悪い。果たして8:55コンテナ船が入港してきた。やがて、9:13 A58 JYOTIが沖合いに見えてきて、9:30レインボーブリッジ通過。台場よりに布陣していたのだが、かなり台場側を航行する気配に陣地変更。続いて、D53 RANJITが9:41レインボーブリッジ通過。最後にD55 RANVIJAYが9:51レインボーブリッジ通過。時に9:53。10:10日の出発の水上バスに乗れれば便利なのだがかなり厳しそうだ。が、陸路だと、50分はかかる。とりあえず急ぎ出場、日の出埠頭へ向かう。船が出た後だと再び駅までは大変なのだが、ぎりぎり何とかなりそうだ。しかしカメラバックがずっしり重く、連続走行とは行かない。10:09日の出埠頭、10:10晴海行きの船上の人となった。10:20晴海ふ頭。が、なにやら消防艇の姿がある。艦艇の歓迎放水は見たことが無いのだが。と、上空には取材ヘリが3機もいる。確かに核保有国だが、極外の国でもあり、それほど騒がれることも無いのだが・・・。果たして、埠頭には消防車の姿も。どうも入港時の白煙に驚き、119番通報が入ったようで、消防艇、消防車の出場となったようだ。
10:50-11:15歓迎式典。11:30? D53 RANJIT 乗艦、11:35-11:40記者会見。その後、D53 RANJIT の甲板を一巡。続いて12:30?- D55 RANVIJAY の甲板一巡。13:05下艦後13:55-14:05 A58 JYOTI の甲板一巡。ターミナルデッキより撮影後、水上バスへ。途中、広場では、白バイが訓練をしていた。15:10晴海⇒お台場海浜公園。残念ながら晴海ふ頭前の海域に入ることなく直行。コンビニドリンクで一服。さて、ビックサイトの展示会へと思っていたが、日没の17:00出港のTHE TOPAZ(ピースボート)での撮影試験のため、レインボーブリッジへ、ちょうどベイシャトルがいたので1停留乗車。16:30を過ぎると、急激に暗くなってゆく。果たして16:55出港、17:11レインボーブリッジをくぐっていった。まあ、何とか撮影は可能と言う状態。続いて17:25-夜景撮影。DD123しらゆき は、日没後点灯したが、インド艦は真っ暗。艦上でも用意をしていなかったようだし、取り止めだろうか。ついでに、お台場海浜公園の屋形船の夜景を写して、19:40作戦終了。19:55?バス⇒浜松町⇒三田⇒白金高輪⇒西小山にて撤収。

海上自衛隊の発表では「電灯艦飾は行う」とあったが、あくまでホストシップ主導の行事のようで、外国艦艇側のスケジュールを必ずしも代表ならびに規制するものではないようだ。


Dcim1347/DSC_7257. Dcim1347/DSC_7298. Dcim1341/DSC_1364. Dcim1342/DSC_1459. Dcim1342/DSC_1491. Dcim1341/DSC_1402. Dcim1344/DSC_1759. Dcim1346/DSC_1899. Dcim1346/DSC_1913.

1105w2 東京港 インド艦隊(D53 RANJIT、D55 RANVIJAY、A58 JYOTI)洋上撮影、レセプション、夜景
1105w2 東京観測記 平成16年10月23日 土曜 晴れ/曇り 13:00〜22:00

今日は、インド艦隊の洋上撮影へ。10:10の1便からと思っていたら、ちとぼんやりして遅くなってしまった。で、新橋へ出て、汐留からゆりかもめで台場へ。10:55ジュビリーで晴海経由、日の出へ。が直行の割にはのんびり航行。1便送って、11:45マイタウンで、晴海経由、お台場へ。今回はgood。折り返し、12:10台場⇒日の出。12:35日の出⇒晴海⇒台場。晴海でインド関係者が大量に下船し、また、行き交う船が多くて直行。13:00お台場⇒日の出。13:25日の出⇒晴海⇒台場。これも直行。13:50お台場⇒日の出。子供が鳥に餌撒くもんだから群がって邪魔ー。14:20日の出⇒有明。14:50-16:45 WPC EXPO 2004をちと見学。16:45出場で、国際展示場⇒大崎⇒/17:55?有楽町⇒18:15?晴海ふ頭。昨日はやっていなかったのに、インド艦は賑やかな電飾。ターミナルから少し写して、埠頭へ。先ずは、駆逐艦の電飾を撮影。そして、レセプションに、18:40 A58 JYOTI乗艦。19:00 司令官の挨拶に続いて、大使の挨拶。以降、歓談。踊りのアトラクションは1つだけで、後は演奏。ロシア人とインド人が、当初英語で苦労しながら話をしていたが「日本語は話せるか」ということで、双方が日本語で会話をしていると言う、一風変わった光景を見た。
果たして人も減ってきたので、21:00下艦。駆逐艦の電飾を撮影し、出場。ターミナルからもと思ったら、終バスが・・・。22:05⇒有楽町⇒西小山にて撤収。持ち主不明の荷物があったので、連絡ボタン押したら、破片で指を切ったぞ。


Dcim1350/DSC_1990. Dcim1350/DSC_1993. Dcim1354/DSC_2492. Dcim1354/DSC_2500. Dcim1354/DSC_2437. Dcim1356/DSC_2639.

1105w3 東京港 インド艦隊(D53 RANJIT、D55 RANVIJAY、A58 JYOTI)出港
1105w3 東京港観測記 平成16年10月24日 日曜 雨 9:25〜12:10

今日は、インド艦隊が出港するので出動。当初の予定では10:00であったが、台風の影響で入港が遅れたため、出港も17:00に変更された。日没もこの時間であり、定刻に離岸したとしても、刻一刻と暗くなるし、4隻となると無理がある。通常の出港はレインボーブリッジだが、その関係で今回は先に橋から撮影していて、出港は晴海からを予定した。
さて、夕方までは時間があるし、先日見かけたサンバイザーのグッズをもらえる約束もあるので11:40晴海ふ頭へ。と、護衛艦は14:00出港という。そしてまた、A58 JYOTIはそれよりも早く13:30出港とも言う。とりあえず、サンバイザーの話をすると、なにやら手間取った後に、キャップが出てきた。こんな立派なものをお願いしていたわけでは無いのだが・・・。時間も無いので、外観や搭載品を見納め、退場。12:42(定刻12:35日の出発)晴海⇒13:00お台場。果たしてタグが向かっているから13:30出港の可能性も強い。13:15レインボーブリッジ ノースルートを晴海の様子を確認しつつ移動。が、PILOTの到着も13:35と遅く、14:00ころの出港であろう。果たしてDD123しらゆき離岸、13:53レインボーブリッジ通過。続いて13:54? A58 JYOTI離岸、14:08レインボーブリッジ通過。14:04? D55 RANVIJAY離岸、14:16レインボーブリッジ通過。14:09? D53 RANJIT離岸、14:22レインボーブリッジ通過。
緊急連絡で駆けつけた人以外は、たまたま日中見に来ていて、様子から判断できたと言う幸運な人たちで、17:00出港のみを予定していた人は気の毒な結果となったようだ。
果たして、芝裏側で整理の後、歓談していると、やはり何名かが到着し、呆然とする光景。
結果的には10:00入港14:00出港と、入港を晴海、出港を橋で押さえれば何の問題も無かったのだが、情報が錯綜し、また、予定もたびたび変わったため、必要以上に駆け回る結果となった。ただ、天候や布陣位置により、得られるものもさまざまであり、難しい要素ではある。


Dcim1361/DSC_2813. Dcim1361/DSC_2823. Dcim1363/DSC_7979. Dcim1361/DSC_2875.

ホストシップはDD123しらゆき

来訪艦。
駆逐艦「ランジット」(D53 RANJIT) 艦名は剣の名称
駆逐艦「ランヴィジェイ」(D55 RANVIJAY) 艦名は剣の名称
4,050t (4,870t fl) 30kt 146.20m x 15.80m x 4.87m

補給艦「ジョティ」(A58 JYOTI) 艦名はランプの炎の意
39,900t(fl) 16.4kt 178.24m x 25.33m x 10.41m


釜山出港後、関門海峡を抜けた後、台風避難の為豊後水道から太平洋へ出て、台風より200海里離れたにもかかわらず、給油艦の甲板を波が洗ったという。
駆逐艦の乗員も、インド洋の時化は大きくても1日で、今回は2日も揺られてまいったと言う。台風の威力として、太平洋戦争中のハルゼイ艦隊が、日本軍に受けた損害以上に、台風で艦隊に損害をこうむった話をしたら、納得していた。


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新規作成日:2004年10月30日/最終更新日:2004年10月30日