1148 横須賀港 横須賀鎮守府長官官舎(田戸台分庁舎)、横須賀海軍墓地(横須賀市営馬門山墓地)

1148 横須賀 観測記 平成17年4月9日 土曜12:00〜14:00

今日は、横須賀鎮守府長官官舎(海上自衛隊田戸台分庁舎)の公開があるので横須賀へ。例年花見のシーズンに公開されているが、気がついたときには終わっており、今回運良く公開初日のニュースを見たので出動。
西小山⇒横浜・快速特急⇒県立大学。県立大学駅は、京急安浦駅から数年前に改称されたようだ。
京急安浦駅の駅舎も由緒ある建物だったらしいが、あっさり新築になっていた。
12:10入場、13:02出場。

海上自衛隊田戸台分庁舎は、旧海軍時代、横須賀鎮守府長官の宿舎として、1913年(大正2年)に建設された。当時の横須賀鎮守府長官は、アメリカ海軍兵学校を卒業した海軍中将瓜生外吉男爵であり、令夫人は1871年(明治4年)日本政府が初めて勉学のためアメリカに送った数名の女子留学生に選ばれ、1881年(明治14年)にはアメリカの大学を卒業している。
この官邸を企画設計に当たった横須賀鎮守府施設部長桜井小太郎氏は、1890年(明治23年)ロンドン大学建設学科を卒業し日本人として始めて英国公認建築士の称号を得た人物である。
田戸台分庁舎は瓜生御夫婦と桜井小太郎氏の3人の博識と創造力による合作でできた。
初代入邸者は海軍中将東伏見宮依仁親王であり、以来1945年(昭和20年)終戦まで34代(31人)の歴代長官が居住した。
終戦後、アメリカ合衆国に接収され、1964年(昭和39年)まで9人の在日米海軍司令官等が居住した。1969年(昭和44年)防衛庁に移管され、現在、海上自衛隊横須賀地方総監部が管理しており、国内外高官・要人の接待、レセプション、観桜会、各種の会議場として使用している。

続いて、横須賀海軍墓地(横須賀市営馬門山墓地)へ。
県立大学⇒堀の内⇒北久里浜。13:36入門、14:00出門。
呉や佐世保の海軍墓地から比べると、かなり規模が小さいようだ。

上海事変戦死者の碑
支那事変大東亜戦争戦没者の碑
軍艦河内殉難者の碑
軍艦筑波殉難者の碑
特務艦関東殉難者の碑
北京籠城軍艦愛宕戦死者の碑
第四艦隊遭難殉職者の碑
兵・下士官の個人墓


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新規作成日:2005年4月11日/最終更新日:2005年4月11日