1445 横浜港横須賀港 IHI-MU横浜 DDH181ひゅうが就役式、横須賀港初入港

1445 横浜港横須賀港 観測記 平成21年3月18日 水曜 晴れ/曇り 9:30〜17:30

・DDH181 ひゅうが IHI横浜第三工場にて引渡し
・ASE6102 あすか IHI横浜第三工場桟橋で工事中
・DDH143 しらね IHI横浜第三工場ドック


DD102はるさめ、DD110たかなみ


今日は、IHI-MU横浜工場で、海上自衛隊のDDH181「ひゅうが」の就役式が行われるので出動。
IHI-MU横浜工場は、平成19年8月23日のDDH181「ひゅうが」進水式以来だ。

7:55西小山⇒武蔵小杉・急行⇒8:31/8:37横浜⇒8:56?新杉田。
徒歩でマリンクラブへ。8:30〜9:15が受付時間で、9:20?バスで構内を通って9:35式場へ。
従来は、前後からくまなく撮影するところなのだが、今回は撮影場所も実際の環境もかなり制約されているものの、適宜調整で前後も撮影。

今回は、わが国初の全通甲板型護衛艦の就役と言う特殊性からか、報道も多く来ていた。
進水式の時には、マストには既に多くの装備が搭載されていたが、FCS3はモックアップだったようで、今回はホンモノだ。
式典後、艦首側からの撮影をくんでいただいたものの、エリア内の艦首側で、艦首から収められる形ではなかった。
12:00車で正門まで送っていただき解散。

すき家で一服、杉田⇒汐入。と「前回逗子行きに乗って行ったり来たり」の話をしている矢先に、乗っていたのが逗子行きで、金沢八景から支線に行ってしまった。。。

13:25ヴェルニー公園から様子見。
横須賀基地では、本艦のためにY0バースが整備中だったが、いまだ工事中で間に合わなかったようで、今日はY1バースにつけるという。
ということで、14:10裏山へ。
13:30出港式の後の回航で、15:00赤灯台通過予定らしい。
果たして14:24艦影を確認。15:30着岸。タグは都合5隻出ていた。
その後16:30歓迎式典も始まった。
途中、突風でカメラバックの中から、レンズクロスがすっ飛んでいった。。。見えているのだが取りに行けず。。。
一応、17:00-17:20駅裏の山から、左舷側も撮影するが、、、逆光でくすむなぁ。。。

IHI-MUの帰りのバスで「Y1に無理やり艦首だけつけて人を下ろす」などと大声でウンチクを語っていた御仁がいたが、、、Y1には、AOEの「おうみ」も着岸できます。
「艦橋が右舷側で、左舷側に接岸出来ない」なんてことを言っている奴もいるが、左舷側に舷梯も装備されています。

雨の日の「クイーンメリー2」の3/6に討死したD70が今日戦列復帰し、今回はその確認もあったのだが。。。撮りも撮ったり1600枚。。。


「DDH181ひゅうが」の就役式(引渡式、自衛艦旗授与式)の様子は次の通り。
10:28防衛省代表(武田防衛大臣政務官)到着で式は始まり、10:35引渡式、引渡書/受領書の授受(IHIマリンユナイテッド社長⇔防衛省代表)、10:36社旗降下にて終了。続いて、10:38自衛艦旗授与式(防衛省代表⇒艦長)。10:40乗組員乗艦、10:46艦長乗艦、10:47防衛省代表乗艦。10:50自衛艦旗掲揚。11:02防衛省代表訓示、現状報告、艦内視察。その間、音楽隊の演奏あり、11:15防衛省代表退艦、退場、式典終了。一行は、つづいて、祝賀会が開催される。

武田防衛大臣政務官、赤星海上幕僚長、畑装備施設本部長、IHI-MU今清水社長、IHI釜社長、その他来賓が参列。

IHI石川島播磨重工業東京第一工場の歴史は、嘉永6年(1853)石川島造船所創業に始まる。この地は今の中央区佃で、豊洲の工場は、昭和14年(1939)に発足している。その後会社は、石川島重工と社名変更し、昭和35年(1960)に播磨造船所と合併、IHI石川島播磨重工業として今日に至っている。
昭和31年(1961)初代「あけぼの」がこの工場で建造される最初の護衛艦(当時 警備艦)で、奇しくも2代目「あけぼの」が、最後の艦となった。
建造船舶は、防衛庁向け艦艇26隻、海上保安庁巡視船8隻、気象庁9隻、国土交通省(運輸省)15隻、その他客船、貨物船など634隻の、総数692隻に上った。

IHI石川島播磨重工業横浜第三工場は、1964年、IHI石川島播磨重工業横浜第二工場として発足しており、東京第一工場の長い伝統、高い技術力、豊富な経験と人材を受け継ぎ、旧横浜工場の設備を一新し、2001年4月に新鋭工場として生まれ変わっている。
その後、住友重機械工業浦賀造船所と統合され、IHIより分社しIHI-MUとなっている。




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新規作成日:2009年4月1日/最終更新日:2009年4月1日