1495 横浜港 IHI-MU横浜 DDH182いせ進水式

1495 IHI横浜 観測記 平成21年8月21日 金曜 晴れ/曇り 14:00〜15:30

・DDH182 いせ IHI横浜第三工場建造船渠より進水

今日は、IHI-MU横浜工場で、海上自衛隊の18DDHの進水式が行われるので出動。
前回は、平成19年8月23日、16DDHである DDH181ひゅうがの進水式以来だ。

11:30?西小山⇒武蔵小杉・急行⇒横浜⇒磯子⇒12:30新杉田。
徒歩で12:35正門。そして12:45マリンクラブへ。13:00〜13:30が受付時間で、13:20?車で構内を通ってゲストハウスへ。13:45式場へ移動。ここの建造ドックは、長さ320mの大型ドックで、開設当初は、超大型タンカーの建造を前提としていたものだ。通常は、前後からくまなく撮影するところなのだが、今回は撮影場所も実際の環境もかなり制約されているので、護衛艦2320番艦の写真を正面左右から写して待機位置へ。通常なら式台は艦首正面なのだが、今回は船渠が大型で特殊なため、東岸(右舷艦首)に式台が設けられていて、薬玉は艦首、シャンパンは右舷甲板に用意された。
マストには既に多くの装備が搭載されていたが、FCS3はモックアップだった。
15:30車でマリンクラブまで送っていただき解散。
新杉田⇒上大岡・特急⇒品川⇒三田⇒西小山にて撤収。

D70/18-70, D100/80-200, D200/12-24,28-80

「DDH182いせ」の進水式の様子は次の通り。
防衛省副大臣到着で式は始まり、15:00開式、国家斉唱、防衛省副大臣による命名、進水作業発令、陸上要員準備、艦上要員準備。支綱切断、15:06シャンパンが割れ、軍艦マーチ演奏裏に、船体はゆっくりタグにより引き出され、薬玉が割れ、花火、放鳩、祝賀汽笛により終了。今回も、花吹雪や花火が「いつもより多く」実施されていた。
そのため、風向きもあいまって、紙テープが目の前で舞って少々邪魔。
通常はこの後船渠外の方へ曳かれていくのだが、今日は船渠中央で停止。前回は結局、18:00頃までかかったらしい。

岸防衛大臣政務官、赤星海上幕僚長、細谷装備施設本部長、IHI-MU蔵原社長、IHI釜社長、その他来賓が参列。
来場者数は3000名

滑走進水なら、『「ただいまより進水作業を行う」「進水準備」「腹受盤木取り外し始め」盤木を取り外す作業「進水作業始め」安全確認発令「安全ピンを外せ」』支綱切断、シャンパンが割れ、船体はゆっくり、そして物凄い轟音と共に加速され滑走、タグの祝賀汽笛の中、進水。』となるのだが、船渠進水は、船体は既に浮かんでおり、感激もかなり割り引かれる。

艦名だが、本艦は「いせ」となった。
「ひゅうが」の次なので、戦艦なら、伊勢、日向、だが、文字数も違うしなぁと思っていたんだが。。。


IHI石川島播磨重工業東京第一工場の歴史は、嘉永6年(1853)石川島造船所創業に始まる。この地は今の中央区佃で、豊洲の工場は、昭和14年(1939)に発足している。その後会社は、石川島重工と社名変更し、昭和35年(1960)に播磨造船所と合併、IHI石川島播磨重工業として今日に至っている。
昭和31年(1961)初代「あけぼの」がこの工場で建造される最初の護衛艦(当時 警備艦)で、奇しくも2代目「あけぼの」が、最後の艦となった。
建造船舶は、防衛庁向け艦艇26隻、海上保安庁巡視船8隻、気象庁9隻、国土交通省(運輸省)15隻、その他客船、貨物船など634隻の、総数692隻に上った。

IHI石川島播磨重工業横浜第三工場は、1964年、IHI石川島播磨重工業横浜第二工場として発足しており、東京第一工場の長い伝統、高い技術力、豊富な経験と人材を受け継ぎ、旧横浜工場の設備を一新し、2001年4月に新鋭工場として生まれ変わっている。
その後、住友重機械工業浦賀造船所と統合され、IHIより分社しIHI-MUとなっている。


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新規作成日:2009年10月2日/最終更新日:2009年10月2日