1874 東京周辺観測記 平成25年12月

1874w3 東京 住宅撮影、世田谷代官屋敷、世田谷区郷土資料館、松蔭神社
1874w3 東京 観測記 平成25年12月7日 土曜 晴れ 11:00〜15:30

今日は、世田谷の住宅撮影へ。
三軒茶屋の、世田谷郵便局付近なので、鉄道だと割と遠回り、碑文谷の先の祐天寺の先の、と考えると、自転車のが早そうだ。
10:10発、10:40一応付近には着いたのだが、ちと路地なので要確認。
11:00-11:30撮影。

ついでなので、近傍の探訪。が、このあたり、あまり大したものはないようだ。
と、世田谷警察署の、あんまり頭の良くない「バツ当番で門番させられてた」警部補くんたちと暇つぶし。

まずは、13:10-13:40世田谷代官屋敷、世田谷区郷土資料館。
代官屋敷というが、つくりは庄屋さんみたいだ。
世田谷区郷土資料館では、昭和30年代の高度成長期の展示をやっていた。

続いて、13:55-14:45松蔭神社。
吉田松陰先生のお墓がある。
松下村塾があったが、移築等ではなく、複製とか。

14:55三軒茶屋経由で撤収。
道が入り組んでいて、碑文谷の方に向かわず、不動前の方に進んでいた。

今日もTDSのダッフィーくん、シェリー・メイちゃんのぬいぐるみを連れて行って、いっしょに撮影。今日のお洋服は、トレンチコート。


1874w5 東京 泉岳寺 義士祭
1874w5 東京 観測記 平成25年12月14日 土曜 晴れ 11:30〜13:20

今日は、泉岳寺の義士祭へ。

面倒なので、10:45?目黒から散歩がてら徒歩で、11:30泉岳寺。
中門、山門、本堂と一巡。
赤穂義士墓地は、待ち時間約1時間の混雑なので見送り。
12:30一旦出場。12:40高輪大木戸。
このあと、財界二世学院?の四十七士行列もあるのだが、今回は到着が16:30頃ということで断念。
13:20出場。徒歩で目黒へ。

今日もTDSのダッフィーくん、シェリー・メイちゃんのぬいぐるみを連れて行って、いっしょに撮影。今日のお洋服は、赤穂浪士と振袖に薙刀。

泉岳寺
1.中門
2.大石内蔵助吉雄銅像
3.山門
4.本堂
5.澤木興道老師像
6.梵鐘・鐘楼堂
7.講堂(2階は義士木像館)
8.主税梅
9.瑤池梅
10.血染の梅、血染の石
11.首洗い井戸
12.義士墓入口の門
13.赤穂義士墓地
14.赤穂義士記念館
15.庫裏/受処

・中門
元来、泉岳寺には三門と言って三つの門(総門・中門・山門)があったが、現在は中門と山門のみが残っている。
現在の中門は天保7年(1836年)に35世大?梅庭(だいほうばいてい)和尚代に再建されたもので、昭和7年に大修理を施されている。
「萬松山」の額は、中国明時代の禅僧・為霖動霈(いりんどうはい)による書。
・大石内蔵助吉雄銅像
浪曲の宗家・桃中軒雲右衛門の発願により鋳造されたもので、所有が転々としていましたが、泉岳寺に寄進され、大正10年12月14日に除幕したもの。
内蔵助が当時の風俗である元禄羽織を身につけ、連番状を手にして東の空(江戸方向)をじっとにらんでいる姿を表したもの。
・山門
天保3年(1832年)に34世大道貞鈞(だいどうていきん)和尚代に再建されたもの。
二階部分には十六羅漢が安置され、一階部分の天井には「江戸三龍」のひとつ、銅彫大蟠龍がはめこまれている。
「泉岳寺」の額は、晋唐の墨跡研究者であった大野約庵による書。
・本堂
旧本堂は第二次世界大戦で空襲にあい消失。現本堂は昭和28年12月14日に落成した鎌倉様式の建築。
ご本尊は釈迦如来、他に曹洞宗の宗祖である道元禅師・瑩山禅師、また大石内蔵助の守り本尊である摩利支天(秘仏)などが納められている。
本堂では坐禅・読経などの修行が住職をはじめとした修行僧により厳粛に勤められている。
正面に掲げられている「獅子吼」の額は「ししく」と読み、お釈迦様の説法のことを指す。
・澤木興道老師像
仏法の究極である坐禅をもって生涯を貫いた20世紀にもっとも活躍した禅僧の一人です。
・梵鐘・鐘楼堂
大正2年・41世普天霊明(ふてんれいみょう)和尚代に作られた鐘で、朝の坐禅の時と夕方の閉門の時に撞いている。
また、江戸から明治まで使われていた梵鐘は、現在ウィーンの国立民族博物館に所蔵されている。
・講堂(2階は義士木像館)
赤穂義士記念館ができるまでは、義士館として使用されていた。関東大震災後の大正14年(1925年)に建てられたものを平成16年に改装して現在に至っている。
現在一階は講堂として使用しており、毎週土曜日に学寮講座が開かれている。また2階は義士木像館として赤穂義士記念館と併せて皆様に公開している。
・主税梅
大石主税が切腹した松平隠岐守三田屋敷に植えられていた梅。
瑤池梅義士の墓守をした堀部妙海法尼が瑤泉院から賜った鉢植えの梅を移植したもの。
・血染めの梅、血染めの石
浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている梅と石。
・首洗い井戸
義士が本懐成就後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告したところから「首洗い井戸」と呼ばれている。
・義士墓入口の門
この門は浅野家の鉄砲州上屋敷(現・聖路加病院)の裏門で、明治時代に移築したもの。
・赤穂義士墓地
赤穂義士は元禄16年(1703年)2月4日に切腹した後、直ちにこの地に埋葬された。ただし間新六の遺体は遺族が引き取っていった。また寺坂吉右衛門は本懐成就後、瑤泉院など関係者に討ち入りを報告して廻り、のちに江戸に戻って自首したが赦され、麻布・曹渓寺で83歳の天寿を全うし、現在も曹渓寺に眠っている。泉岳寺にある間新六の供養簿は他の義士の墓と一緒に建立されたが、寺坂の墓は慶応4年(明治元年・1868年)6月に供養のために建てられたもの。また、いわゆる47士の他に、本人は討ち入りを熱望したものの周囲の反対に遭い討ち入り前に切腹した萱野三平の供養墓があり(明和4年(1767年)9月建立)泉岳寺の墓碑は48ある。
・赤穂義士記念館
討ち入り300年に当たり次の時代に引き継ぐべく、新たに建てられた義士に関する資料館。中には義士の貴重な遺品などが納められており、忠臣蔵についてのビデオも上映している。
義士木像館には江戸時代終わりから明治二年までに制作された四十七義士の木像が収められている。
拝観料(赤穂義士記念館と義士木像館は共通券):
大人 500円/中高生 400円/小人(10歳以上)250円/団体30名様以上 400円
※身障者割引がある




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新規作成日:2014年4月8日/最終更新日:2014年4月8日