2022 京都 東京⇒京都、祇園甲部歌舞練場、西本願寺、風俗博物館、壬生、三条河原町、三条大橋、バスツアー(清水寺、嵐山、二条城、金閣寺)、京都タワー、京都⇒東京
2022 京都観測記 平成27年4月10日 金曜 〜11日 土曜
母親が、京都の「都をどり」を見にゆくというので、エスコートに出動。
日程が決まったのも直前で、計画もままならず。
新幹線と宿の手配も前日で、選択肢も残っていない始末。
京都は、中学の修学旅行と、万博の頃だったか立ち寄って以来。
品川-京都 新幹線13080円だが、
エース個人 フリープラン京都 宿泊G 35500-1000円
京都観光Naviを見てみるが。。。
検索で、地域だ、カテゴリーだを必須にしているが。。。
県外の者がいちいち地域なんかわからないって。
結局「 site:kanko.city.kyoto.lg.jp」をくっつけてgoogle検索すりゃあいいって。
平成27年4月10日 金曜 曇り/小雨 9:10〜22:00
5:15起床、5:55出発、6:13西小山⇒目黒⇒6:35?品川。6:57品川・のぞみ7号⇒9:11京都。途中、富士山が見えた。京都は小雨。。。
観光案内所でマップ等調達。今日は、全宿泊施設満室とか。
10:00?バス⇒10:26 祇園。10:32 知恩院、10:35 八坂神社の門前を通って、10:45 祇園甲部歌舞練場。11:30入場、売店や展示を見て、11:57 茶菓子、12:15 会場へ。12:30-13:30「都をどり」
観光マップでは、近所に、資料館「舞子の部屋」があるはずだが。。。
14:00?四条京阪前・バス⇒島原口。14:45-15:04 西本願寺によって、15:15-16:05 風俗博物館。
西本願寺前・バス⇒四条大宮。16:35-16:46 壬生寺。16:47 八木邸門前。
なか卯でお食事。
壬生寺道・バス⇒四条河原町。四条河原町・バス⇒18:00京都市役所前。
18:10 京都ロイヤルホテル&スパ チェックイン。
20:30過ぎに出て、松屋でお食事。途中、寺田屋跡地を確認。
三条大橋を見て。京都河原町近江屋を探索。21:51坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地。お巡りさんがいたので聞いてみると、コンビニになっていると。交番で聞くと、パチンコ屋と。で、ちょうどその真ん中にあった^^
コンビニよって、22:00過ぎホテル。
新調ノートパソコンでデータ処理して 〜1:30。
平成27年4月11日 土曜 曇り/晴れ間 7:55〜19:30
6:00起床で、6:55-7:30モーニングビュッフェ。
7:55出て、8:10-8:20ちらと三条大橋を見て。
8:23ピックアップ。京阪 京都定期観光バス BA京都一日〜春〜 コース。9:00出発。
9:25-10:20 清水寺。ここは、中学の修学旅行できて以来。
11:10-嵐山。11:15-11:37 渡月橋を往復し、11:45-レンタサイクルで。天龍寺庭園を一巡。
13:30-14:20 二条城。二の丸御殿を見た後、14:00本丸へ。
14:40-15:15 鹿苑寺/金閣
15:45 京都駅へ戻って、休めるところを探していったりきたり。17:25-お食事。
18:10-19:35 京都タワー。
20:05京都・のぞみ254⇒22:16品川、五反田からタクシーで帰着。
今回もTDSのダッフィーくん、シェリー・メイちゃんのぬいぐるみを連れて行って、いっしょに撮影。今回のお洋服は、新撰組と羽織袴、引き振袖と振袖。
メイちゃんの手袋、左右ともロスト。。。
11:30
京都 都をどり
第1回 12:30〜
京都ロイヤルホテル&スパ
〒604-8005
京都府京都市中京区河原町通三条上ル恵比須町426番地
075-223-1234
京都御所
上京区京都御苑内
事前予約制
京都御苑の中央北部にある。(東西約250メートル、南北約450メートルの)築地塀と清流の溝に囲まれた広い域内の建物で、現在のものは江戸末期の1855年(安政2)に再建したもので、一部は平安朝の古制を模しております。御所は東西南北に6門と歴代天皇が即位した紫宸殿。また、北側に皇后宮常御殿などがあります。小御所前には大きな池を配した優雅な庭園があります
元離宮二条城(二条城)
中京区二条通堀川西入二条城町541
8:45〜17:00 \600
1603年(慶長8)徳川家康が造営、3代家光が(伏見城の遺構を移すなどして)増築を行い1626年(寛永3)に現在の規模になる。東西約500メートル、南北約400メートルに塁を築き堀をめぐらす。1867年(慶応3)15代慶喜が大政奉還の意志を表明した。現存する二の丸御殿(国宝)は6棟からなる武家風書院造。部屋の障壁画は狩野派の名作。彫刻、飾金具を含め桃山美術の粋を伝える。二の丸庭園(特別名勝)は小堀遠州の作。本丸御殿は天明の大火(1788・天明8)で焼失。現在の建物は京都御苑内にあった旧桂宮御殿を移築したもの(重文)。1994年(平成6)12月。「古都京都の文化財」として「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録された。
二条城二の丸庭園
中京区二条通堀川西入二条城町541
二条城二の丸庭園の多くの名石で形造られた池には蓬莱島など3つの中島。島に架けられた石橋、二段の滝の石組、ユニークな蘇鉄の植栽が景色に変化を
清水寺
東山区清水1丁目294
\300 6:00〜18:00
北法相宗の本山。西国観音霊場三十三カ所第16番札所。778年(宝亀9)延鎮上人が開山、798年(延暦17)坂上田村麻呂の創建と伝える。音羽山中腹に30近い堂塔伽藍が並ぶ。現在の主な堂塔は、1633年(寛永10)徳川家光の再建。‘清水の舞台’で知られる本堂(国宝)は寄せ棟造り、檜皮葺、寝殿造り風の優美な建築で、十一面千手観音立像を安置。舞台の下方に音羽の滝、谷を隔てて安産祈願の子安の塔(重文)がある。ほかに仁王門、馬駐(うまとどめ)、鐘楼、西門(さいもん)、三重塔、経堂、田村堂、轟門、朝倉堂、釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院など重文指定の建造物がいらかを連ねる。1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録された。
建立:現本堂1633(寛永10)年再建 創建798(延暦17)年、平安時代初
本能寺跡
中京区小川通蛸薬師元本能寺町
織田信長が明智光秀に襲われ自害・焼失した本能寺は現在地の寺町御池ではなく、1582年(天正10)ごろは堀川四条の近くにあり寺域は東西150メートル、南北300メートル。本能寺の変後、豊臣秀吉が現在地に再建。現本能小学校は寺跡の中心で門前に立礼。市バス四条西洞院300メートル。
本能寺(駒札)
寺町通御池下る本能寺前町522
法華宗本門流の大本山で、応永22年(1415)、日隆上人によって創建された。 当初は本応寺と称していたが、永享5年(1433)、六角大宮に移転した際、本能寺と名を改め、更に天文14年(1545)、油小路蛸薬師一帯に広大な寺域を得て大伽藍を復興した。 本寺は、天正10年(1582)、織田信長が明智光秀によって襲撃(本能寺の変)され、自刃したところとして世に名高いが、その折、30余りの宿坊を構えた大伽藍は灰燼に帰した。その後、豊臣秀吉の都市計画により、天正17年(1589)、現在の地に移転再建したが、江戸時代後期に天明・元治の大火にかかり、堂宇は悉く焼失し、現在の本堂は昭和3年(1928)に再建されたものである。 寺宝には、花園天皇宸翰、伝藤原行成筆の書巻等の貴重な逸品を蔵し、境内には、織田信長及びその側近達の供養塔、並びに江戸時代後期の南画家浦上玉堂父子の墓などがある。中京区寺町通御池下る本能寺前町
此付近東町奉行所跡(駒札)
押小路通神泉苑通西入南側
この現壬生NTT壬生別館付近、東は神泉苑の西側より美福通にいたる一帯は、江戸時代に、東町奉行所(ぶぎょうしょ)があった所である。この奉行所は、奉行のもとに与力(よりき)、同心(どうしん)と呼ばれる職員をもち、京都の市政一般、すなわち行政、司法、警察全般を担当し、さらに畿内幕府領の租税徴収や寺社領の訴訟処理にも当った幕府の役所で、西町奉行所(現中京中学校付近)と隔月交代で任についた。しかし両奉行所それぞれ与力20騎、同心50人で職員の数は少なく、各町の自治組織を利用して市政に当った。京都町奉行が初めておかれたのは、慶長5年(1600)、寛文8年(1668)からは常置の職となって幕末にいたった。中京区押小路通神泉苑西入南側職司町
京都所司代上屋敷跡(駒札)
丸太町猪熊通下る
ここより西方大宮通り辺まで(北は丸太町通り、南は竹屋町通り)の一帯の地で、現在そのほとんどが待賢小学校用地となっている。 所司代の名称・役職は、室町幕府の侍所(さむらいどころ)にはじまり徳川幕府に受け継がれた。徳川時代の所司代は関が原合戦の直後設けられ、皇室・公家の監視、京都諸役人の統率、京都町方の取締り(町方は、のち京都町奉行がおこなった)さらに近畿八か国の訴訟処理、西国三十三か国の大名の動静監視など強い権限をもつもので幕府の老中につぐ最重要役職であった。初代奥平氏のあと、二代、三代は板倉(いたくら)勝重・重宗父子が任じられ、とくに重宗は名所司代のほまれ高く、京都市政の根本法規を制定した。以後、幕末まで58人が任じられた。文久2年(1862)京都守護職が設けられると所司代はその管轄下に属し、王政復古(おうせいふっこ)によって廃止された。 跡地には、明治3年、わが国最初の中学校、京都府立京都第一中学校が建てられた。上京区丸太町猪熊通下る
新撰組発祥の地跡(駒札)
四条坊城下る壬生梛ノ宮町
ここは、幕末の頃、京都の浪士取締りや治安維持に活躍した新選組の宿所があったところである。 文久3年(1863)春、将軍家茂の上洛警護のため、清河八郎(きよかわはちろう)の率いる浪士組が入洛したが、その宿舎の1つとして使われたのが、当時壬生郷の郷士宅であった当屋敷であった。浪士組は、在京20日余りで再び江戸に戻ったが、当所に分宿していた、芹沢鴨(せりざわかも)、新見錦(にいみにしき)、近藤勇(こんどういさみ)、土方歳三(ひじかたとしぞう)らは、引き続き京都の警備のため残留し、京都守護職松平容保(まつだいらかたもり)の支配に属して「新選組」と名のった。 当所、新選組は、当屋敷に「新選組宿所」の標札を掲げ、隊員はわずか10数名で発足したが、次第に隊員が増加し、付近の農家にも分宿した。以後、市中の治安維持に努め、元治元年(1864)の池田屋事件で一躍その名を轟かせた。 翌年の慶応元年(1865)4月、屯所は西本願寺に移された。中京区四条坊城下る壬生梛ノ宮町
壬生寺(壬生さん)
中京区坊城通仏光寺上る
8:45〜17:00 境内は無料、壬生塚参拝料 100円、資料室入室料 大人 200円
律宗の寺。延命地蔵菩薩が本尊。991年(正暦2)三井寺の僧快賢が創建。中興の祖・円覚上人が悪疫駆除のため壬生狂言を始めたことから地蔵信仰が盛んになった。新選組隊士の墓所(壬生塚)がある。また、境内の阿弥陀堂地階に歴史資料室がある。
境内には、京都十二薬師霊場第四番礼所本尊「歯薬師如来」と、洛陽三十三所観音霊場第二十八番札所・中院本尊「十一面観音菩薩」も祀られている。
新撰組遺跡
1863年(文久3)3月、新撰組は、初め中京区壬生に今も残る八木家を芹沢鴨や近藤勇ら13人の宿舎とした。新撰組発祥の地・壬生屯所。2年後の4月、壬生から下京区の西本願寺集会所に移り、1865年(慶応1)の冬、下京区堀川通木津屋橋に陣屋を新築したのが新撰組堀川本陣である。八木家は非公開。
池田屋
池田屋騒動は、幕末の1864年7月8日(元治元年6月5日)に、京都三条木屋町(三条小橋)の旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した事件。
1864年(元治1)6月、池田屋騒動のあったところ。在洛の長州・土州など諸藩の討幕派が謀議中に新撰組に急襲され乱闘の結果、討幕派7人、新撰組3人が死ぬ。この事件が討幕機運を高めた。寺田屋とともに維新の史跡。現地に石碑。
京都河原町 近江屋
坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地(駒札)
この地は,慶応(けいおう)三年(一八六七)十一月十五日,維新の功労者である土佐藩海援隊長の坂本(さかもと)龍(りょう)馬(ま)(一八三五〜一八六七)が盟友である陸援隊長の中岡(なかおか)慎太郎(しんたろう)(一八三八〜一八六七)とともに刺客に暗殺された近江屋(醤油商)があった所である。龍馬は,海援隊の本部があった酢屋(すや)(材木商)に下宿していたが,前年の寺田屋事件により幕府から狙われていたため,土佐藩の出入商人であった近江屋に移っていたのである。十一月十五日の夕刻,中岡が近江屋を訪ね,大政奉還後の政局について論じていたが,夜になり,十津川(とつがわ)郷士(ごうし)と称する男たちによる襲撃を受けた。龍馬はその場で絶命し,中岡も二日後この世を去った。龍馬三十三歳,中岡三十歳,実に大政奉還(十月十四日)が行われた一カ月後,王政復古の大号令(十二月九日)が出る一カ月前の出来事であった。龍馬と中岡は,ともに遭難した山田藤吉(やまだとうきち)と現在の京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)に埋葬されている。
伏見 寺田屋
伏見区南浜町263
10:00〜15:40 \400
寺田屋は伏見の船宿。文久2(1862)年4月23日、薩摩藩急進派有馬新七(1825〜62)以下35名が関白九条尚忠(1798〜1871)と京都所司代の殺害を計画して集結した。薩摩藩は藩士を鎮圧に向かわせたが両者乱闘となり、有馬以下9名が死亡した(寺田屋騒動)。慶応2(1866)年正月21日坂本龍馬(1835〜67)も伏見奉行所の捕方に襲われたが、難を逃れた。寺田屋は鳥羽伏見の戦(1868年)に罹災し、焼失した。現在の建物はその後再建されたものである。
交通案内 京阪電車 中書島下車徒歩約5分市バス 京橋下車徒歩約2分
タクシー 京都駅より約15分
円山公園
東山区円山町473他
1886年(明治19)開設の市最古の公園。八坂神社の東、東山を背に約86,600uあり、回遊式日本庭園を中心に、料亭や茶店が散在、四季を問わず風情がある。京都随一の桜の名所で、花見時の‘祇園の夜桜’は一見の価値あり。野外音楽堂、あずまや、藤棚、便所、池泉、噴水。
開設年月日:1886(明治19)年12月25日
京都 都をどり
・開演期間
平成 27年 4月 1日〜 30日
・開演時間
第1回 12:30〜(4回公演・各公演 約1時間)
第2回 14:00〜
第3回 15:30〜
第4回 16:50〜
・入場料金
茶券付特等観覧券 4,800円(1枚/税込)
座席(指定席):1階椅子席、2階椅子席、2階左右桟敷席(タタミ席)
壱等観覧券 4,200円(1枚/税込)
座席(指定席):2階椅子席、2階左右桟敷席(タタミ席)
弐等観覧券 2,500円(1枚/税込)
座席(自由席):3階正面長椅子席
風俗博物館
〒600-8468 京都市下京区新花屋町通堀川東入る(井筒法衣店5階)
TEL:075-342-5345 FAX:075-351-6947
開館時間:午前9:00〜午後5:00迄
休館日:日曜日/祝日/お盆(8月13日〜17日)/展示替期間(6月1日〜6月30日、12月1日〜1月6日)
入館料:一般 500円 中学生/高校生/大学生 300円 小学生 200円
西本願寺
〒600-8358 京都府京都市下京区堀川花屋町下
新規作成日:2015年5月22日/最終更新日:2015年5月22日