2185 東京周辺観測記 平成28年9月

2185w1 東京 檜町公園、東京ミッドタウン、乃木邸、乃木神社、高橋是清記念公園
2185w1 東京 観測記 平成28年9月15日 木曜 曇り 12:10〜15:15

今日は、東京赤坂の、乃木邸一般公開へ。
前回は、3.11震災の影響で邸内の公開はされなかったので、内部は平成15年9月13日以来だ。
乃木邸は、すなわち日露戦争の旅順攻撃などで有名な、乃木希典陸軍大将の邸宅である。
場所は赤坂。六本木の東京ミッドタウン/旧防衛庁跡地のそばである。

11:09西小山⇒11:23?麻布十番。
スヌーピーミュージアムのよろうと思っていたが、道を一本間違えたようで。。。
11:52 檜町公園、12:05 東京ミッドタウン。
東京ミッドタウンは、防衛庁があった場所で、再開発されて面影は無い。
12:07 富士フィルムの展示コーナーもあった。

12:28 乃木邸へ。
一昨年は、邸内の公開はされていないので、仮設テントにて遺品の展示が行われていた。13:05乃木神社、宝物館を見て13:27 退場。

14:02高橋是清記念公園

14:45 銀座線/青山一丁目。
14:59青山一丁目⇒永田町⇒武蔵小山 にて撤収。

今日もTDSのダッフィーくん、シェリー・メイちゃんのぬいぐるみを連れて行って、いっしょに撮影。今日のお洋服は、大日本帝国陸軍大礼服と、お振袖、振袖袴。


今日のレンズのラインナップは、18-140,150-500。
D7100/18-140, (D90)
撮影枚数約130。 うちのダッフィーくんが36



◎乃木邸(3583-4151港区麻布土木事務所) 東京都港区赤坂8-11-32
\0 9:00-16:00 9/12-13のみ邸内公開。
◎乃木神社・宝物館(3408-6087) 東京都港区赤坂8-11-27
\0 日露戦争の英雄 乃木希典陸軍大将を御祭神とする神社。乃木大将の遺品を公開。

乃木邸
1902年(明治35年)新築。1901年(明治34年)竣工、1889年(明治22年)新築1902年(明治35年)改築という説もある。厩舎は1889年(明治22年)建立。
建築面積は168.2平方メートル、床面積は400.36平方メートル。
明治の軍人乃木大将の邸宅で、大正元年(1912)9月13日、明治天皇大葬の日、乃木夫妻が殉死したところ。
フランス軍隊の建物を模して自ら設計したといわれており、木造の日本瓦葺きで、正面玄関から見ると一見大きな平屋にもみえるが、実際は傾斜を利用した3階建てとなっている。この建物は地階の天井が一階の床板となっており、一階の天井が二階の床板を兼ねているという合理的な構造となっている。当時の将官の邸宅としては非常に質素であり、簡素で合理的に造られた邸宅は、明治期の和洋折衷建築として大変貴重なものである。
将軍はドイツ留学前はおしゃれな人だったが、留学後は謹厳無比な軍人になったという。
この屋敷も将官の住まいとしては大変質素で、レンガ造りの厩舎の立派さと比べ評判になったそうだ。
明治45年7月30日、午前零時43分。明治天皇崩御。
明治45年9月13日、明治天皇大喪の日、朝8時すぎ、写真師に幾枚かの写真を撮らせた後、殯宮に参拝。大喪の葬列が宮城を出発する午後8時、乃木夫妻殉死。
遺言によって「乃木希典」邸宅は東京市が管理することとなった。現在は港区赤坂土木事務所が管理をしている。
隣接して乃木神社が建てられている。
神社前の乃木坂は大正元年(1912)乃木大将の葬儀と同時に幽霊坂から改称された。


2185w2 横浜港 横浜中華街
2185w2 横浜港 観測記 平成28年9月2日 土曜 曇り/小雨 13:00〜15:08

今日は、横浜港に寄港している、海洋調査船 SONNEを見たついでに、横浜中華街の探索へ。

13:03 朝陽門(東門)、 13:09 横浜新世界、 13:10 天長門、 13:20-13:33 横浜媽祖廟、 13:35 朱雀門(南門)、 13:41 會芳亭、 13:46 市場通り門(南)、 13:49 市場通り門(北)、 13:53 横浜博覧館、 13:56 善隣門、 13:59 加賀町警察署、 14:06 洗手亭、 14:18 玄武門(北門)、 と、雨がパラパラ。、 14:26 九龍陳列窓、 14:35 延平門(西門) 、 14:40 西陽門、 14:50 九龍陳列窓、 14:52 善隣門、 14:54 地久門、 14:55 関帝廟、 15:08 横浜天主堂跡。

15:19元町中華街・特急⇒15:41武蔵小杉⇒武蔵小山、にて撤収。

今日もTDSのダッフィーくん、シェリー・メイちゃんのぬいぐるみを連れて行って、いっしょに撮影。今回は、諸葛孔明、韓服、振袖。

今日のレンズのラインナップは、18-140,150-500,50☆。
D7100/18-140, (D90),
撮影枚数約123。 うちのダッフィーくんが29。


横浜媽祖廟は開港から150周年を迎える横浜の新名所として2006年(平成18年)3月17日に、横浜中華街に落慶開廟した。台湾最初の官建の台南市大天后宮より分霊された。
明治時代の清国領事館の跡地である山下小公園に隣接している。

「媽祖」は、北宋時代に実在した福建省・林氏の娘であり、生まれて1か月も泣き声をあげなかったため、『林黙娘』と名付けられたが、小さいころから才知に長け、10歳のころには朝晩の念仏を唱えるようになるなどした。28歳のときの9月9日、修行を終えて天に召され神になり、海上を舞い難民を救助する姿が見られたとされ、人々は廟を建て護国救民の神として祀るようになり、その神通力は国中に広まり、歴代のそれぞれの皇帝も贈り名で敬意を表するようになった。その後、航海を守る海の神のみならず、自然災害や、疫病、戦争、盗賊などから護る神として中国・台湾のほか華僑が住む世界各地で信仰されている。

廟内には、媽祖像と2つの鬼神像がある。「順風耳」と「千里眼」である。「順風耳」は大きな耳をもち、あらゆる悪巧みを聞き分けて媽祖に知らせる役目をもつとされる。「千里眼」は3つの目をもち、行く先や周囲を監視し、あらゆる災害から媽祖を守る役目をもつとされる。また、神殿の前には、1番から5番までの5つの香炉がある。参拝者が5本1組の線香を買い求め、これらの香炉に供えることができる。1番の香炉は「玉皇上帝」へ、2番の香炉は「天上聖母」へ、3番の香炉は「註生娘娘」「臨水夫人」へ、4番の香炉は「月下老人」「文昌帝君」、5番の香炉は「福徳正神」へ順々に線香を供えることになっている。


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新規作成日:2016年10月3日/最終更新日:2016年10月3日