251 95年春の出張記

今年の2月中旬、突然、兵庫県宍粟(しそう)郡山崎町の仕事が降って沸いた。私の仕事はコンピュータソフトウエアの開発全般だが、今回の作業は、4ケ月必要な開発期間の物を、1.5ケ月で作業するもので、正に降って沸いた状態。しかし、久々の出張にもなり、気分もかわる。通常、阪神方面に向かえば、神戸港は、第一目標になるのだが、先の大震災の被災地へ向かう事は躊躇われた。でも、週末毎に、新幹線で往復するのも、あほらしいので、周辺を巡る事を思いついた。東京(自宅)−大阪の移動時間が往復約8時間で、¥26,000、その範囲で自費で十分3泊出来るし、瀬戸内海周辺へ、東京からわざわざ行く事を思えば、逆に、時間と費用の節約にもなる。出張は、3週間の予定なので、前後4回の出動の機会がある。当初は、姫路から100km程度を基準に見ていたが、地図を西に少し捲ると呉があるし、更に西には別府(オリアナ)もある。九州は遠いが、夜行フェリーを利用すれば、宿泊+移動と効果的だ。瀬戸内海には沢山の船がいるし、見るばかりでなく、乗る事も出来る。早速、資料収集を開始したが、仕事の方も十二分な作業量があり、詳細がなかなか煮詰まらない。車で東海道を巡るのも良かったが、往路のアクシデントで出張先に着かない、と言うことがあってはならない。結局、北陸か、山陽道・瀬戸内海へ夜行バスで進出し、その後は、現地の進捗により、あちこち巡る、と言う作戦に落ち着いた。そうこうしている内に、出張期間が、学校の春休みに重なる事に気がついたが、既に遅く、夜行のバスは全便満席で、辛うじて新幹線代替臨時の尾道行きを見付けた。荷物も、長期になるので、衣類だけで無く、行動資料(出張先で毎回詳細を検討しようとしたので、時刻表、案内パンフレット等、数kgになった)や、機材(予備のカメラも半田氏より借用)等膨らみ、カメラリュック+ショルダー7kg、カート+バック17kg、別送のバック16kgと、大変な出陣だ。私は心配症で、何でも携行する性格だが、それにしても明らかにバック1ヶ余分で、宅急便と、手引きカートの存在がなければ、作戦が成り立たない。

3月17日(金)東京:曇り 先ずは西へ、尾道へ
会社を午後休暇で最終準備に充てたかったのだが、作業もあり、15:10退社。新宿のヨドバシカメラで、カートを交換し、帰宅。が、しかし、別の部品が不良で、役に立たない。19:00過ぎに家を出て、横浜のヨドバシカメラで、カートを交換、が、また、別の部品が固定されておらず・・・。しかし、時間が無いし、物を運ぶ事は出来そうなので。横浜駅西口のバスターミナルへ行くと「尾道行きのバスはもう出た」とか言っとるし。何やら先が思いやられる。尾道行きの夜行バスは、21:00頃出発。品川始発なのだが、家から品川BTへも横浜へも、大して変わらないので、少しでも遅い横浜にしておいて、結果的には有益だった。東名高速へ上がって、10:30〜10:40富士川SA、途中、一般道に抜けていたようだが、順調に西へ。今回のバスは臨時仕様なので、通常の2−2シートで、しかも私の席は1Dでここだけ更に狭い。

3月18日(土) こじま、水軍城、瀬戸内海芸予航路
朝、バスは、福山、今西?を経由して、尾道7:00到着。コンビニで朝食を用意して、さっそく港へ。日立造船の正面。NTTの瀬戸内丸も見えるし、西口氏の好物の警備艇たちばなもいるし。ここの渡船は双頭式で、ホントに橋の代わりで、生活航路だ。尾道−向島には、尾道大橋が架かっているが、渡船もまだまだ活躍している。渡船「第一兼吉丸」(尾道−兼吉)で向島(兼吉)へ渡り8:20。バスは土日ダイヤのつもりでいたら、第二土曜以外は、平日ダイヤの為、次は9:00。岸壁をフラフラして、9:00江の浦行きバスで、余崎教会バス停へ。元海上保安庁巡視船PL21こじまに再会。見学者は他に数人。帰りのバスは11:07なので、結構時間がある。9:30〜10:00船内を一巡して、船長室で一服。本船は、船舶検査証があって、現在も船舶で、実際年に1回、尾道海技学院が、航海実習に使用するらしい。11:07のバスで東西橋迄戻り、少し歩いて、因島行きの急行バスで、因島大橋を渡って、土生(はぶ)へ。ここにも警備艇G12あおかげ。12:30のバスで金山港へ。何もいないと思ったら、次のバスの時刻頃の12:50フェリーの入港。なんとかバスに間に合い、13:10因島水軍城へ。水軍大将の兜と陣羽織で1枚パチリ。隣接の因島市史料館には、木造機帆船の1/10模型もある。14:18のバスで、土生へ戻り、15:00発の、芸予フェリー「第七芸予」(土生−今治)で、芸予諸島沿いに、今治へ。日立造船因島工場の沖を進み、弓削港、佐島港、岩城(いわぎ)港、木浦港、友浦港(通過)、を経由して、今治到着。今治港も、絶えず船の出入りがある。港を18:00頃迄巡って、今治駅へ。徒歩ですぐと思っていたら、1km以上あったようだ。JR特急で18:33今治→19:08松山。今日の宿は、ビジネスホテル恵比寿。荷物を置いて、松山城の夜景を見に行くと、白く美しくライトアップされている。明日の為に、11:00にはGoodNight

3月19日(日)晴れ いよいよ呉・江田島
6:00起床で、6:22の伊予電で、三津(みつ)へ。港を埠頭沿いに巡って、フェリーターミナルへ。7:25発「翔洋丸」(松山・三津浜−松山観光港−呉−広島・宇品)で松山観光港経由で、呉へ向かう。スーパージェットが何度が側を航行したが、全て後手に回ってしまった。音戸瀬戸ではCLが反航。呉に近ずくと造船所や、艦艇の桟橋やら、撮影が忙しい。新造の練習艦かしまも間近に見れた。9:36呉到着。さっそく正面に目についた呉マリンホテルへ、荷物を預ける。10:05江田島行きの「ザ・アート87−2」(呉−江田島小用)で江田島小用(こよう)へ渡り、バスで、海上自衛隊術科学校前へ。10:30〜海上自衛隊術科学校を見学。岸壁に展示してある陸奥の主砲は、戦前の特別大改装の折りに降ろされたもので、爆沈時の物ではない。教育参考館には、おびただしい展示品がある。特攻隊の遺品に「不惜身命」の文字を見付けた。江田島町ふるさと交流館で、絵葉書とかを買って、13:15のバスで、小用へ行き、13:30「ザ・アート87−1」(江田島小用−呉)で呉へ戻る。港からトボトボ歩いて、入船山公園へ。14:30〜14:45見学。旧呉鎮守府司令長官官舎は工事中で残念。歴史の見える丘(道路わきの丘で、確かに港を一望出来るが、写真には向かない)を経由して、S&Sで紹介されたポイントへ。串山公園〜16:00、工事中とか、枝が少々邪魔。畑の所〜16:30頃。からすこじまSバース前〜17:20。バスで教育隊迄戻り、桟橋迄歩いて、ここからタクシーを飛ばし、港湾合同庁舎へ。海上保安部に一言挨拶して、パチパチ〜18:00。そしてホテルへ。今日だけで5本も写してるし、この調子だと、軽く30本使い切るかも。

3月20日(月)晴れ 艦隊出港、海上保安大学校
7:00起床で、駅前のバスの時刻をチェックして、昨日逆光で写せなかった艦を撮りに、Sバースに行く。バスの着く8:00前、なんと続々と出港が始まっている。明日の幹部候補生学校等の卒業後の航海の為の回航のようだ。潜水艦もちしおも動きそうで、結局暫く撮影。さて、海上保安大学へ、と思って荷物を持つと「軽い」、三脚が無い。辺りを探すが見つからない。バスから慌てて降りたときに落としたのだろうか?、高価な物では無いが、半年程度しか使ってないし、今後の行動を考えると、非常に寂しい。9:00過ぎのバスで呉駅へ戻り、9:18峠経由のバスで、9:25過ぎに、海上保安大学校到着。しんかいはいたが、ヘリは解体されたようだ。資料館には、1階には退役船舶の浮輪、舵輪等がいっぱい。2階には、海上保安庁の各種業務の展示や、色々な模型等。宮内氏寄贈のPL04栗橋の模型もあった。ポンド周辺も見て、10:20バス停へ。三脚に未練が残り、電話で、駅前交番や、バス営業所を当たるが・・・。10:38のバスで呉駅へ戻り、呉郵便局で風景印押して、再びSバース、三脚の最終捜索〜11:00、後の望みはバスの中だ。当初予定の11:38の電車を送って、NTT尾道の見学も中止し、12:09の電車で、12:19広、13:42三原、岡山乗り換えで、16:46姫路、で山崎町へ。山崎町での宿は、(町中へはかなり遠いが)客先に近い日新旅館。取りあえず、客先へご挨拶し、移動日を完了。東京では、毒ガスサリンで大変な騒ぎになっているようだが、私が山崎町へ来る日は、何か悪い事件(前回は日航機の墜落事故)が発生するのが非常に気になる。ホテルへ戻ると、丁度星野さんからの電話で、東京にブルーリッジが来るとか。

3月21日(火)晴れ 琴平海洋会館へ行くが
今日は春分の日で休日だ。呉では、練習艦隊の出港もあるのだが、日帰りの為近場へ。5:30起床で、6:00発のバスで、6:55姫路へ。7:03のJRで、8:30頃岡山、8:44マリンライナーで、9:42高松。駅前にあった、関西汽船の営業所が、奇麗に無くなっている。そう言えば、解体前に倉庫から、大阪商船のポスターが見つかったとか言っていた。駅前で自転車を借りて、〜11:30港巡り。児島−坂出には、瀬戸大橋が架かっていて、JR宇高連絡船は廃止になったが、宇野−高松のフェリーはまだまだ活躍している。11:45の琴電で、12:45琴平へ。早速、琴平海洋会館へ向かうが、あろうことか、今年の1月〜7月、大改装の為、全館休館で、設備も撤去状態。さーてどーしよーか。呉の営業所に電話して見ると、念願の三脚が確保されている。こんな位なら、無理してでも、練習艦隊の出港を見に呉へ行けば良かった。で、取りあえず、14:12JR琴平から、まず高松へ。関西汽船の営業所で、次回の別府行きの乗船券を手配。で、15:55高松港から、宇高国道フェリー「おかやま丸」(高松−宇野)で、17:00宇野へ。三井造船玉野には、旧青函連絡船の21世紀号がいる。思えば、行きに乗船していれば、下りの航路は造船所の前を航行するので、いい写真が撮れたかも。宇野港にも、警備艇を見付けたので、写しに回る。17:37宇野からJRで、18:30頃岡山。30分程度と思っていたら、えらいかかった。しかも、岡山での連絡が、三石行きの列車とか言う、ローカルな名前に躊躇して見送り、19:05岡山→20:30姫路。姫路城のライトアップも二枚、しかし、三脚無しの据え置き撮影の為、結果NG。20:50姫路からバスで、21:50山崎町到着。

3月22日(水)〜3月23日(木) 平日はお仕事
全日仕事だが、この時点では、特に問題も無く順調で、計画通りだった。

3月24日(金)曇り 海路松山へ
そんな訳で、13:30頃失礼して、13:53の高速バスで、16:20頃新大阪。取りあえず、交通科学館へ。今日は20:00迄開いていてラッキー。第二展示室も出来ていて、車両が並んでいる。18:00頃出て、地下鉄−ニュートラムで、大坂港フェリー埠頭へ。19:00送迎バスで、かもめ埠頭へ。松山行きに乗船手続きし、一応夜景も撮りたいし。三脚があれば、もっと良い条件で撮影出来たのに。20:50定刻に大坂港発の関西汽船「さんふらわあにしき」(大阪−松山−別府)一等219号室上段、相部屋だが、船内は満席の混雑で、個室は落ち着く。さっそくデッキやら船内やらを見て回る。JALのスチュワーデス風の案内のお姉さんが感じが良い。さっそく混雑前に、お風呂へ。明日も早いし、ベッドへ。

3月25日(土)曇り 陸奥、岩国、三脚回収、そして別府へ
5:00頃から船内は賑やかになる。5:30松山観光港到着。フェリーくるしまやらがいるが、まだ暗い。7:00頃から撮影開始、7:06のバスで、高浜へ、途中の港に船も見えたが、そのまま7:10伊予電で三津へ。ホントは山西の方が近かったが。海上保安部の船舶を探索。8:30三津から「さざんせと7号」(松山−伊保田−岩国)で、9:15頃、周防大島(屋代島)東和町の伊保田へ。船着き場の係りの方に荷物を預かって頂き、徒歩で陸奥記念館へ向かう。手前の工事中の公園にPS−1(18号機)がいた。山の上には艦首先端と副砲二基。そして柱島を遠望、ここの沖に、かつては連合艦隊が海を圧し、今は陸奥が静かに眠っている。隣のなぎさ水族館で、ドチザメに触れると言うので触ってみるが、鱗が無いし、紙ヤスリのようだ。10:47「さざんせと5号」(松山−伊保田−岩国)で、11:30頃岩国へ。港を見回すが、見える範囲のみと言う感じ。が、11:50バスで駅に向かう途中に海上保安庁の基地があった。岩国駅からバスで、錦帯橋へ。錦帯橋を渡って、ロープウェイで山頂へ11:45。徒歩5分で、岩国城。2m5kgの刀があって、佐々木小次郎の物かと思ったが、別物らしい。天守からは市内が一望でき、岩国基地(飛行場)も見える。13:20ロープウェイを下り、名物の白蛇を見るが微動だにしない。バスで岩国駅へ戻って、14:10JRで広島へ向かう。広島へ着くと、まさかの雨。市電で宇品へ。フェリーターミナルで銀河、南十字星、安芸灘等を写す。雨も降るし、時間も無いし、でも、まあ少しと、港を巡るが、海上保安部桟橋は遠望で我慢。16:30呉・松山行き「フェリー太田川」へ。16:58PC87?が後方から高速で抜いて行った。色々と写真を撮ろうにも、望遠で1/30とかのシャッター速度では・・・。17:20頃、呉港着。今晩の由布の乗船券を手配し、三脚の回収へ。慣れてしまった教育隊バス停から、鍋桟橋・警固屋営業所へ。やった三脚回収、もう放さないよ!。帰りのバスは、本町/本通り?経由で、山回り、遠回り。でも、ちょうど、本町3丁目が、レンガ通りの所で、レンガ敷きのアーケード。世界の艦船が発売されているかと思って捜すが・・・、東京なら今日辺り店頭に並ぶが、この辺は27日厳守?。20:00頃、広別汽船「由布」(呉−広島−別府)入港、すかさず夜景撮影。20:15頃乗船。エコノミベッド46下段。荷物を通路に置くと、他の人の迷惑になるので苦労したが、最近のベッドは長身用なので、足元に並べてもあまり邪魔にならない。呉からの乗船は少ないので、広島迄はゆったり、で、ゆっくりシャワー。後はベッドへ。船旅は安ければ、船室のグレード等どうでも良いと思っていたが、エコノミ:スペースのみ、エコノミA:毛布付き、エコノミベッド:2段ベッド、1等:個室とくつろぎのスペース、更にTVやスリッパ。特等:シャワー室やタオルセット、浴衣も付く。かつてさんふらわあがデビューした頃、高知→東京迄乗って懲りまくった覚えがある。敗因として、余りにも長距離で、航路も太平洋で行き交う船も無く、乗船客が少ないお陰で設備の閉鎖も多く、と言う状態だった。船のうまい利用法としては、夜行で夜明けに現地:運賃+ホテル代で考えると効果的、天気の良い日に船の行き交う航路:港湾施設の付近を航行する船は楽しい。中国−四国等文字通りの渡船:全く違う地域を船で結ぶ。まあ、そんな実践で今回は船に乗りまくっているが、陸に上がってもずーっと揺れている。

3月26日(日)晴れ 別府・オリアナ、瀬戸内海を一気に東へ
6:00別府入港、上天気。昨日広島でこの天気が欲しかった。6:30迄ベットに留まり、甲板へ。オリアナを写そうとしていたら、まだ7:00前なのに、「みんな下船したから」と。下船後、フェリーさるびあ、さんふらわあ2の入港を写す。荷物を預けて、さてどーしようか。大分マリーンパレスは3時間も必要ないし(とこの時は思っていた)。で、大分港も見たくなって、8:15のバスで、西大分へ。フェリー埠頭から辺りを見回すと、海上保安庁の巡視艇のブリッジが堤防越しに見える(あたかも「僕たちはここだよ」と背伸びして言ってるようだ)。もっと遠くに基地があり、今回は見送りと思っていたからラッキー!。一通り写して、更に東へ1km。船溜りがあるが、漁船と小型タンカー。大通りへ戻り、9:59のバスで高崎山へ10:15。猿軍団の高崎山は、群馬県の高崎と思っていたら、ここの事だった。300mm×1.5でさんふらわあを写して、大分マリーンパレスへ。魚のショー、マリンガールの餌やり等、15分毎に色々なイベントがあって、一日でも楽しい。ラッコの運動会、ラッコはネコ位の大きさと思っていたら、結構大きい。12:30頃のバスで、オリアナへ向かう。先ずは南より撮影。13:00頃オリアナ乗船。通常¥2050の入場料が必要だが、今日は入場無料、今月で閉鎖になるのでファイナルサービスのようだ。船内売店も叩き売りの状態。デッキに出ると、14:00由布がバウバイザーを閉めながら出港、大分空港航路のホーバークラフトも寄港。オリアナ客船博物館には、約10年前時点の客船の図がズラリ。〜16:00概ね見学を終了。レストランは殆ど閉鎖済みで、一つ開いている所もメニュー縮小。隣の海上保安庁の船、16:45宇和島フェリーべっぷ2出港、17:10さんふらわあこがね出港を撮影。18:50荷物受け取り、関西汽船のターミナルへ。やはり夜景も欲しくて、回収の三脚で御機嫌の撮影。目の前に本船がいるが、トラック等が危険との事で、バスで乗船口へ。さんふらわあは舷側が高いので、約4階分昇らねばならない。「さんふらわあ2」(別府−大阪)特等B106号室右舷側。当初3人の子供連れのお母さんと相部屋だったが、彼らが自ら「うるさいでしょうから」と部屋を代えたので、独占。乗船時、就役当時のさんふらわあソング(一人きり〜の時、二人だけ〜の時、太陽に誘われて〜行こう〜?)が流れていた。関西汽船の船だけ、何故贅沢にも上級船室に乗船出来るかと言うと、実は今回、株主優待券(5割引き)があり、これを活用すれば、2等料金分で、豪華な気分が味わえる。正直言うと、船が好きなら船会社の株も持っていたい、等と言う乱暴な理由で、関西汽船の株を買ってしまっている。船内を見て回るが、やはり20年級の船で、あちこちボロボロ。TVもあるが、映りが 悪く、衛星放送のみファイン。B2の風呂へ入るが、エンジンの振動が、水圧となって全身に伝わる。

3月27日(月)晴れ 大阪港
6:20頃起きて、デッキへ。7:30明石海峡大橋通過。8:30頃大阪港沖。デッキの上で、右に左に忙しい。港外にはフェリーが数隻いるが、阪神大震災の影響で、神戸港からシフトした船が多い為、バース待ちをしているようだ。入港間際、車両甲板も一目。9:05着岸、9:10下船。バスでフェリーターミナルへ。ニュートラムで回ろうと思っていたら、良い路線を見付けて、10:37のバスで、天保山の方へ。11:00頃、水上消防署へ入れてもらって、消防艇を撮影。天保山公園は、阪神大震災で、壁が崩れていて補修工事中。水上警察の所で通りがかりの職員に一言挨拶すると「撮影禁止」つー訳のわからん事を言うとる。後で、話のわかる職員が2名来て決着。天保山は、次から次へと小型客船やらが出入りするのだが、仕事へも行かねばならぬし、12:50地下鉄で、新大阪に13:10頃ついて、13:40のバス迄にJRカードで乗車券を買おうとしたら、1時間以上経過した後、カードは扱えないとか、JRバスは私鉄でJRグループではないから取り扱えないとか(意味不明だ!)、腹立たしい対応。結局山崎町到着は、17:00。ホテルで着替えて17:50頃客先へ。が、今日来る筈のメンバがいないし、磁気テープも着いていない。結局彼は、出社時に渋谷の歩道橋で転倒し、打撲で1日遅れるらしいが・・・。ホテルで、カメラの整理をしていると、100−300mmズームが、135mm辺りでロックして動かない。予備のカメラは半田氏より高級な物を借用していたが、代替レンズは、70−210mmの明るくないもので、お先真っ暗。70−210mmも、重いからやめようかとも思っていたが、万々が一を考えて携行していたもので、安全策が実って嬉しいやら。

3月28日(火)〜3月31日(金) 平日はお仕事
最悪の状態が始まった。来る筈の彼は数日消息不明になるし、彼の分担もロクな状態ではないようだ。後半、応援部隊増強。連日、朝から深夜までの作業となった。また、週末、東京都知事選挙の不在者投票も山崎町役場でして来た。

4月1日(土)晴れ 鶴姫に逢うんだ、大崎資料館訪問
再び5:20起床。6:00のバスで姫路へ。7:13のこだまで三原へ。当初、大久野島の毒ガス資料館へ寄って行くつもりだったが、船のダイヤが変わっていて、島に渡るとそのまま半日潰れそうなので、今回は見送った。三原港を見て、高速船「第11西日光」(三原−瀬戸田)で瀬戸田へ。途中の内海造船・瀬戸田工場には、古いフェリーが三隻、繋留されている。瀬戸田港には、小型客船がいっぱい繋留されている写真を見て、期待して来たのだが、桟橋はガラガラ。瀬戸田町歴史民俗資料館をみて、耕三寺(日光東照宮陽明門を複製した建物やらがある事から、西日光とも呼ぶらしい)へ寄って、11:03瀬戸内海汽船の「はやしお」で、11:25大三島の井口へ。瀬戸内海西部のフェリー会社共同の新造予備船のシーフレンドは、大三島(井口)−生口島?(垂水)に就航していた。荷物預けて、自転車借りて。島の中央を行くのだが、勝手に平地と思っていたら、結構な峠越え。とりあえず、西側の宮浦港へ。丁度、12:10〜15水中翼船(松山−大三島−尾道)が2隻寄港。さて、大三島、大山祀(おおやまづみ)神社へ。鶴姫に逢うと言っても、何百年も前の人だから、実際に会うことは出来ないが、大三島の観光案内で、女性用鎧姿の肖像画で知って、何か引かれる物があって来てみた。穏やかな瀬戸内の様子は、今も変わらない。宝物館:ここにも大きな刀が何本もあった。国宝館:国宝の鎧の殆どがここにあると言う。海事博物館:昭和9年建造の昭和天皇の葉山丸保存が主目的で、関連する生物や、新旧艦艇の奉納写真がある。鶴姫伝説の本を買って撤収。井口へ行くと、ちょうど14:45三原行きの「第8西日光」(大三島−瀬戸田−三原)がいるので、急いで乗船して三原へ戻る。三原市郷土資料館等を見て、JRで広島へ。ホテル28へチェックインして、大崎氏へお電話の後、急遽訪問。突然、夕食時に、大変ご迷惑をおかけしてしまったが、記念品の盾や帽子、貴重な資料や、迫力の大写真を見せて頂いたり、上級撮影のお話等、貴重な一時であった。労作は、自衛艦の計画年度順のデータブック。広島名物と言う、お好み焼きを御馳走になったが、焼きそば入りで大変なボリューム。

4月2日(日)曇り 広島、安芸の宮島
7:00頃目覚めるが、さすがにくたびれていて、9:00前迄ゴロゴロ。でも行かねば。全日空ホテルで、市電一日券(宮島航路も乗れる便利もの)を買って、先ずは郵便局で軍資金補充。原爆ドーム、原爆資料館を見学。さすがに実物のインパクトは大きい。今の世界情勢では、相互確証破壊による安全保障上、止むを得ない必要悪とは思うが、その悪の大きさは測り知れない。長崎では原爆の遺跡をあまり見てこなかったせいか、今回改めて、その恐ろしさを感じた。核保有国の首脳は、一度ここを見てから今後を論ずるべきであろう。さて、宮島へと思って、カメラをと思ったら、背中のリュックが無い、軽い、アッ、原爆資料館のロッカーに入れたままだ。取りに帰る途中、水上バスが通過。リュックを回収し、宮島行きの市電へ11:15頃乗車し、12:04宮島口。フェリー「宮島」で渡って12:15。宮島神社の神殿回廊を巡る。驚くほど美しいと迄思わなかったのは、干潮のせいだったからのようだ。途中、瀬戸内海汽船の銀河が沖をクルージング。11:30広島からのクルーズは、12:55宮島到着とゆっくりだが、このように沖でノンビリする為のようた。当初、13:00の銀河で宇品へ戻るつもりだったが、やっぱりここでも色々見たくなって、宝物殿、宮島町立歴史民俗資料館も見学。和船三艘を横に並べた上に館を乗せた御座船の模型があったが(今も実物がお祭りに使用されるらしいが)、太古の双胴船だ。13:50のフェリー「フェリー宮島」(紛らわしいが行きの船とは別)で戻って、鳥居を対岸から撮影。100−300mmの調子が悪くなってから、タイミングを見てロックしても望遠の役に立つ300mmの位置に合わせてあるので、今日は70−210mmの出番となっていたが、ここは300mm×1.5だ。宮島口−宮島の航路は、私の乗船した、広電グループの宮島松大観光船と、JRが、計8隻程度運行していて、常時船舶が往復している。14:18の市電で市内へ。途中下車で、広島市郷土資料館。フェリー桟橋〜海上保安庁桟橋を17:00頃迄探索。ホテルで荷物を受領し、18:18広島→快速→20:53岡山。岡山グリーンホテルの和室でのびのび。

4月3日(月)晴れ 日植海軍記念館
6:00過ぎに目覚め、7:02の津山線(単線2両の赤いディーゼル)で8:26佐良山へ。無人駅だ。途中の沿線の日影にうっすらと霜がおりている、と思ったら、雪が舞ったそうだ。日植の会社は、8:35頃から社員が白い旧海軍略帽を被って集まり始め、朝の体操〜朝礼。敬礼や、国旗・社旗掲揚、月始めの教育勅語、行進退場〜8:50。海軍式経営とは聞いていたが、ここ迄徹底したものとは思わなかった。うちの社員に爪のアカでも飲ませたい。しかし、朝礼後の社内の雰囲気は、普通の会社と変わらない。日植海軍記念館には、所狭しと、海軍や皇室に関する品物や資料が展示されている。屋外にも、高射砲やら色々展示されている。隣の駐車場にも、海上自衛隊のKM2があった。11:39の津山行きで12:00前に津山。観光協会で荷物を預かって頂き、自転車を借りて、町並み見物と、自然博物館、郷土資料館へ。自然博物館には、動物、植物、昆虫、魚貝類の、剥製や標本が、物凄い量展示してあり、圧倒される。細かく見ると何日もかかるゾ!。時間があれば、一日でも見ていたいが、14:15自転車を返して、14:30の新大阪行きバスで、15:30山崎町へ。そして、客先へ。仕事の方は、まあ落ち着いて来たようだ。

4月3日(月)晴れ 日植海軍記念館
仕事の方は、当初計画に復帰しつつあるが、急場しのぎのスケジュールは、随所に問題も発生する。
4月7日(金)晴れ とりあえず大阪へ移動
仕事の方は、ほぼ落ち着いたようなので、15:40頃客先を撤収、本田君の車で、16:00頃出発、60分程快調に中国自動車道を大阪へ向かったが、西宮付近の工事混雑よりも、大阪に入ってからの料金所付近の渋滞が酷く(1kmに1時間)近鉄奈良線の駅に着いたのは、20:00近く。今日の宿は今里旅館。10年程前、この近くに出張で来ていた時に暫く泊めて頂いた宿だ。和室は床面積が100%利用出来るから便利だ。今回は、この辺で高知か、九州かと思っていたが、仕事の方が忙しく、とても落ち着いて計画出来る状態ではなかった。また、神戸のポートタワーも今日辺りから再開されると言う事で、被災地の復旧も進み、港の見学の可能性が出てきたと判断し、更に、大阪港に連日客船が入港する事もあり、阪神を今週の対象に設定する事にした。

4月8日(土)晴れ 大阪港、関西国際空港、大阪城
今日の行動を思案してグズグズしてしまい、9:00近くに地下鉄一日券で9:50大阪港へ。RoyalVikingSunが入港していて、満船飾。今回はキュナードの運行らしい。10:30天保山の渡し「海桜」で往復。11:00〜11:45「サンタマリア」で港巡り。当初、もう一つの港巡りも乗船予定だったが、明日の便から再開との事で、見送り。12:45「水都」(天保山−南港)でATC/WTCへ渡り13:15。徒歩で埠頭を探索しさんふらわあを撮影。日本通運のバースでは、入り口で作業している人にお願いすると、東京なら「敷地に入るな」と門前払いだが、「作業車に気を付けて」と。ニュートラム−地下鉄で、難波へ出て、15:02南海の急行で15:45関西国際空港へ。沖合というがかなりの沖で、正に洋上。ターミナルはでかいが、良く判らん。見学ホールは、バスで移動の上、入場¥800とかで、何かパッとしないし、位置的にも空港とは言い難い。ターミナルを適当に巡って、客船ターミナルへ移動。少し脇を見ると、巡視艇や警備艇なみはや。17:36アクアジェット「アクアジェットスーパー3」(−関西空港−天保山)(ジンベイザメ塗装)で、35ktの航海。船底はゴボゴボと言う感じだ。最近は、毎日船に乗らないと気が済まなくなって来ている。阪神地区は、新型高速艇の先端航路でもある。18:10頃天保山。丁度、RoyalVikingSunが出港中。海遊館、巨大水槽に、6mのジンベイザメが、ノッソリ泳いでいる。お〜きい〜!。これだけでも一見の価値がある。〜19:30土産物見て、20:00大阪城の夜景に向かう。地下鉄から地上に出てもライトアップは見えず・・・、が、夜桜見物で大賑わい。南側から城郭内に入り、北へ抜けて、更に西へと、ライトアップされた大阪城の夜景を21:00過ぎ迄撮影し、地下鉄で撤収。

4月9日(日)曇り/雨 今日も大阪、渡船巡り
6:00過ぎに目覚め、6:30に出て、Europaの入港へ。7:20天保山、入港歓迎の楽団が練習中で、間に合ったようだ。果たして遠方に船影、大阪港は西に開けていて、真っすぐ入港、消防艇なみはやの歓迎放水の中、7:50着岸。警備艇とかを見て、例の港巡りに乗船予定だったが、今日の午後の便から再開との事で、再び見送り。天保山でホテル(旅館・富久屋)を確保して、9:30天保山の渡し「海桜」で往復。昨日、港巡りで見付けた小型客船を探しに、港を南東へ探索開始。が、雨もパラパラ来てしまった。遠方に大阪造船所が見え、水中翼船が二隻並んで上架されているのを見付け、更に進むと、バスもない所へはまってしまった。鶴町渡船は対岸だし、と思っていたら、別の渡船もありそうで、更に進む。だいぶ行くと、甚兵衛の渡し(三先−北恩加島)、11:15「福崎丸」で渡る。ここから鶴町渡船(北恩加島−鶴町)へ向かうが、結構遠くて、11:40の便には乗船出来なかった。12:00「千歳丸」で渡る。これで全ての渡船と思っていたら、木津川に更に3〜4路線程度あるようだ。ここからバスで中心街へ出て、地下鉄で淀屋橋へ。13:20航行の水上バスを写す。適塾を見てやろうと思ったら、休館日。代わりに市立科学館14:00〜15:00、子供向けのものだったが、色々置いてあって、実際に体験出来る。続いて、15:30大阪城の大阪市立博物館へ。ちょうど、淀川の特別展を開催していた。展示図録をバックナンバー等数冊調達。18:00ホテルへ戻って夕食後、19:00Europaの夜景撮影へ。19:30の天保山の渡し「海桜」で渡って、対岸から素早く撮影、ASA400は強い。19:50天保山の渡し「海桜」最終便で戻り、前後からも撮影し、20:30ホテルへ。カメラ新調後始めての雨天行動となって、ホテルの部屋いっぱいに機材を広げて大掃除。統一地方選挙、東京都知事に異変が起きてる。大阪の新知事の方は、まだ選挙に望む姿勢も良いが・・・。

4月10日(月)晴れ 今日も大阪
今週神戸へも行くつもりをしていたが、前回の世界の艦船の写真を見直すと、岸壁はガタガタで、とても荷物を引きずって行ける状態ではないようだし、見送る。しかし、今日は好天気で、この天気が昨日欲しかった。港湾局等を巡って資料収集。港湾局の1階の展示室は、阪神大震災の対策室になっていて、閉鎖中。水上警察の船は、いつもと変わらず。例の港巡り「ベイシティー」に11:00乗船、乗客は、私一人で、心苦しい。小型の船なのでゆらゆら揺れるし、窓にも飛沫がかかり、撮影には向かない。12:15下船し、12:30頃ホテルで荷物を引き取り、地下鉄で13:10新大阪。ハイウェイバスへと急ぐと、ちょうど13:13?頃のバスが入ってきた。で、15:10山崎IC。ホテルへ寄ったりすると、客先へは16:00頃になってしまう。因に、東京を9:00頃の新幹線で新大阪へ昼頃着いて、昼休みの後、乗車すると、この時間になる。さて、仕事の方は、苦労して間に合わせたのだが、前段のシステムが順調に運んでいないようで・・・、正常に本稼働出来ないような雰囲気になっている。

4月11日(火)晴れ 平日はお仕事
まあ、とりあえず、最終調整の上、仮本番と言う事になったが、実際の稼働は深夜と言うことで、明朝の結果を楽しみに夜は引き上げ。

4月12日(水)晴れ 突然姫路城へ
さて、大体良かったようだが、一箇所不具合があって対応。しかし、リトライは今夜と言う事で、一日延長になった上、日中は待機状態になった。で、日新旅館が満室で、今日だけ別(さつき荘)に宿の手配をした後、当方の3人で、本田君の車で姫路城を見に行く。本当は、どこかの港迄行きたい所だが、今日は待機日だからそうも行かない。姫路城は桜も満開で、奇麗。お弁当を買ってお花見気分。続いてお城へ。やはり、連立天守の姫路城は美しい。14:30頃引き上げて、宿で一服し、18:00頃、今度こそ天草で山崎町最後の夕食、19:00現場へ行くが、又、例の如くズルズル。実際始まったら、データ不良等で・・・、でもまあ何とか収拾。

4月13日(木)晴れ 一目神戸も、そして舞鶴へ
今日明日はは、営業日だが、これまでの作業の事もあり、移動日と休暇に設定。9:00頃本田君の車で出発。宅急便を頼んで、中国自動車道を東へ。西宮名塩SAで一服し、11:00頃、新大阪。JTBで、舞鶴、東京へのバスを手配して12:00前、大阪港へ急ぐ。当初は別にジェットフォイルに乗ろうとも思っていなかったが、関東では乗る機会もないので、乗って見る事にした。12:23大阪港駅、ターミナルへ急ぎ、12:30のジェットフォイル「サファイアウイング」(天保山−KCAT)で、神戸K−CATへの航海。この航路は阪神大震災後の臨時航路で、間もなく終了する。翼を水面下に下ろしてのハルボーン時は、他船の引き波で結構揺れるが、フォイルボーンへの移行もスムーズで、高速航行も、スピードを感じさせない位穏やかで、望遠撮影も可能な程。船内アナウンスでは「当機」と言ってる。13:00K−CAT到着。岸壁は、物凄い状態。13:15のリムジンバスで、三宮へ向かうが、橋を渡って13:30頃、三宮迄あと10分(混雑)との事なので、降ろして頂き、港へ向かう。私の通った所は、パッと見、構造物の上方の被害は目につかないが、地面はガタガタ。船を撮りたいだけだが、被災地の撮影と見えるのは申し訳ないので、移動中はカメラを隠した。被害状況の写真も、報道機関に任せたい位だが、中には被災地観光に来るやからがいるから信じられない。岸壁には、随所で潜水夫の方々が多数、(海底護岸の調査?)作業しておられた。船溜りを見て、神戸海洋博物館を見て、ポートタワーへ昇って、高浜ハーバーランドへ回って。復元帆船サンタマリアの繋留場所も、折角のはね橋もガタガタだが、本船は無事のようだ。港巡りも3月末から、土日について再開している。で、そろそろバスの時間もあるので、神戸駅へ。16:38の新快速で新大阪へ向かう。途中の町並みは、建物の崩壊や、屋根にビニールシートと、被災地の惨状のままだ。ガンバレ神戸!。17:08頃新大阪、が・・・改札のバカが、言い掛かりを付けてきて、17:20舞鶴行きのバスに乗れなくなった。「バスに乗り遅れようがどーでも良い」等の暴言にあんまりムカッ!と来たので、助役に話を付けて、JR特急で振替輸送して貰う。が、こんどはホームでの案内が悪く、19:20京都についても、予定の列車に間に合わない。もういっそ打ち切って撤収しようかとも考えたが、一時間後の特急タンゴエクスプローラ(丹後探検家号)で西舞鶴へ、乗り換えて22:07東舞鶴。JR横須賀もそうだが、ここも閑散とした、海軍時代を忍ばせる駅舎だ。港へ出てホテルへ行くと「予約は入っていないですよ」、ホテルの名前をロクに覚えていなかったのだが、もう一つ別のポートシャインホテルが私の宿だ。23:00チェックイン。新日本海フェリーの夜景を 撮影し、23:30の出港を見送る。

4月14日(金)雨 舞鶴港
あいにくの雨(もっとも、先月なら雪になっていたかも知れず、日程の選択は良かったかも知れない)。しかし、駅前(西村商会)で自転車を借りて、港の探索へ。レンタカーの方が、行動範囲が拡がるのだが、慣れない場所で、他人の車で、もしもの事を考えると、楽しくも何ともなくなるので、自転車が最高。先ずは順番に、自衛隊基地を眺める。もちづきがASU7019になっていて、時代の流れにショックを受けた。舞鶴にたかつき級が4隻揃ったと思ったら、本艦は、工事が済み次第、転籍になるらしい。舞鶴のあまつかぜも、そろそろ引退とあって、一目見たかったが、艦隊集合訓練に出ていて不在だった。この辺には、赤レンガの倉庫が10棟前後残っている。市政記念館、赤れんが博物館を見て、10:30の港内定期船「ゆうなぎ」で自転車と共に平へ渡り、引揚記念館へ。そして、引揚記念公園から引揚桟橋跡を望む。ホテルへ資料を置いて、東舞鶴駅へ。当初、自転車で西港へも行くつもりだったが、峠越えが大変との話なので、雨も降るし断念。13:15JRで、13:23西舞鶴。徒歩で、田辺城資料館を見て、港へ。警官がいて、サリン・オウムの脱出警備とか。14:30〜気象観測船「清風丸」を見学させて頂く。こじんまりした船だが、最新鋭の機材と、親切で優秀な乗員に運行される船だ。隣の海上保安部の巡視船艇も写して、15:49のバスで東舞鶴へ。このバス、途中で行き先表示が変更になるもので、終点は駅ではなく、営業所。乗り換えて、駅へ戻り、自転車で16:30頃海上保安学校へ。係の木村氏に、校内を案内して頂き、ある船をつぶさに撮影。公称の実習船以外に、改造船や、日本船舶振興会からの寄贈船もある。学生(特に女子)は皆会う度に元気に挨拶して行く。17:30撤収。フェリーの夜景も撮りたいところだが、雨も止まないので断念。何故か、市内で、カメラやバックを山のように抱える私を見て、巡礼?と聞く人が2人もいた。

4月15日(土)曇り 舞鶴港、そして東京帰還
カラッと晴れる事を期待していたが、朝方も雨が・・・。9:30岡野氏の車で、港を案内して頂く。10:00過ぎから、自衛隊桟橋で、DD164たかつきを見学。毎週の休日の基地内立ち入りは舞鶴だけのサービスだ。支援船の方もつぶさに撮影。再び岡野氏の車で、東の千歳辺りまで。浮島丸の碑があったが、湾内だ。港の定期船乗り場に11:50頃戻り、岡野氏に見送られ、11:59「ゆうなぎ」出港、が・・・「土曜日は学校ダイヤで30分遅発で、西舞鶴の船に接続出来ないかも」と言う。「かも」?ダイヤ通りなら、15分前に出港している船に乗れる訳がないのだが・・・。千歳港到着前、沖に西舞鶴の「ちどり」。なんと反転してくれて、千歳の港で連絡して頂き、13:30頃西舞鶴港到着。「波が穏やかなら、洋上接舷での乗り移りもするが、始めての人は怖いでしょうから」と言ってくれたが、それも楽しかったかも知れない。最北の浦上?港迄行けなかったのは残念だが、生活航路の暖かさを感じる事が出来た。今回の便は、特に、引率の先生付きのスクースバスの状態だった。尚、この航路は、道路未整備による、陸の孤島対策のよう航路で、道路整備が進んだ為、数年で廃止になるようだ。西舞鶴で、再び埠頭を探索。PS44くらまの乗員の方にお願いして、ブリッジと、機関室を見学させて頂く。ブリッジは数人入れば窮屈な位だが、機関室はかなり広い。15:09のバスで市民病院迄行き、ホテルで自転車乗って、港へ。16:00頃、福祉センターの山にいると、掃海艇が入港して来たので、急いで下に降りる。16:30〜17:00市政記念館でゆっくりビデオを見て、フェリー埠頭へ。ターミナルで一服し、夜景を写して、ホテルで荷物を受け取り、カメラを片づけ、自転車でカートを横に引いて東舞鶴駅へ。自転車を返して、21:05東京行きバスに乗車。1−1−1シートの車は快適。中舞鶴、西舞鶴、綾部、福知山を経由して、東京へ。この後、北陸を巡る計画もあったが、サリン関係で日本海側は色々物騒な時期(港毎に警備に引っ掛かるのも面倒だし、事件そのものに遭遇しても大変だ)なので、ここら辺で、撤収。

4月16日(日)曇り 東京に戻ってしまった
5:40頃浜松町、6:00頃品川バスターミナル到着、各駅には私鉄を含めて警官が警備、これならサリンばかりでなく、スリや痴漢も起きない。6:30頃帰宅。さっそく荷物整理を始めるが、一日掛かっても整理は終わらなかった。

荷物重量は、カメラリュック8kg、ショルダー4kg、カート+バック19kg、別送のバック22kg、追加別送のみかん箱5kgと、10kg程度も増えて帰ってきた。写した写真も30本1100枚程度と、整理が大変だ。所要経費は、ざっと、出張費の入りが¥366,890。支出は¥333,032(電車・バス¥75,050、宿泊¥143,890、船¥38,420、入場料¥10,880、貸し自転車¥1,810、荷物保管・搬送¥5,400、食費¥35,283、調達資料等¥22,249)。他に写真関係¥33,000、資料請求・通信費¥4000程度。かなり贅沢に使った様にも見えるが、出張費用本来の消費分が含まれているし、東京−大阪3往復分を振り替えての話なので、こんなものかも知れない。一ケ月丸々家を空けるのは初めてで、そのまま滞在したくもあったが、そうも行かない。郵便物も74通、3.5kg溜っていた。今回の出張中の行動は、結果的には、準備不足と、ヒットエンドラン的で、同じ所に何度も来たりと無駄も多い動きになってしまったが、仕事の日程が流動的でもあり、大体、東京基点でこれだけの行動を取る時間も費用もないし、止むを得ない。船も27隻乗ったし満足。



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新規作成日:1998年12月9日/最終更新日:1998年12月9日